36話 マリウス
「二年前に出会った女性、当時は気付かなかったが、あの声に私の事を知っていたあの態度、彼女は《狂気の科学者》マリウス・ウィーバリーで間違い無いだろう」
「まりうす?」
狂気の科学者! って聞いて、まず思い浮かぶのは人体実験とか強力な兵器を作る人だよね、やっぱりそういう人なのかな。
「うむ、だが、マリウスは既に死んでいる。本来ならあの場に居るはずが無い」
「まさか、アンデッドでしょうか? ですが、モンスターを嗾けてジェムで逃げたのですよね、実は元々魔族だったのでは?」
デルさんが勿体ぶって紅茶を飲むと、ハノさんが片目を薄く開けて尋ねる、眼光が鋭くてちょっと怖い。
しかしデルさんは首を振ると、指を組んで身を乗り出した。
「いや、それは無い。マリウスが王都に暮らす普通の人間であった事は明らかだ、彼女は前王に気に入られた、科学者だったのだ……」
思い出すかのように一度目を閉じ深呼吸をすると、デルさんは過去の出来事を語り始めた。
◇五年前――――――
以前より病魔に冒されていた前王トリオラ・フォーア・エレスベルは、その苦しみに耐えながらも、元気な頃と変わらず国務を行なっていた。
「まだまだ休むわけにはいかん」
そう口癖のように呟いていた前王だったが、ある日突然倒れて亡くなり、とある研究を行なっていたマリウス・ウィーバリーは、その日研究所にて騎士団の手で捕縛された。
「私は王のために研究していただけだよ」
それが彼女が捕まる際、彼女を囲む騎士団員に堂々と言い放った台詞だった、間違ってはいないのだろう、前王が亡くなる直前に極めて悔しそうに呟いた内容から、この捕縛に繋がったのだから。
「不死に、死を超越さえできれば……マリウスよ――」
亡くなる直前、前王がほぼ無意識のうちに呟いたそれは、エレスベルの国王が呟いたとは思えないほどの強烈な内容だった。
マリウスに秘密の研究所を与え、犠牲など省みずに自らの命を永遠のものとする薬を作らせる、それが前王の狙いであり悲願であった。
性格に難こそあるが、国で一番の科学者だと目されていたマリウスは、王の言葉を受けてそれまで抑え込まれていた危険な一面がついに現れる。
それはすなわち、危険な薬品による人体実験であった。
マリウスは最初こそ永遠の命を目標に研究を進めていたが、それこそ無限に時間のかかる程の難題であり、王が亡くなるまでに到底到達できる領域ではないとの結論に達する。
ならば逆の視点から見て、死後復活する事により死を消滅させてしまえるのでは無いかと考えた、自身の知識や意識を確立したままのアンデッド化である。
研究は順調に進んだが、最後の一歩がどうにも上手くいかず、研究日誌にイライラとあまり意味の無い研究結果を殴り書きする様な事も多かった。
現王であるカルネリウス・フォーア・エレスベルは前王の死後即座に騎士団を招集し、マリウスの研究所を襲撃する事になる。
研究所は街の地下に潜む様に存在しており、内部は最早捕縛状が必要無いほどの惨状だった。
マリウスに付けられた特殊部隊は突然現れた騎士団から彼女を逃がすために立ち向かうも、当時副団長だったバニルミルトによりあっさり殲滅させられて、彼女は捕縛されることになる。
特殊部隊の意思など無視するかの様に一切抵抗する事なく、奇妙なほどあっさり捕まったな、と作戦に参加した騎士団員は話していた。
その後、王族の失態を晒すわけにはいかず、表に出せるような問題では無いと秘密裏に斬首刑が執行され、マリウス・ウィーバリーと王都の地下研究室は闇に葬られた。
◇――――――
「私はマリウスの斬首刑に立ち会った一人で、それ以前にも彼女とは面識があった、私の性格を知っていたような口ぶりだったのは、彼女本人だったからだろう」
言い終えるとデルさんは冷めた紅茶を飲み干して小さくため息をつき、ハノさんが小首を傾げて尋ねる。
「それでは、そのマリウスはアンデッド化の薬を完成させたのでしょうか」
「彼女の研究日誌を見せてもらった限りでは成功した様子は無かったのだが……しかし、成功したと見た方が良いだろうな」
「となると師匠、私達を呼んだのはその件も関係しているのですか?」
「そうだ、《不死狩り》の二人には正式な依頼として頼む、マリウスを探し出して討伐して欲しい」
「わたしは?」
「トート殿にはお願いになるが、もし王都に何かあれば対応して欲しい」
「あばうと」
何かあればって適当過ぎるでしょ、いや、だからお願いなのかもしれないけど。
「恐らくマリウスは前王にいきなり切り捨てられたのだと考えているだろうし、憎悪から王都を狙っている可能性はかなり高い、更にテレポートジェムを使った事から上位貴族が背後についているだろう、数年以内に何らかのアプローチがあると私は踏んでいる」
「てれぽーとじぇむ、たかいの?」
「オレもちらっと聞いた事しかねえけど、余裕でそこそこ広い家が一軒立つらしいぜ」
「うへぇ」
うーん、でも暫く王都で活動しないといけないし、もしその間に何かあれば戦って欲しいって感じなのかな、お願いって言ってるくらいだし。
「実はトート殿については少し調べさせて貰ったのだがね、戦闘力だけなら申し分無くとも、まだ冒険者ギルドに属していないので正式に依頼として頼むわけにもいかなくてな、今後冒険者として活動するとしても、低ランクに頼めるような依頼では無いのだ、不自然になるからな」
「それにこの後騎士団長に呼ばれてんだろ、遠出するのは無理なんじゃないか?」
「むう、たしかに」
「とにかく、トート殿には情報として知っておいて貰いたくてな、何かあった時に背後に何があるか、可能性を知っておくだけで多くの行動を取れるようになるはずだ」
「きしだんとか、おうさまとかには、いったの?」
「王には私の生存を含め現状を知らせるための書状を送ってあるが、あくまで襲撃の可能性があるというだけなので具体的な対策は難しいだろうな、裏にいる貴族も上手く隠れ続けているようだ」
「そっか」
もう伝えてあるならそんなに心配はないのかな、闘技大会で見てた限り騎士団の人は強い人も多いみたいだし、守りは万全だよね、きっと。
デルさんも伝えたい事を言い終えたのか、一瞬の静寂が訪れると、突然私のお腹が鳴った。
しまった、色んな事に気を取られて忘れていたけど、そういえば町に着く前からお腹が空いていたんだったね、むしろ今までよく鳴らなかったよ、空気読んでたね。
「あら、何か軽食でも作りましょうか?」
「ほしい」
「ふふ、じゃあ少し待っててくださいね」
「ハノ、手伝うよ、師匠も少しつまみますか?」
「ああ、頂こう」
ハノさんとザンバラさんがキッチンに消えて、リビングには私とデルさんだけが残る、手持ち無沙汰だね、私も手伝わなくて良いのかな。
デルさんは私をまじまじと見ながら髭をいじっている、何か話題とか探すべきだろうか。
「しかし、あの時はすこぶる恐ろしかったものだが、こうして見ると至って普通の少女だな」
「ん、こわくないよ」
「ははは、あの時は私も命がかかっていたからな、許してくれ」
「そんな、きけん、だったんだね」
「うむ、私の力では同時に二匹を相手するのが精一杯だ、トート殿が現れねばあの場で殺されていただろう」
『ワーウルフはモンスターにしては賢く、集団戦闘を得意とするからのう、単純な戦闘力もそこそこあって鼻もよく逃走も難しい、勝てぬなら絶対に手を出してはいけない相手じゃな』
「そうなんだ」
突然ヘルべティアの注釈が入るも、私はその言葉を聞きながら変に間が開かないようにデルさんに答える。
ワーウルフってそんな危険なモンスターだったんだね、昔はデルさんの獲物を取っちゃったのかと思ったけど、倒しておいて良かった。
ヘルべティアで思い出したけど、そういえばさっきのハノさんの発言、魔族って首切られて生きてるもんなのかな、今度覚えてたらヘルべティアに聞いてみよう、そもそも魔族って何って所から聞きたいし。
そんなこんなでデルさんと話していると、ハノさんとザンバラさんが小さく切った白パンに野菜を突っ込んだものを出してくれた、いわゆるサンドイッチだね。
こっちの世界だと《挟みパン》ってそのまんま呼ばれてるみたいだけど、まあこれはサンドイッチでしょう。
「長旅で疲れただろう、今日はここに泊まって行くと良い」
「明日王都に連れってってやるよ、放っておいたらあの騎士団長本気で捜索隊送ってきそうだしな」
「ん、ありがと」
デルさんの隠れ家に一泊させて貰い、次の日私は再びザンバラさんの馬に乗せられて、今度は王都へ向かう事になる。
《不死狩り》は直ぐに活動を開始するらしく、今日はハノさんも一緒だ。
王都まではフルーカ村から出発した時より圧倒的に近いらしい、やっぱりあの村は辺境の地なんだね……。
町の外に出ると、ハノさんはさっさと自分の馬に乗り、ザンバラさんは私からローブを回収して馬に付いている道具袋に入れ、私を持ち上げて馬の上に乗せた。
「んじゃ、行くか」
ザンバラさんも馬に乗り、手綱を引いて私を見ると確認のためか一言尋ねる。
「ん、れっつごー」
それに応えるべく、私は前方を指差して声を出した。




