10話 レッツ闘技場。
次の日、ベッドから飛び起きると既に起きていたお母さんが笑った。
「そんなに楽しみなのね、昨日も見て回ったでしょう?」
「きょう、とうぎじょう、いきたい」
「闘技場?」
「うん」
頭にクエスチョンマークを浮かべているお母さんをそのままにして、私は洗面所に向かった。
この世界は基本的にはファンタジーって感じの街だけど、魔法のおかげなのか水道とかトイレとかかなり高水準っぽい。村は、まあ、村だしって感じだったけど……。
こぶし大の宝石みたいな石に触れて水を出す、なんだか手をかざすと自動で水が出る蛇口みたいで楽しい。
そんな事をして遊んでいると、お母さんが呟いた。
「なんだかずいぶん良い宿に泊まっちゃったみたいね、私が冒険者の頃はこんな各部屋に水が完備されてる宿なんて泊まった事無かったわ」
「すごいの?」
「凄いわね」
凄いらしい。
「みずないなら、どうしてたの?」
「大抵は、宿屋の裏側に共同の水道があったのよ。汚れはそこで落としてたわ。布を濡らして体を拭くだけって事も多かったわね」
「なるほど」
こう聞くとシャワー完備のこの宿は恐ろしく上質な宿なのではなかろうか。
「おかね、だいじょうぶ?」
首をかしげると、お母さんはふふんと笑った。
まあ、宿のシステム的にも先払いだったし、私もあんまり心配はしていないけれど。
「ずっと溜めてたからね、ちょっとやそっとじゃ無くならないわよ。それに、もう水の技術は街の中で浸透してるのかもしれないわね、このレベルにしては安いと思うわ」
ぐるりと部屋を見回して、お母さんは続けた。
「なにより冒険者用の宿が集まる西区に、お貴族様が使うほど高級な宿は無いわよ」
「そっか」
私が納得するとお母さんは私に近づく。
「闘技場を見に行くんでしょ? 支度して朝ごはん食べたらすぐ出かけるわよ」
「ん、ばしょ、わかる?」
「当然、王都で暮らしてたのよ?」
「たしかに」
準備をして外へ出ると、まだ朝早いというのに出店が立ち並んでいた。
宿を出てくるときに見た時計はまだ八時半を指していた、闘技場で登録するまでまだ一時間半もある。
違う! 一時間半《しか》ない! 私が王都の地理を把握していないので頼れるのはお母さんしか居ないし、もし昨日のように北区を通らないといけないルートしか無いのであれば一時間半でたどり着けるのか怪しい。
「おかあさん、とうぎじょう、じゅうじ!!」
必死の形相で訴えると、相変わらずクエスチョンマークを浮かべながらお母さんはこくりと頷く。
「十時までに行きたいのね? イベントがあるの?」
「うん、ひゃくまんぐりす」
「ひゃ、百万グリス……? 一体何があるのよ」
いけない、気持ちだけ先走ってしまったようだ。
深呼吸をしてもう一度伝える。
「とうぎたいかい、ある」
「見たいの? そういったの興味あったのね、意外だわ」
「あんまりきょうみない」
「……よくわからない子ね」
違うのだ、興味あるのは百万グリス、つまりお金だけで闘技大会というバトルイベントはあんまり興味がないだけなのだ。
「でも十時だと少し急いだ方が良さそうね」
お母さんが私の手を取って歩き出す、私の歩幅に合わせているのか動きはゆっくりめだけれど、急いでくれているのはわかる。
しばらく歩いていると、昨日見た大きな壁が見えてきた。どうやら西区からも直接向かうことができるようだ。
辺りを見回すと昨日より強面な人物が多く、思い思いの武装に身を包んで闘技大会の開催を待ち望んでいるようにも見える。
闘技場の出入り口は広くて、見物客はすぐ近くの階段を登って上の方から闘技場内部を見ることができるようだ。
私自身見たことはないけれど、前世のコロッセオとかこんな感じだったのかな?
私たちが入り口に近づくと、若干ふっくらとした商人風の男が近づいてきた。
「開国祭記念闘技大会、まだまだ席あるよ、チケット要らないかい?」
「あら、チケットが必要なのね」
私もお母さんと同じ反応。でもまあ普通に考えたらこういった催し物でお金を取るのは当然か。
「一枚千五百グリス、二人分で三千グリスだよ、どう?」
「私は良いけど……トート、どうする?」
うーん、と考える。私は参加するつもりだからチケットは必要ないだろうけど、参加するってお母さんに言っても昨日のルーティと同じ状況になることは明らかだからどうにかこっそり抜け出さないといけないだろうし……。
「みる」
こくりと首を動かしつつ、お母さんを見る。それを受けてお母さんもお金を払い商人からチケットを受け取った。
さて、ここからが問題だ、私は参加したいけどお母さんのいる前で聞くことはできない。
「おかあさん、さきいってて」
「え、何言ってるのよ、場所わからなくなっちゃうでしょ?」
「そこのかいだん、のぼったとこ、まってて」
「何がしたいのかわからないけど、本当すぐに来なさいよ?」
あっさりお母さんは先に行ってくれた、もっとなんか、良いから行くわよみたいな展開になると思ったのに。
で、残ったのは商人のおっちゃんと私。ならば言うしかない。
「さんかしたい」
「ん?」
当然と言うべきか、おっちゃんは私が何を言っているのか理解できずに頭上にクエスチョンマークを浮かべる。
「とうぎたいかい、さんかしたい」
もう一度、今度はしっかり言うと、おっちゃんは大声で笑いだした。
「あっはっは、これはねお嬢さん、お嬢さんのような子が出るような大会じゃないんだよ、屈強な冒険者や騎士様たちの戦いだからね」
そう言った後、商人のおっちゃんは言ってはいけないことを口走った。
「せめてこの私を倒せるようでないとねえ」
言ったな? 言ってしまったな?
「たおせば、さんかできる?」
まさか私が本気で受け取るとは思わなかっただろう商人は、苦笑いしながらも頷いた。
「私も職業柄戦いには慣れていてね、なに、私からは手を出さないから、好きなように攻撃して来てみなさい」
と、言った次の瞬間おっちゃんは私のバックドロップにより地面に沈んだ。ぐっない、おっちゃん。
……と、頭から星をぴよぴよ出しているおっちゃんを見て思ったけど、これはダメだったのではなかろうか。
参加証とかもらえないし、参加するにはどこにいけば良いのか全くわからないし。
「おっちゃん、おきて」
ぺちぺち叩いて見ても反応はない、そんなに強く技をかけたつもりはなかったんだけど……。
どうしようか悩んでいると、すぐに赤い鎧に身を包んだ兵士がバインダーのようなものを眺めながらやって来た。
「ザスカーさんそろそろはじめのグループの予選を開始しますが……ってどうしたんですか!?」
大の字で倒れているおっちゃんを見た瞬間、驚き深刻そうな表情をする兵士が駆け寄ってくる。
兵士はおっちゃんの隣にしゃがみこんでいる私を見ると、声をかけて来た。
「きみ、ザスカーさんがどうして倒れたのか見ていたかい?」
「ん、わたしがやった」
「え?」
「とうぎたいかい、さんかしたければ、たおせっていわれた」
「きみが?」
「でも、たおしたらおきない。さんか、どうしよう」
私はかなり焦っていたし、兵士も混乱の極致だろう、うなるような声が聞こえたと思ったら、兵士さんに緑色の札を手渡された。
「詳しくは後ほどザスカーさんに聞くから、とりあえずそれを持っておいておくれ、それが参加証だからね」
「ん」
私は、私の手のひらのより大きい緑色の札を大事に握り込んだ。
「一応、念のためだからね、ザスカーさんの証言次第じゃ参加取り消しになるからそのつもりで」
「こまる」
「うーん、でも本人がこんな状態だからなぁ。とりあえず、緑の札は第八組だから、第七組の試合が終わる頃に選手控え室に来てね」
「ひかえしつ……?」
私が首をかしげると、そうか、場所わからないのかと兵士は頭をガリガリ掻いた。
気絶しているおっちゃんをそのままにするわけにもいかず、なるべく頭を揺らさないように部屋のはじまで引きずると、兵士は選手控室までざっと案内してくれた。
「あそこが控え室、ギリギリだと不参加になる可能性があるから、できれば第七組の試合が始まったら来るのが良いかな」
「わかった」
選手控え室はさっき入って来た入り口からかなり近くて、迷うこともなさそうだし安心だ。
「じゃあ、もどる」
「はいはい、気をつけてね」
兵士はトートを見送った後、未だ気絶中の商人――ザスカーを見て呟いた。
「ザスカーさんを気絶させるって、一体何やったんだよあの子……」




