0話 黒髪赤眼の娘
「これは、いったい……」
その日とある村で生まれた女の子は、その外見から両親を大きく困惑させた。
黒い髪に真っ赤な瞳、どちらも両親の特徴ではないものであったからだ。
父親のエンブレイは、まずこんなことはあり得ないと考える。
まず、両親とも髪の色は金色で、瞳の色は青色。この大陸の一般的な色相だった。
そしてそんな二人が暮らしている村はとても小さく、住民はみんな顔見知りであること。その中に黒髪赤目など見たことがない。
なにより、妻のリアーナは不倫をするような女性ではない、と。
「おやまあ、これは珍しいねぇ」
赤子を取り上げた産婆さんが目を丸くして赤子を見やる。
「こういったことはまれにあるのか?」
エンブレイが尋ねると、産婆さんは一度首をかしげてから小さく首を振った。
「いんや、聞いたことありませんねぇ。それに、産声を上げない赤子は初めて見ましたよ」
産婆さんの言う通り、赤子は周囲を確かめるように赤い瞳をきょろきょろ動かすだけで一切声を上げるそぶりを見せない。
両親とは違う髪と瞳の色と、周囲をうかがうようなしぐさに不安を覚えつつ、エンブレイは赤子を受け取った。
……それが、彼女――トートがこの世界にやってきた最初の一幕だった。
トートと名付けられた赤子はすくすく成長した。
歩けるようになるのは早く、いろいろなものに興味を示しては、力加減を誤りやすいのかよくものを壊した。
二歳にもなると、トートは何かをじっと見つめることが多くなった。
エンブレイが庭で剣を素振りするところを眺めたり、リアーナが畑から作物を収穫するところを眺めたり。
ただ、ぼーっと親だから目で追いかけているという風でもなく、なにをしているのか読み取ろうとしている意思を感じてリアーナは小さく首を傾げた。
三歳のころ、さすがに両親も娘の異常に気づいた。言葉を覚えるのが病的に遅いのだ。
近所のバルバラの娘は一歳半で当たり前のように喋っていたという話を聞いて、リアーナも不安になる。
とはいえ言葉が苦手という部分以外に異常は見られず、エンブレイが村の人たちに聞いても有効な解決策は得られなかったので、しばらく見守ることになった。
その後もトートは言葉を覚えるのが遅いのは問題ではあったが、元気に成長を重ねていく。
バルバラの娘でトートと同い年のリッカはトートに言葉を教えるのが面白いらしく、それを受けて片言ではあるが色々な言葉を喋ることができるようになったのは僥倖だった。
「おかあさん、てつだう?」
リアーナが農作業の準備をしているとトートが尋ねる。
「今日は平気よ、リッカちゃんと遊んでらっしゃい」
「わかった」
トテトテ走ってゆくトートを見て、リアーナの口元が緩んだ。トートが元気な子で良かった、と頭の片隅で一瞬思い、リッカのことを考えて小さくかぶりを振った。
リッカは生まれつき体の弱い子だった。一日中ベッドの上というほど酷くはないが、よほど体調の良い日でないと外で駆け回るようなことはできない。
少し馬車で行ったところにある隣町の医者に見せても、生まれついての体質までは治せないと首を振られてしまった。
トートはリッカの体調が悪く遊べない時でも家に戻って来ることはなかった。
しかし、どこに行っているのか等聞いてみても、「ひみつ」と答えるのみで決して教えてはくれなかった。
八歳のある日、遊びに出かけたはずのトートが血まみれで帰ってきてリアーナとエンブレイを驚かせた。正確には、驚いたというよりもはや卒倒するレベルだったが。
「どうしたの! 大丈夫!?」
駆け寄ってみるとトートに傷は一切存在せず、トートはバツの悪そうな顔で、ただ小さく。
「……ごめんなさい」
と、呟いた。
「ごめんなさいじゃ判らないだろ。何があったんだ、教えなさい」
エンブレイに言われ、トートは俯きながら口を小さく何度も動かしては言葉を探っているようだったが、状況を説明する言葉が判らないのか再び小さく謝った。
「……ごめんなさい」
言葉が見つからないのがエンブレイに伝わったのか、エンブレイはどう聞いたものか腕を組んで唸った。
「リッカちゃんは? ほかの村のみんなは大丈夫なの?」
リアーナが聞くと、トートはしっかりリアーナの目を見てハッキリ言った。
「だいじょうぶ」
そう言われたことでリアーナもエンブレイも胸をなでおろすが、逆に余計クエスチョンマークが頭の上に浮かんだ。
トート自身が家畜にいたずらをするような事は考えられない。友達のリッカも同様だ。
オオカミなんかの被害はここ最近では全くないし、あったとしてもトートが血まみれになるような状況は考えづらい。
モンスターの被害は猶更だ。モンスターが村の付近に現れたらちょっとした騒ぎになるし、元冒険者である自分たちに声がかからないのはおかしい。
「……ごめんなさい」
思考の沼にはまりかけた二人をトートの言葉が引き上げる。
「とりあえずこうしていても埒が明かないな、俺は皆に何かあったか聞いてくる」
「お願いね。それじゃトート、気持ち悪いでしょ? まず体を洗いましょう」
その後、村の誰に聞いても「別に何も変わった事は起きてない」と言われて、更に謎が深まった。唯一分かったのは、その日リッカは寝込んでいて《トートが一人でどこかに行った》事だけだった。
そこから半年くらい、トートはずいぶんおとなしく過ごした。……のだが、誰もいない虚空をじっと見つめたり、時たま誰かを探すようにきょろきょろする事があった。
やっぱり血まみれで帰って来た時に何かあったのでは、とリアーナは思ったが、心配しているうちにそういった行動は起こさなくなっていた。
トートが九歳になって少ししたころ、エンブレイが少し王都の話題を出した。
その話題に対してトートの食いつきは凄く、言葉足らずながらもエンブレイを質問攻めにした。
トートが寝静まったころ、村の暮らしが嫌で、はるか昔一度村を飛び出した経緯を持つリアーナは「かつての私を見ているようだった」と小さく笑った。
「一度トートを王都に連れて行ってあげてみてはどうかしら」
リアーナに聞かれ、エンブレイは深く頷く。
「そうだな、まさかあんなに興味を示すとは思わなかった。ただ――」
「どうしたの?」
「いや、畑をどうしたものかと思ってな」
王都まで出かけようとなると、村から馬車で町まで出て、そこから更に馬車で、と結構な日数がかかる。ほかの仕事を持つ村の人に居ない間の手入れを頼むわけにもいかず、エンブレイは腕を組んで唸った。
「そんな事なら私が残るわよ」
リアーナはそう言ったが、エンブレイは首を振った。
「いや、それならもし何かあった時のために君が行った方が良い。剣の腕は鈍ってないだろ?」
「まぁね」
昔から欠かさずこっそり木剣を振り回していた事を思い出し、リアーナは微笑んだ。
リアーナとエンブレイは二人とも昔は冒険者で、二人とも剣士だった。出会ったころからリアーナの方が強く、未だに剣の腕はリアーナの方が強い。
「確か、王都の開国祭があったな。それに連れてってやると良い」
「そうね、ただ、あまりの人の多さにビックリしなきゃ良いけど……」
そして十歳の誕生日を過ぎたころ――――。