彼女が厨二をやめる理由。
「私、厨二病を辞めようと思っている」
彼女からそんな耳を疑う様な言葉が飛び出したのは、俺と彼女が絵の具を蕩けさせた様に、ぼんやりとした夕焼け空の下をゆったりとした足取りで歩いて行き、丁度、俺たちが別れる丁字路に差し掛かった辺りでの事であった。
「え?何て?」
俺はさすがに聞き間違えかと思って聞き返し、同時に彼女の姿を眺める。
スレンダーな体型、綺麗な黒髪のショートヘアーに整った容姿。
そこにはいつもと変わらぬ美少女の彼女が居た。しかし今重要な事はそこでは無かった。
俺は視線を彼女の手元の方へとゆっくり移動させ、その後、彼女の両目をしっかりと見つめた。
「はあ」
すると、彼女の手にはいつもと変わらず身に付けられている、身長ほどもある大きな杖があり、その両目は左右で色の異なるいわゆるオッドアイであった。
俺はそんな、言葉と行動の伴っていない彼女に対して困惑しながらも、同時に厨二病を捨てきれていないその姿に安堵に近い感覚を覚えてしまう。
その状況が冗談なのか否か、俺には判断する事が出来なかった。がしかし、彼は至って真剣な様子で俺の顔をしっかりと見つめ続けていた。
「ははは、お前、熱でもあるんじゃないか?超が付くほどの厨二病であるお前が急にどうしたんだよ?」
俺は誤魔化すように笑い、同時に彼女に一体何があったのかを考える。そして、丁度1ヶ月ほど前の、彼女が転校して来たあの朝のホームルームの事を思い出していく。
あの朝は彼女の奇抜な出で立ちにクラスの全員が当然のように唖然としていたが、取り分け俺の唖然ぷりは群を抜いていたように思う。
「ようやく見つけた。私と契約を交わして、共に次の満月の夜のエクリプスナイトを乗り越えてほしい」
「?」
自己紹介を終えた彼女は担任により指定された席とは真逆に位置する俺の机の前に立ち、恥ずかしい事など1つもないと言わんばかりの堂々とした様子でそのような言葉を口にする。
「勿論、貴方に戦えと言っているわけではない。私のリボルターとなって私に貴方のマナをアクセラレーションリフトしてほしいと言っている。···大丈夫、貴方のマナシリンダは常人のそれとは格が違う。私が保証する」
「???」
「貴方の不安も分かる。ウェーブを重ねる事にルナシードの力が増大しているのは疑いようの無い事実。そして、この事はゲヘナハラサの復活が間近に迫っている証拠でもある」
「?????」
「もし私1人の状態で奴が復活してしまったら、"アレ"を使わざるを得なくなる。···しかし、私とて出来ることならば、使わない道を模索したい。···だから、どうか貴方の力を私に貸してほしい」
彼女は唖然としている俺を完全に置き去りにし、そう言うと深く頭を下げる。
それから数秒間の沈黙がクラスを包んだ。
それはこの空間に居る全ての人間が一瞬にして言葉という文化その物を奪いさられたと錯覚する程の完全なる沈黙であった。
だがしかし、そんな中で事前に彼女に会っていて多少なりともそれに慣れている様子の担任が先陣を切っておもむろに口を開いた。
「ああ、なんだ、お前ら知り合いなのか?じゃあ彼女の事はお前に任せていいな?うまくクラスに馴染めるようにしてやってくれ。···おい田中、席を変わってやってくれ」
俺と彼女の会話?を聞いていた担任は、彼女を俺の隣の席に座らせる様に話を推し進めていく。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。全然知り合いとかでは無いんですけど?」
「いやいや、きっと前世からの付き合いとかなんだろう。とにかくよろしく頼むぞ?はい、決定、拍手。」
そう言うと担任は俺と彼女に拍手を送り、それに釣られるようにしてクラス全員がまばらに拍手をし始めた。
それが俺と彼女の出会いだった。
今思い返せばこんな感じの彼女をクラスに馴染めるようにしてやれってのはかなりの無茶振りだったようにも思えるが、幸か不幸か、名采配だったのか迷采配だったのかは分からないが、今では彼女はすっかりクラスに馴染めている···とまでは行かないものの大きなトラブルなどは今の所なく日々を過ごせていた。
それには俺の尽力も少しはあったが、どちらかと言えば、彼女自身が自分が美少女である事を鼻にかけない性格であったこと······そしてなにより、運動能力や学力があまり優秀とは言えず、才色兼備には程遠い人物であった事が上げられた。
そう、あれは確か、彼女の転校から1週間ほどが経った放課後の図書室での出来事であった。
「まったく、1日に2度も俺の手を煩わせないでくれよ」
「すまない。何時もならば、高速で飛来する物体に対してインターセプトウォールが自律的に発動するのだが、以前のエクリプスナイトで枯渇したマナの効率的リジェネレイトの為にマナサーキュレイトを極小にしていた事を忘れていた」
「はいはい、回復の途中に設定の変更は出来ないから、今は魔法が使えないんですよね~。···ああ、ここ間違ってるぞ」
「···」
数時間前の体育での出来事を掘り返されたことに対して、いつもの様に魔法が使えないそれっぽい言い訳を口にする彼女を軽く流しながら、俺は彼女の解答の間違えを指摘する。
そして、それと同時に彼女からひどい点数のテストの答案用紙を取り上げ目を通す。
「まあ流石にこの点数じゃあ、転校から1週間といえど再テストになるか」
「······中学レベルの学力があれば、社会でも困る事は無い。それが私を育てた"教会"の方針」
「いや、こんなタイミングで現代っ子を晒すな。···それにいいか?学力っていうのはな自分がどれだけ努力できる人間かを示す1つの基準なんだよ。だから社会で必要とか必要じゃないとかじゃないの。分かるか?」
「···貴方って、意外とまじめ」
「意外で悪かったな······。まあ、とは言っても俺が勉強をするのは家庭の事情で奨学金が欲しいってだけだけどな。勉強出来る奴にはそんな特典もあるんだよ。だからほら、お前も頑張れ」
「家庭の事情?」
「ああ、普通にありふれたやつだよ。···ほら、人のこと心配してないで自分のに専念しろ」
俺は首を傾げながら尋ねてくる彼女の質問を軽くあしらい、彼女の解いていた答案用紙に再び、デカデカとバツ印をつけた。
「くっ、ここもなのか」
「ほら頑張れ」
俺と彼女はそんな感じの会話を繰り広げながら、再テストの日に向けて毎日、最終下校時刻ギリギリまで勉学に勤しんでいた。
そして、その甲斐あってか彼女の学力はなんとか合格ラインまで達し、その後に行われた再テストで見事に合格を果したのだった。
と、突然だが、ここで少しだけ彼女に関する情報を整理させてもらう。
超ド級の厨二病で容姿は優れているが運動音痴で勉強嫌い。
······これだけ聞くと、残念な面の方が多いようにも思えるだろう。
と言うか、実際にかなり残念であり、それは恐らく殆どの人物の共通認識で、変えようのない事実ではある。
しかし、彼女に変わって月並みな反論を言わせてもらうと、人間の大切な部分はそんな些細なことではないのだ。
俺が面倒臭がりながらも、彼女の世話を甲斐甲斐しく焼いているのにもそう思わされるきちんとした理由がある。
そして、きっとテストに合格する事が出来たお礼がしたいと言われて立ち寄ったファーストフード店でのあの会話も、その中の1つだと言えるだろう。
「私と契約を結ぶ事を了承してほしい」
俺が、彼女に奢ってもらったハンバーガーを口に運ぼうとした瞬間、向かいの席に座る彼女は真剣な眼差しで俺を見ながら、出会ってから計12回目のその言葉を口にし、俺は手に持ったハンバーガーと彼女を交互に眺めた。
「まさかこれを食ったら契約成立とか言う感じ?」
「!?······い、いや、それは日頃の感謝の印」
彼女はその手があったかと言うように、驚いた表情を見せるが、すぐに奢ったことに他意は無いことを告げた。
そして、お互いにハンバーガーを1口食したところで彼女が再び喋り始める。
「こほん、···確かに私が守ると言っても、貴方の安全を確実に保証する事は出来ない。それにルナシードたちも本能だけで動いている訳では無い。リボルターを優先的に狙ってくる奴もいる。とても危険である事は認めざるを得ない」
「···あのさ。人を誘う時はもっとこう。相手がやりたくなるようなメリットとかを多めに言うとか、そういう風な工夫はできないのかい?」
彼女の厨二発言よりも、彼女の誘い方が気になってしまった俺はそう訪ね返す。
「でも、リスクを伝えないのはいけない事だと思う」
彼女は至って普通の事を言っている様子で、不思議そうに俺を上目遣いに見上げた。
そう、これが俺が彼女を見捨てない理由というわけだ。非常に単純な事ではあるが、1番重要な事。
彼女は純粋で嘘が付けない、一言で言うなら単純に"いい子"なのである。
「······じゃあ取り敢えず、リスクの事は一旦置いておくとして、それをするメリットってなんなんだ?お前は何でそれをやってるんだ?金か?賞賛か?それとも力を誇示するためか?」
俺はご飯を奢ってもらったお礼に、少し話に乗ってやり、そのような質問を彼女にぶつける。
「違う。それは少し···下劣」
「下劣ってお前···じゃあなんでお前は命を危険に晒してまで、戦うんだよ」
「···私たちの人知れない活躍で明日もまた今日と同じ朝日が昇る···それだけでは不満?」
彼女はまたしても、さぞ当たり前の事を言っているかのように、首を傾げた。
「って、逆にお前すげーな。それだけで本当にいいのかよ!?」
「うん、いい。···いいはず」
設定とは言え中々に殊勝な心掛けだと、俺は彼女の言葉に少し感心しつつも、こう話を続ける。
「へー。でもさ、それだと俺を始め、大半の人は動かないぜ?何せ命がかかっているんだからな」
「···」
すると彼女は数秒間の間、押し黙りなにやら考え事をする。
そして。
「では、私の事を好きにしていい」
「っ!?ゴッホ!ゴホ!」
彼女の問題発言に俺は思わずむせ返り、自分が何を言っているか分かっているのか、分かっていないのか読めないポーカーフェイスな表情の彼女を見る。
「コホン。いや、そういう事じゃなくてさ」
「···難しい」
最初は酷く動揺し、その条件に多少のメリットと魅力を感じてしまった俺ではあったが、しかし結果として、理性が思いの外あっさりと勝利を治め、冷静に彼女の言葉を否定した。
と、これらのエピソードからも分かるように彼女は超ド級の厨二病であり、運動も勉強も苦手ではあったが、それでも純粋でいい子であった。
そして、それは異性である俺からのみならず、ほかの女子たちからも、概ね同じ印象を持たれていたように思う。
なので、これらから鑑みても、厨二病が発端で彼女がいじめ等にあっていて、それにより厨二病を辞めるという結論に至ったという事は考えづらかった。
······。
分からない。では彼女が何故、厨二病を辞めたいなどと言い出したのか。
クラスのみんなからもマスコットの様な扱いで、厨二病も受け入れられているし、ついこの間までは、嫌という程、意味不明なカタカナを言い連ねていた。
···っ!?
···いや、待てよ。そう言えばここ一週間程はあまりそういった言葉を聞いていない気がする。
それに"契約を交わしてほしい"とかも言わなくなった。
俺はそう思い至り、いつから彼女に変化が起こったのかを辿っていく。
そう、あれは確か、丁度1週間前の事だ···。
「今日は楽しかったありがとう」
「いや、どうってことねーよ。ああ、そういえば母さんがまた何時でも家に来ていいって言ってたぞ。俺と2人だと静かだからって」
俺の自宅を訪れていた彼女を無事に彼女のマンションの前まで送り届けた俺は、このシチュエーションに少し照れくささを覚えて、彼女から目を逸らしながら呟く。
「······そう」
しかし、それに対する彼女の返答は思いの外、乗り気でないような印象であった。
「ああ、やっぱり母さんがうるさ過ぎたか?ごめんな、お前とは合いそうもないもんな」
「いや、そういう訳ではない。とてもうれしい」
彼女は首を横に振り必死で否定し、そして笑ってみせる。
「そうか、それは良かった。母さんもずっと娘が欲しかった、みたいな事を言ってたから相当喜んでたぜ。だからお前が良ければまた何時でも来いよ···って、ああ、娘ってそういう意味じゃないからな!」
この頃には彼女は俺の中で"手のかかる妹のような存在"という認識になっていたため、なんの抵抗も無くそんな言葉を口にしてしまっていた。
しかし、俺が必死で否定した理由をイマイチ理解していない様子の彼女は不思議そうに首を傾げていて、それをいい事に俺は話題をすり替える。
「あ、ああ、そう言えば、さっき、母さんと2人で何か話してただろ?何話してたんだ?」
「······うん、ちょっとね」
彼女は歯切れ悪くそう言い、それから数秒間無言になる。
そして。
「貴方は羨ましい。あんなに素敵なお母さんがいて。とても大切に思われていて」
彼女は母さんとの会話の内容に触れることなく、そう呟く。
「なんだよ急に······んー、そうか?口うるさいだけだけどな」
「それは、愛されている証拠。······ねえ、貴方はもしも大切な人が世界の為に死を選ぼうとしていたらどうする?」
「なんだよ、その質問は」
「···」
俺は笑いながら質問を返すが、彼女は至って真面目な様子であった。
なので仕方なく、俺は彼女の質問を思い出し、大切な人のことを考える。母さんの事を、そして□□□の事を。
「そーだなー、世間的にはいい答えかは分からないし、お前は認めないかもしれないけど、"そんな事はお前がやらなくてもいい"って怒るかもな。自分勝手かもしれないけど、"誰か他のやつに任せればいい"って、そう言うと思う」
俺は彼女に小言を言われる覚悟で本音を語る。しかし。
「そうだね。······うん、とてもいい答えだと思う」
彼女は俺にそう言って笑かける。
そして、彼女の意外な返答に驚いている俺をしりめに、一方的に別れを告げると、マンションの中へと消えていった。
そして、この日以降、彼女は厨二病的な事を言うことが減って、俺と契約を結びたいなどと言わなくなった。
「···聞いている?」
俺は結局、彼女が厨二を辞めたがった決定的な証拠を掴めないまま、彼女の問いかけにより現実へと引き戻され、再び、彼女の真剣な表情と対面することになった。
厨二病からの卒業。これは本来はとても望ましい事だった。
しかし、彼女の厨二病の卒業が同時に俺からの卒業を意味している気がしてしまい、俺は自分勝手にもそれを阻止したい気持ちにかられてしまう。
そして、話をすり替えるべく、彼女の好きだった話題を振っていく。
「そう言えばあれだな、今日はお前が転校してきてから最初の満月だぞ?エクリプス何とかじゃねーのか?」
「···」
「···ふっ、何なら、この俺が力を貸してやってもいいぞ。くくく、2年ぶり位に右手が疼くってものだぜ」
俺は右手を抑えながら、演技で含みのある笑みを浮べ、彼女の顔を覗き込む。
しかし、そんな俺に対する彼女の返答は驚くべきものであった。
「貴方、その年になってそんな妄想はとても恥ずかしいと思う」
彼女は数秒間の沈黙の末、決意を固めた様な凛とした表情でそう言った。
「お、お前、本気なのか」
彼女の言葉に困惑しながらも、俺は冗談の様な口ぶりで返す。
しかし、目に入ってきた彼女の表情は尚も真剣なままであり、それにつられて俺の表情も真面目なものへと変わる。
「私の言っていた事は全て虚構、あなたと共に今日まで過ごしてそう有るべきだと気づいた」
「···い、いや、そんな急に変えなくてもいいんじゃね?ほら別にクラスの奴らともそれなりに上手くやれてるしさ」
彼女の決意とは裏腹に俺は最低にも厨二病を辞めることを思い止まらせようとする言葉を続けていた。
「うん、貴方のおかげでとても楽しかった。でもそれも今日まで、今日までにしなくてはいけない」
「お前は、···お前は本当にそれでいいのか?」
「·····確かに、その選択が私にとっていい事なのか、悪いことなのかは分からない。でもそうしたいと思った」
彼女はそう言うと、分かれ道を俺の家とは真逆の夕陽の沈む方へとゆっくりと歩いて行く。
「えっ?ちょ」
その背中を俺はただ眺める事しか出来なかった。彼女にそんな気は無いと分かっているが、"貴方は用済みだ"と宣告された様なそんな気持ちがしていた。
俺はそんな捨て犬のような心境で彼女の後ろ姿を見つめる。
切ないような、悲しいような、そんな感情が渦巻き、俺の気持ちは自分でも驚く程に落ち込んでしまっていた。
しかし、その時。
「もしあなたと共に普通に暮らしていく、そんな選択があったなら、私は嬉しく思う」
彼女は不意に振り返って、ポツリとそう呟いた。
「え?」
逆光で表情を窺い知る事が出来ず、確証は無いが、鈍感な俺でもその言葉の意味を、そして、厨二病をやめる本当の理由を考察すると急に頭が真っ白になってしまった。
しかし、こちらの頭の整理が追いついていないにもかかわらず、彼女は言うだけ言って、再び歩き出してしまう。
「えっ、ああ」
それに驚いた俺は彼女を引き留めようとするが、口を開いても言葉にならない声がもれるばかりであった。
しかし、何か言葉を返さなければならなかった。何でもいい、彼女を拒否している訳では無いと伝えられる言葉を···。
「また···明日、明日いつもの所にいるからな!」
不甲斐ない俺にはそれが精一杯であった。
そして、彼女は俺の言葉に再び立ち止まると、逆光でも分かる位に驚いた表情でこちらを見て、そして呟く。
「うん。···そうだね。また明日、会えると嬉しい」
そう言うと彼女は、次は2度と振り返る事は無く、歩き去ってしまった。
「ふう···」
そうして、取り残された俺はその場でただ立ち尽くしながら、自己評価でも、ギリギリ合格ラインだった言葉に対して誇らしい気持ちを覚えていた。
今はただ明日が来ることが、楽しみでならなかった。
その高揚は、紅く染まった街並みを、伸びた影を、センチメンタルな気分をかき立たせるそれらすべてを楽しげに映す程であった。
そして俺は、"明日、彼女に会ったらなんと言おうか?"とそんな事ばかりを考えて、沈み行く夕陽を数分のもの間、嬉々とした表情でただ眺めていた。
そう、明日もまた今日と同じ朝日が昇る事を信じて疑っていないが故に。