楯無明人/エストの特訓
エストさんとの特訓は当然、娘のウィルも随伴して行われる。
で、内容のほとんどが基礎トレーニング。とどのつまり走り込みや筋トレである。
『鍛える』と言ってもあっちの世界とやることはそう変わらない。トレーニングであえて筋肉の繊維を破壊して超回復で強くする。唯一違うのは壊された筋繊維を、魔法を使って超速で回復するくらいか。
つまり、通常だと三カ月くらいかかる肉体改造がものの数日で完了する。その点ではかなり効率は良いが、トレーニングの内容がまぁエグイ。スパルタもスパルタ。死ぬ一歩手前まで走らされる。いやほんと。
「おぉどうしたのじゃ。足が止まっておるぞアキト」
「どうしたもっ……ぜぇ……なにも……はぁっ……」
もうかれこれこのリヒテルのマラソンコースを百キロは走っている。しかも全速力かつスキル未使用の状態でだ。
準備運動がてらに筋トレして走って、休憩がてら筋トレして走って、また休憩がてら……みたいなループを永遠繰り返してる。普通死ぬ。死なないのは俺が思いのほか丈夫な人間だからだ。丈夫な子に産んでくれて有難う母さん。でも今は恨むからな。
「アキト頑張って! もうすぐでゴールだからさっ!!」
死にそうな俺の隣ではウィルが満面な笑みで俺を励ましてくれた。ありがとう天使様。
「もっとペースあげてこっ!」
すまんうそうそ。天使だと思ったら悪魔だったわ。デビルウィルベル様降臨だわ。つーかこいつ、俺と同じ距離走ってるにも関わらずうっすらとしか汗かいてないし、なによりめっちゃ上機嫌じゃん。どうした。
「いやーアキトと一緒に母さんの特訓を受けられるとは思ってもみなかったよ。ふふっ、すっごく楽しいなぁ」
「……さいですか」
なるほど分かった。なんで俺と一緒だと楽しいかはよく分からないけど、こいつが体力バカだという事はよぉく分かった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
地獄の走り込みが終了した。かれこれ四時間は動きっぱなしだった。
とはいえ、たった四時間で百キロ以上の距離を走れるなんてヤバくないか? 時速何キロだ? 計算がメンドクサイから深追いしないが、たぶん駅伝選手くらいは走れているはずだ。俺、この冒険を通して意外と成長してんだな。
エストさんがウィルにボトルの水を二本持たせ、ウィルはその内の一本を俺にくれた。
「はい!『超神水』って言って疲労の回復に適した飲み物だよ?」
「おぉ悪いな。つーかチョーシンスイ? ってめっちゃ神がかってんな名前が。すげぇ効きそうだ」
俺のペットボトルが微妙に飲みかけだったのが気になったがそんなことはどうでも良いとばかりに俺は貪る様に水分を補給する。
「んぐ……んぐ……ごく……っ」
「お、間違えて渡してしもうた。それはわしの飲みかけじゃ。間接キス成立じゃな」
「ぶふぉっ!?」
超神水が飛び散って超神がかり的な綺麗な虹を作った。
俺が悶えている姿を見てエストさんは腹を抱えて大笑いしていた。
「げっほっ……エストさんっ!!」
「わっはは!! おぬしやはりシグルドのセガレじゃな。狼狽える様がよく似ておるわ。ふっふっふ、さてはウブじゃな? 接吻もしたことがないのじゃろ?」
「か、からかうなって! そ、それになぁ! 俺だってキスくらいしたことあるんだからな!!」
めっちゃ嘘です。リベルタ新聞社でカヤにしたときは頬だったし、カトレアさんにされた時も頬だった。マウストゥマウスはしたことが無い。
じ、十七なんだから普通だろ!? ……普通ですよね? 俺別に生き遅れてないですよね?
で、俺のそんな嘘もエストさんには一瞬で見透かされてしまう。
「いいや嘘じゃな。おぬしからはシグルドと同じヘタレの匂いがする。おおかた、相手からされたが狙いが逸れた。あるいはキスせざるを得ない状況になったがヘタレてほっぺにでもした、といったところかの」
「見てたのかよ!?」
「当たったか! ほんと分かり易い奴じゃ!! イーッヒッヒ……あっはは!!」
お腹ねじ切れるんじゃね? ってくらい笑っているエストさん。何がツボなんだよ……。
「アキト、こうなった母さんはしばらく笑いが止まらないから放っておこう」
「くっ……馬鹿にされたままなのが悔しいぜ……!」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
エストさんの馬鹿笑いがおさまった後、彼女は俺にこう宣告した。
「アキトよ。おぬしは実戦経験がまるで足りておらんな」
「うそだろ……?」
俺めっちゃ頑張ったって。そりゃスライムに勝てなかった時代もあったけどもゴーレム倒したり魔王倒したり色々やったんだが。それなのに実戦経験が足りてないとか、嘘ですよね?
エストさんは『腕を組んで胸を張る』という彼女のスタンダードポーズをとりながら言う。
「では言葉を変えようぞ。おぬしは今まで『たった一人』で誰かを倒したことがあるか?」
「へ? え、えっとぉ……んー……えー……」
……ない? 待て待て、振り返れ俺。
とどめを刺したことは沢山ある。あの大トカゲだろ。黒いゴーレムだろ。夢殺しもそうだし魔王メレフもそうだ。その中でも最大の功績は救世龍アーケディア討伐だと思っている。
だが、振り返ってみても俺は本当の意味で『ソロ討伐』ということをあまりやったことがない事に気付いてしまう。あえて言うなら決闘大会のモルドレッド戦くらいか。
エストさんは答えを知っているのか、意地悪な笑みで俺を見ながら言う。
「ん? どうじゃ? 経験豊富じゃったか? それともアッチ方面と同じく経験貧弱じゃったか? ん? ん?」
にやにやとした顔がむかつくなおい。だんだん悲しくなっちゃいますよ俺。
「分かった分かりました認めますよもう! 俺は仲間と一緒じゃなきゃ魔物も倒せない男ですっ!」
「恵まれておるではないか」
「はい?」
急に真剣な声色になったエストさん。さっきまでおふざけムードだったのに急にこれだ。言動からなかなか本心が読めないなこの人。
「アキトよ。おぬしは恵まれておる。仲間に恵まれ、血筋に恵まれ、環境にも恵まれた。一人は孤独じゃ。たった一人で戦う機会なんて無い方が良いに決まっておる」
エストさんはその言葉尻に「だがしかし」と付け足してこう続ける。
「一人だけで戦うのはいい経験になる。仲間がいる時と違ってヘイトが常に自分に向く。それは気を抜く暇などないということじゃ。策を練ることもままならず直感や本能と己の自力のみが頼りとなる。よって、アキトよ。おぬしには今からたった一人で戦って貰う」
「ん? でも魔物は今いないんじゃ……」
「戦うのは魔物ではない。ウィルベルじゃ」
「僕っ!?」
ぱんと肩を叩かれたウィルベルも驚いている。
「ウィルベルと!?」
「そうじゃ」
いきなりの流れだったのでウィルも驚いていた様子で反論した。
「ちょ、ちょっと待ってよ母さん! アキトと勝負って怪我したらどうするのさ!?」
「治せばよかろう。イリスがおれば大概の怪我はたちどころに回復するのじゃろう?」
「そ、それはそうだけどさぁ」
とまぁこんな感じに何を言ったとしても流れは変わらなそうなので仕方なくその流れに乗ることにした。
「うぅ……ごめんねアキト。母さんの思いつきでこんなことになっちゃって」
「ほんとだよったく……だけどまぁ、折角の機会なんだ。楽しもうぜ」
「ほう、楽しんでもよいのか?」
と言い出したのはエストさんだ。ウィルが首を傾げながら答える。
「楽しんじゃだめなの? まさか本気でやり合えって言う訳じゃないよね?」
「本気で殺し合えとはもちろん言わん。じゃが、本気でないと修行にならんじゃろ? そこでだ、こんな罰ゲームを設けることにした」
「罰ゲーム?」
するとエストさんはニタァっとした笑みを受かべて俺たちに言う。
「勝った方が負けた方になんでも命令できる! わははっ! これに決まりじゃな」




