ロウリィ/野営の夜:兄としての一面
辺りは夜。夜行動物たちの鳴き声が遠くから聞こえる。
「ふぁ……眠いなぁ」
私は焚火の前でうとうとしているとシグルドさんがテントから出て来た。
「ロウリィ、交代の時間だ」
「あれ? 次の見張りはローゼリアさんじゃないんですか?」
「熟睡で起きる気配がない。まぁ、いつものことだ。寝かせておいてやるさ」
シグルドさんは私の隣に腰掛けた。
「どうした? もうテントに入っても大丈夫だが」
「あの……せっかくだから少しお話しませんか?」
私のその言葉に彼は優しい笑みを浮かべながら返す。
「あぁ、良いだろう。何を話そうか?」
私を助けてくれたあの時にあれほどの強烈な殺気を放っていた人と同じとは思えない温かいその表情。
「そうですね……私、シグルドさんのことがもっと知りたいです」
「俺の事を?」
「はい」
「何も面白いことはないぞ?」
「面白くなくていいんです。私が知りたいだけですから」
指で頬を掻くシグルドさん。
「あぁ、分かった。何が知りたい?」
「ローゼリアさんからシグルドさんは別の世界から転移して来たって聞きました。良かったらシグルドさんのいた世界のことを教えてくれませんか?」
私がそう言い終えるとシグルドさんは漆黒の空に輝く月を見上げる。
「俺のいた世界のこと……か。そうだな、話しておくのも一興か」
そして彼は話してくれた。ここではない別の世界の話を。
「俺はこう見えても一国の王子だった」
「え、シグルドさんが王子様?」
「見えないか?」
「いえいえ! そんなことは!」
「ははっ、良い。城の皆にもよく言われた」
またしても優しい笑みを浮かべながら言うシグルドさん。
普段の無骨で愛想の無い雰囲気とは大きく異なる印象を受ける。
「それで? ごきょうだいとかはいらしたんですか?」
「あぁ、歳の離れた妹がいた。アニエスという名前で、この国にその人ありと言われるほどの美女だった」
その時、シグルドさんの表情に少し影が落ちたのを私は見逃さなかった。これ以上妹さんの話を広げて良いものか逡巡しているとシグルドさんは自ら妹の話を続けた。
「アニエスはいつも俺の後ろをついて歩いていた。お兄様、お兄様と、パタパタ足音をたてながら、どこにでもついてきた。浴場について来たことだってある。夜になると俺の部屋に来ては絵本を読めとせがんで来た」
こんなに饒舌なシグルドさんは結構珍しい。
「ふふ……読んでやらないとどうしようもなく不機嫌になる奴でな。仕方なく読んでやっていた。半分もしないうちに眠ってしまうのが常だったが」
「慕われていたんですね」
「今思えば、そうだったのかも知れないな。今となっては確かめる術はないが……。なぁ、ロウリィ」
「はい?」
「不謹慎だと怒らないで聞いて欲しい」
「怒りませんよ。何ですか?」
シグルドさんは視線を上げ、私の目を見つめて絞り出すように、こう言った。
「大事な人の死は、どうしたら乗り越えられる?」
ぱちん、と焚火の火が跳ねた。
「大事な人……? もしかしてその……妹さんは……」
「妹だけじゃない。両親も、仲間も、たった1人の親友すらも、俺は失った。戦争でな」
シグルドさんは拳をぎゅっと握る。
「その事を俺は吹っ切れないでいる。この歳になってもまだ」
「それは……そう簡単に、吹っ切れることじゃないですよ」
「かもしれない。……正直に言うと、全てを忘れようとしたこともある。忘却こそが脱却だと考えたこともある。でも出来なかった。俺にはアニエスを……キールを……あいつらを、忘れることが出来なかった……いまこの時だって、あいつらの顔が!」
シグルドさんは私の肩を掴んでハッとした表情を見せ、そっと肩から手を離す。
そこにいるのは、山を割るほどの能力とスキルをその身に宿す『最強の男・シグルド』ではなく、ただの『シグルド』という1人の男性。
私は、そんなシグルドさんに言い知れない親近感を抱いた。
「泣けば良いんですよ」
「……泣く?」
「はい。胸に引っかかっているものが洗い流されますよ」
私は自分がそうだったことを思い出し、彼にそう提案した。それに対しシグルドさんは、胸に手を当てて戸惑うような表情を見せる。
「……久しく泣いていないからな。泣き方を忘れてしまった」
「そんなことってあります? じゃあ私が思い出させてあげましょうか?」
「どうやって?」
首を傾げるシグルドさん。
「秘伝のスパイスが鞄に入ってます。それを目にかけるんです」
「荒療治じゃないか!」
私は、シグルドさんの背負ったものの一端を知ることが出来て嬉しかった。
「ふわぁー……あ、すみません」
「寝ると良い、外は俺が見張っている。安心しろ」
シグルドさんはそう言って私の頭を撫でる。まるで、兄が妹にするのと同じ様に。
「はい、そうします。でも、寝る前にシグルドさんにお礼を言わせて下さい」
「お礼?」
「はい。お父さんたちの傷口を塞いでくれたの、シグルドさんなんですよね?」
私の家族が殺害された現場にはおびただしい量の血が流れたはずだった。
しかし、私が次にそこを訪れた時、その場には血が一滴も残っておらず、私の家族の遺体は丁寧に並べられていた。しかも、傷口が綺麗に塞がった状態で。
きっと何らかの手段でシグルドさんがやってくれたものだと瞬時に理解した。
「すごく、嬉しかったです。本当に有難う御座います」
私が頭を下げるとシグルドさんはまたしても空の月を見上げる。
「俺のこの力が役に立ったのなら、俺も嬉しい。そう言って貰える間だけ、無力だったあの日の自分を忘れることができる」
シグルドさんはそれ以降、視線を下ろすことはなかった。
「おやすみなさい、シグルドさん」
「あぁ、おやすみ、ロウリィ」
とても寂しそうなその背中に何を背負っているのか、私には計り知ることはできなかった。




