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Sレポート/再世記④

 封印から目覚め、リヒテルで暮らすようになってから早くも十数年の月日が過ぎた。


 レミィの【女神の加護】の効果は失われ、普通に年も取るようになった。


 中年と呼ばれる年代に突入して久しく、周りからはナイスミドルだと言われるが複雑な心境だ。



「サイナス、お茶を取ってくれぬか」


「丁重にお断り致しますキグナス王。目の前ではありませんか。ご自分でどうぞ」


「うーむ、優しくないなサイナスは」


「主君を甘やかすつもりは微塵もありませんので」



 キグナス王の下で働くのにも慣れた。


 この人はこの世界で最も強大な権力を持っているにも拘らずそれに偉ぶらず、王としてあるべき姿を貫いていた。しかし、中にはこんな一面も。


 俺は懐から本を取り出した。



「キグナス王、昨日掃除をしていた所、このような物を発見致しました。なるほど、キグナス王はこういう趣味がおありですか。男と女が縛り縛られ……嘆かわしい限りです」



 それはここリヒテルの書店で買うことのできるいかがわしい本だった。



「ほあっ!? さささ、サイナス!? それを一体どこで!? 絶対に見つからない場所に隠したのに!?」


「ベッドの下が絶対に見つからない場所というのは浅はかすぎます。こういうものは隠すならば本棚の中にして下さい。木を隠すなら森の中です」


「ほぉ、おぬし……さては達人であるな?」


「人聞きの悪い事を言わないで下さい。男として当然の嗜みです」



 王とこのようなやり取りをするようになるとは思いもしなかったな。公の場以外では友に近い関係であるのもまた意外だが。



「キグナス王、公務の時間です。早急に身支度を」


「うむ、しばし待たれよ」



 俺がキグナスの部屋を出ると、その先では数人の衛兵が束になって揉めていた。その渦中にいるのはあのカジオーだった。



「通してくれぃ! キグナスとサイナスに話があんだよ!」


「いくらあなた様でも許可が無ければお通し出来ません!!」



 あいつ……何を騒いでいるんだ……。



「通しても良いぞ」


「サイナス執事長!? 宜しいのですか?」


「うむ、ご苦労だったな。配置に戻ってくれ」



 俺の合図で散り散りになる衛兵たち。その場に残ったのはカジオーのみ。



「カジオー、一体なんの騒ぎだっ!?」



 カジオーはその暑苦しい腕で俺を抱きしめた。



「ぐっ……お、おい、苦しいぞ……!!」


「リアンが妊娠したんだよ!! 俺たちに念願の子供が出来るんだ!!」


「何!? それは本当か!?」



 カジオーとリアンはずっと子供を欲しがっていた。結婚して20年が経つが、なかなか子宝に恵まれず、諦めかけていた。


 そんな矢先の朗報だった。俺はこれもレミィの加護なのだろうと思った。



「やったなカジオー! これでお前も父親か! とても似合わないな!!」


「おうとも! たっぷり甘やかしてやんぜ! ってうるせぃ!! それはそうとキグナスの野郎にも伝えねぇと」


「中まで聞こえておるぞ」



 身支度を終えたキグナスが部屋から出て来た。俺は習慣でその場に膝をつく。



「よいよい、そう畏まるなサイナス。カジオーと3人、今の我らは立場の関係ない友人同士ぞ」


「は、つい……」


「キグナス聞いてくれ! 俺ぁ親になるんだよ!」


「うむ、これは実に喜ばしきことよな。名前は決まったか? リアンの体調は変わりないか? 美男子か? それとも美人か?」


「……キグナス、気が早いぞ。早すぎる」


「おっと、すまない」



 キグナスは襟を正して公務に向かうために踵を返す。



「サイナス執事長に休暇をやろう」


「は?」


「王の命令じゃ。喜びを分かち合って来い」


「……有難く頂戴致します」



 俺はカジオーに手を引っ張られ、工房へと向かった。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 カジオーの工房に戻るとリアンが普通に料理をしていた。



「あらあなた、おかえりなさい。それにサイナスも一緒だなんて。公務はどうしたのですか?」



 妊娠4か月、まだお腹は膨らんでおらず、言われなければ子供を宿している様には見えない。が、何故か既に母親のオーラを微かに纏っていた。これに関しては俺の先入観なのかも知れないが。



「カジオーに無理矢理休みを取らされた。今日の分の日当はこの工房に請求させて貰うからな」


「あらあら、それじゃあ夕飯を一緒に食べましょうか。それでチャラですね」


「なるほど、まぁリアンの美味しい飯ならそれで手を打とう」


「てめぇは味覚が崩壊してんだから何食べてもおんなじだろうが。かぁー残念だねぇ、リアンの飯はうめぇのによぉ。こないだも余所から来たくそまじー酒をがぶがぶ飲んで満足してたろ」


「そんなに不味かったのかあの酒……おのれレミィめ、お前のせいで変人扱いされているではないか……」


「レミィとは誰の事ですか?」


「あ、いや、気にするな」



 味覚クラッシャーめ、教会で愚痴ってやるからな。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 その日の夜、あれだけ大口叩いていたカジオーは浴びる様に酒を飲んでソファーでいち早く寝てしまった。ふんぞり返って大きないびきをかいている。だらしがない。



「まったく、この人はいつもこうですね」



 リアンは寝室から持って来た敷物をカジオーに被せた。



「これだけ豪放磊落を体現した人物が夫だと苦労するだろうな」


「はい、とっても。いつも苦労させられてばっかりで」



 と言うリアンの顔からは笑みが零れている。



「私、元々は隣の大陸の商人の娘だったんです」



 リアンはカジオーとの馴れ初めを語り出した。



「父に連れられてこの工房に訪れた時に主人が私に一目惚れをしたらしくて。大雑把だし向こう見ずだし、最初は眼中になかったのにな……それが、ふふっ……こうして夫婦になっているのですから不思議ですね」



 リアンは自らのお腹を優しくさすった。



「サイナスも聞きました? 子供の事」


「あぁ、そこのいびきをかいている大男が血相を変えて城にまでやって来たからな」


「それはそれは、迷惑をかけましたね。とは言っても、いつもの事でしょうけど」


「ははっ、まったくだ。それにしても、2人が親になるのか……不思議であると共に、とても温かい気持ちになるな。愛すべき者との愛の結晶、実に素敵だ」


「なんか詩人っぽいですね」


「似合わないか?」


「いいえ、あなたらしいです。サイナスはまるで、別の世界から来たかの様に浮世離れしていますから」



 本当に別の世界から来たどころの話じゃなく、この世界は俺が創ったと言っても信じて貰えないだろうな。あぁ、親しい間柄で打ち明けられない秘密があるのはもどかしい。



「ねぇサイナス?」


「なんだ?」


「レミィっていうのは大切な人ですか?」


「……なぜそんなことを聞くんだ?」


「初めてここに来た時にその名前を出してうなされていたので。それにさっきもそうですが今でも口にすることもしばしばあります。記憶喪失になっても忘れられない大切な人なのではと思ったのですが……違いますか?」


「……違わない。レミィは、俺の大切な人の名前だ」



 酒に酔っているからか、あるいは相手が親友の妻で心を許しているからか、俺は今まで誰にも話したことのない気持ちをリアンに打ち明けた。



「レミィはお転婆な女性だった。落ち着いた言動とは裏腹にチャレンジ精神に溢れ、毎晩毎晩得体の知れない食材を用いた料理を作ってくれていた。毎日が未知との遭遇だった。ふっ、おかげで俺の味覚は破綻してしまった」


「それなのに嬉しそうに喋るんですね?」


「あぁ、この崩壊している味覚こそが、俺とレミィが繋がっていた確たる証拠だからな。年々記憶は曖昧になっていく。あんなに幸せだった日常すら既に断片的な映像としてしか思い出せない。生きていくのが辛くてあの時は自ら命を絶とうとした……けど、それをお前に救われた」


「後悔してはいませんか? 生きるという決断をして」


「するわけない。おかげでリアンとカジオーの子供を見ることが出来る。こんなに幸せなことは無いよ」


「そうですか。ふふ、良かったです。早くこの子の顔を見せてあげたいわ。きっと、男の子でも女の子でも、父親に似て豪快な子に育つはず」


「カジオーみたいな女の子か。それは大変そうだ」



 それから半年後、リアンは女の子を出産した。


 グリヴァースで『愛』を意味する『ミーア』という言葉から取って、彼女はミアと名付けられた。



「あなたはミア。私たちの大切な宝物よ」


「うぉおおおお!! 産まれたぁああ!! かぁああわいぃいいい!!」


「うるさいぞカジオー! お前が泣くな!!」


「まぁよいではないかサイナス。子よりも大きな声で泣く親がいても」


「キグナス、それよりも例の本、隠し場所がまだまだ甘いぞ。あと、趣味が変わったな。人妻は良くないぞ」


「なっ!?」



 こうして時は緩やかに進んでいく。


 忍び寄る不穏な足音にも、気付かぬまま。



【外伝】Sレポート 第三の人生……終幕

次回から再びシグルド編に戻ります。最終決戦前最後の日常編です。

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