イリス/喪失の先に
ずっと同じ言葉が頭の中で回っている。
『えっと、どちら様ですか?』
大事な人からの無慈悲な言葉。
「約束………したではありませんか……」
旅が終わったら会いに来てくれるって。姉妹の契りを交わして一緒に住むって、約束したではありませんか……ロウリィさん……。
約束が無かったことになるだけならば、まだ耐えられたかもしれない。でもあれではまるで、わたくしの存在がその記憶からすべて無かったことになっているかの様だった。
そんなにわたくしの事を忘れ去りたいと思っていたのでしょうか。大事な約束だと思っていたのは、わたくしだけだったのでしょうか。
「……こんなこと、している時ではないのに……わたくしときたら……」
アキトさん達がリヒテルを出発してもうすぐで丸一日が経とうとしている。目的地は黒の洞窟。シグルド様が出された大規模討伐クエストの討伐隊に加わっており、本来であればわくしもそこに加わるはずだった。
でも、足が動かない。頭が重い。何も考えたくない。
カヤさんはわたくしに言いました。『無理をしないでゆっくりと休んでいて』と。結局その言葉に甘えてはしまったけど、わたくしはパーティの回復の要。本来であれば無理をしてでも行くべきでした。
「パーティメンバー失格です……」
そうやって部屋の隅で膝を抱いていると、すぐ隣に座っている彼女がわたくしの頬に触れました。
「……大丈夫?」
そう、エーテロイドのアテナです。彼女はわたくしが心配だと言ってこの場に残ってくれたのです。
「すみません、アテナ。お見苦しい所をお見せしてしまいましたね」
「気にしないで良いよ。アテナはずっと傍にいた。あなたのそういう所もよく知っているから」
アテナはわたくしの服の袖をそっと掴む。この子が目覚めてから数日。当初に比べると本当によく喋る様になりました。
「ねぇ、イリス」
「なんでしょうか?」
「ロウリィを責めないであげて」
アテナはロウリィさんを呼び捨てで呼びました。まるで親しげな雰囲気を纏って。わたくしは気になって問います。
「アテナ、あなたはもしかして、ロウリィさんとお知り合いなのですか?」
「……分からない。でも、そうだって、心が訴えている。頭がまだ正常に動いていない今では正しい答えは導けない。ただ……」
アテナはわたくしを見つめます。
「ロウリィがああなってしまったのは、仕方がないこと。ロウリィだけじゃない、リーヤも、エストも、そう。元凶は、リサと同じ」
それは六賢者の方々の名前です。リサさんと元凶が同じという言葉も引っかかります。
「その言葉の真意は?」
「……それも、分からない。頭の中の意思がそう言えって言ってた。アテナは……あれ、アテナ? おかしい……アテナは……」
アテナはぴたりとフリーズして壁を一点に見つめる。
「アテナ? 大丈夫ですか?」
「……少しだけ、待ってて。情報を、処理しているから」
アテナは数回の深呼吸を挟み、目を瞑る。
そして次に目を開け放った時、彼女はわたくしにこう言います。
「追いかけよう」
「え?」
「アキト達を、追いかけよう。彼らに強大な悪が近づいている。絶対に、あなたの力が必要になる。アテナには分かる」
「どうしてそんなことが……」
「だってアテナは、天才だから」
その時のアテナの眼差しには自信が満ち溢れていました。自分が天才であると信じて疑わないこの姿勢……これが本当のアテナ?
「……分かりました。ここで萎れている場合ではありませんね!」
「その意気だよ。アテナも一緒に行く」
「危険ですよ?」
「大丈夫。アテナは強いから」
「強い……? と、とにかくわたくしの後ろにいて下さいね」
わたくしとアテナはリヒテルの宿を飛び出ます。えっと確か黒の洞窟は東側の門から出なければ……。
「待て!」
「え?」
誰かに呼び止められるなんて思いもせず、慌ててそちらを振り返ります。
そこにいたのはあの女性でした。特徴的なのは真っ赤な髪と金槌を模したネックレス。瞬間的にわたくしの【聖眼】が反応します。
「あなたは……ミア・ハンマースミスさん? なぜここに?」
「得体の知れない悪寒がしてな。ピンチというやつだろ?」
「え、えぇ。でもなぜ?」
「うちにも分からない。ただ、アキトのあの武器がうちを呼んでる気がするんだよ」
「光剣フィクサが?」
「あぁ。あとコイツも朝からずっとざわついててな。気味が悪くて仕事どころじゃないんだ」
ミアさんはネックレスサイズに縮小させている魔鎚スピリタスに触れる。
「先ほど、この子も気になることを言っていました。強大な悪が近づいていると」
「強大な悪ね……って、そいつは?」
「エーテロイドのアテナです」
アテナはミアさんに小さくお辞儀をする。
「アテナ……エーテロイドって言えばルミナさんの作った機械人形だよな……髪の色は違うがよく似てるな、ルミナさんに」
「アテナが?」
「あぁ、うちも小さい時には世話になったよ。あの底抜けな明るさには何度も励まされた。って、こんな話してる場合じゃないのだろう? 行こうか」
「え、行くって……ミアさんも!?」
「おうともよ! これでも普段から素材は全部自分で調達してるんだ、腕っぷしには自信がある。場所はどこだ?」
「黒の洞窟です」
「最東端の? 遠いな……急ごうか」
こうして、わたくしたちはアキトさんたちの後を追うことにしました。




