シグルド/仲間との日常:エスト
リーヤとの狩りを終えて宿に戻るとローゼリアが俺の所にやって来た。
「ねぇシグルド、エスト見なかった?」
「エスト? いや、見てないが?」
「そっか。今日の掃除当番エストなのに。あ、さては……大変だから逃げたな? お仕置き決定だね」
「まぁ待て、探してくるさ」
俺は宿を出てエストの気配を辿る。竜人の気配は人のそれとは僅かばかりに異なる。だがその僅かな違いがかえって目立つ時もある。つまり、これだけ多くの人間の中でほんの少しだけ突出した気配を持っている人間を見つけるのはそう難しくない。
「む? おぉシグルドか」
エストは王都の川辺で釣りをしていた。日よけの帽子まで被って呑気なものだ。
「おぉ、じゃない。ローゼリアが探していたぞ。掃除当番をサボったと怒っている」
「ふむ、それはいかんのぉ。あやつを怒らせたら別次元に幽閉されそうじゃ」
「分かっているのなら早急に」
「んんっ!? 待てシグルド!!」
エストは釣竿を握る力をより一層強くして立ち上がった。
「かかった!!」
「かかった? なにが?」
「おぬしは阿呆か!? 魚に決まっておろう!」
エストがそう言った瞬間、水面に大きな飛沫が上がり始める。その飛沫の大きさだけでそれが普通のスケールの魚ではないことが分かった。さらに引く力も相当に強い様で、あのエストが川に引きずり込まれそうになっている。
「くっ……なんという力じゃ……!! シグルド! 手伝え!!」
「て、手伝う!? その竿を持てば良いのか!?」
「そうじゃ! わしに代わって竿を持て! よいか? 絶対に逃すなよ?」
俺はエストから釣り竿を受け取る。
「ぐっ!? なんだこの力は……!? 水竜でもいるのか!?」
引きずり込もうとする力に精一杯抗っている傍らで、エストが服を脱ぎだした。
「ばっ!? 何をしている!?」
「着衣のままでは効率が落ちる。では行ってくるぞ」
肌着になったエストは川に飛び込んだ。
「あぁおい!? くっそこいつも力が強いな……!!」
気を抜いたら体ごと持って行かれそうだ。
「ぐぬっ……ぐおぉおおおー!!!」
俺が懸命に竿をしならせている光景が特異に映ったのか、見物客が集まり始めていた。「主だ」とか「頑張れあんちゃん」とかそんな言葉を掛けられてはいるがそれに答える余裕すらない。
次の瞬間、ぴしっと竿に亀裂が入り始めた。
「ま、マズイ……!? 竿が!!」
そう言った次の瞬間にはべきんという音と共に竿が真っ二つに折れた。腕にかかっていた力が消失し、俺は後ろに激しく転倒する。
「く……腰を打ったぞ……。それよりも魚は……」
水面は先ほどとは打って変わって穏やかである。逃げられた。そう思った次の瞬間、まるで水中で爆発でも起きたのではと思えるほどの巨大な水柱が上がる。
その音のすぐ後、肌着姿のエストが水面から顔を出した。
「ぷはぁ……まったく、ちゃんと握っておれとゆうたじゃろ? 危うく逃げられるところじゃったわ」
その右手には巨大な尾ひれを握っている。
「お、おい、その右手に握っているのはなんだ?」
「ん? これか?」
エストは力任せにそれを川から引き揚げる。
それは金色の鮭だった。大きさは3メートルほどあるだろうか。
「デカいな!? というか川に鮭だと?」
「海と繋がっておるからの、遡上の最中じゃったんじゃろ。さてと」
エストは捕えた鮭を担いで市場の方へと向かおうとする。
「どこにいく?」
「売りに行くのじゃよ。資金調達も生きる上で必要じゃろ?」
結果、途轍もない金額でそれは売れたらしい。
「ん? それにしても何かを忘れているような……」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ミイラ取りがミイラになってどうすんよっ!?」
宿に帰ると早々にローゼリアの雷が落ちた。
俺とエストは玄関で正座をさせられている。
「返す言葉も無いな」
「当然でしょ!? 言葉を返そうもんなら別次元に幽閉するところだから」
それをくつろぎながら聞いていたリーヤが「おーこわ。お前ら、飛び火する前に逃げるとしようぜ」と言ってロウリィ、シズク、ルミナを引き連れて2階に上がって行った。薄情な奴らめ……。
「まぁそう怒るなローゼリア。吉報がある」
「吉報?」
エストはローゼリアに何かを耳打ちした。
「え……えぇっ!? 5千万ガルドぉおおお!?」
「しー、声が大きいぞ。あの魚は超激レアだった様でのぉ。その金はこの宿の生活費にしてよい。どうじゃ、掃除をサボったことを帳消しにしてはくれんか?」
エストはそう言って俺にしか見えない様にぱちんとウィンクした。エスト、お前ってやつは……。
「えぇーどうしよっかな……それだけあればキッチンの改築が……じゃなくて! それとこれとは別!! いいから掃除する!!」
「すまんシグルド、失敗した」
「無念……」
俺たちは遅ればせながら掃除を始めることにした。
「あ、そのお金ちゃんと口座に入れといてね。厳重に管理するから」
そしてあいつは相変わらずの守銭奴ぶりだな。笑える。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ふぅ、こんなもんかの」
「そうだな」
掃除を終えて一息つくことにした。
エストはベッドに腰掛け、俺はその前の丸椅子に腰かけた。
「それにしてもあれから2人増えて今では7人が同じ屋根の下ぞ。いやはや、よもやこんな形に落ち着くとは思わなんだ。穏やかな日常もまた良いものじゃの」
「少々騒がしい日もあるがな」
「日もある、ではなくて毎日の間違いじゃろう?」
「ははっ、確かにな。出来ればずっとこうありたいものだ」
俺がそう言うとエストはぽつりと呟く。
「のぉシグルド。もし、もしじゃよ? もしわしが戦で死んだら悲しんでくれるか?」
その言葉を聞いた瞬間、胸がずきりと痛んだ。
「……あまり良い質問だとは思えないが?」
「いやすまぬ。失言じゃったか。じゃが、ここ最近のおぬしを見てるとどうにもそんな様な事を考えてしまうのじゃよ。……起きるのじゃろ? 大きな戦が」
「っ!? なぜそれを……」
「むしろ、隠しているつもりじゃったのか? 新入りのシズクやルミナはどうかは知らんが、長く一緒にいる奴らは恐らく気付いとるぞ。少なくとも、安穏とはしておらぬ。内心ひやひやしとるよ。じゃからロウリィもぬしを誘ったのだろう」
「見ていたのか?」
「わしが遊んどる場に来たのはそっちじゃろ? で、さきの質問じゃが、わしが死んだら」
「悲しまない訳がないだろ! いや、そんなことはさせない! 俺がこの命に代えてもお前を死なせないからだ!」
俺は無意識に大声を出していた。
「あ、いや……すまん。大声を出してしまって」
「構わん。お前さんの気持ちが聞けて嬉しかった。これでわしも、自分の命を賭けることが出来る」
エストは拳をぎゅっと握って俺に突き出した。
「命は平等じゃ。誰それの為に賭けるのも勝手じゃが、同程度の見返りを求めてもばちは当たるまい。シグルド、お前はわしを命に代えても守ると言った。相違ないか?」
「あぁ」
「ふむ、では約束じゃ。拳を」
俺はエストに言われるがまま右手を突き出す。
「拳を合わせるのは、竜人族における契りの所作。確固たる決意が無ければ出来ん仕草じゃ。シグルド、ぬしは誓うか? わしを守り、仲間を守り、かつ自分を守ることを」
「あぁ、この右手に誓う」
こつん、と俺たちは拳を合わせる。
「よろしい。では頼むぞ、シグルドよ。わしもその時はおぬしを命に代えても守るからな」
「あぁ、頼りにしている」
仲間との約束は、一つ一つ積み重なっていく。




