薩摩にて
おどま薩州薩摩のぶにせ。
実は作者の記 平太は鹿児島市在住。なので、ちょっとは土地勘(大隅には疎いけど)がある。その土地勘で征西将軍宮懐良親王が薩摩上陸した後の展開を妄想しよう。
まずは親王の九州制覇のスタート地点は史実通り薩摩の谷山城から。瀬戸内から九州渡って大宰府制圧を目指すのなら大分スタートの方が近いんだろうけど、豊前だか豊後だかは北朝勢力が強くて割り込むスキがなかったんだろう。大隅には肝付氏など南朝勢力が頑張っていたようだから別に大隅スタートでも良さそうな気もするけど、ここは素直に薩摩谷山スタートとする。
薩摩における最大の敵はやはり島津だろう。親王たちは主に南薩に多い反島津勢力の加勢を得て島津と戦っていくことになる。
が、作者が今妄想している主人公は、ノースサイド御大の作品(B○○K○FFで上巻だけは買った)のように実に漢臭く武士っぽい牧宮懐良ではなく、戦争よりも内政に力入れたいタイプなので、反島津勢力に担がれてもすぐに島津を攻めることはしない。
しばらくは攻められても負けないように防備を固めつつ、内政チートやら技術チートに精を出したい。
まずは前回「瀬戸内で研究する」としたコンクリート(作中名:混繰土)で城や街道を整備。
九州は山がちな地形で特に薩摩には平地らしい平地はほとんどない。せいぜい出水や川内ぐらい? 出水にしろ川内にしろ薩摩北部だ。谷山から九州制圧を始めたばかりの牧宮(以降ノースサイド御大の表記に倣う)にはしばらくは手の出しようのない土地だろう。その山がちの地形、騎兵である武士が行軍するにはルートが限られるのではないか? そこでこちらの牧宮は騎兵ではなく歩兵を重視しようと思う。
山歩きに長けた山伏の家臣指導の下、山岳警備隊のような部隊を作る。レンジャーとか野伏とかゲリラとかそんなイメージで。そういえば元々は楠木正成もそんなイメージがあるな。楠木由来の家臣がいても良いな。ただ正儀がいる以上、正成遺臣の大半はそっちだろうけど。戦上手だけど和平派の正儀さんとはうちの牧宮も良い関係を築いていきたい。
うちの牧宮の戦略は九州に一定の勢力を作り、元から明へ変わる混乱の中国や李成桂登場前の朝鮮、三山時代の琉球などに船を出し交易などしつつ汎東シナ海国家成立を目標としたいので、日本国内の内乱などには早急にケリを付けたいし、長引くようなら距離を置きたい。その意味でも正儀さんとは仲良くすべきかな。
敵は足利ではなく朱元璋なのだよ。牧宮とは一歳違いらしいので、ライバル関係にちょうど良い。
朱元璋と争うようになるのはまだまだ先の話で、まずは島津を下すことを考える。
瀬戸内にいた頃に黒色火薬(及び硝石)の開発に成功している設定なので、それを大々的に使っていこう。陶器の瓶や竹筒に火薬と釘などを詰めて導火線つけた手投げ爆弾ぐらいならすぐに作れそうだ。前述したレンジャー部隊に持たせよう。傘下(同盟?)の土豪たちの軍勢を正兵として進軍させた場合、迎え撃とうと出て来る敵兵の進軍ルートは地形が制限されるだけに予測しやすいのではないか? ならば、街道沿いの山から奇兵たるレンジャー部隊で襲撃出来ないだろうか?
個人携帯の小火器は難しいにしても大砲なら作れそうだ。谷山近くの錫山街道辺りではその名の通り錫が採れたらしいので、銅があれば青銅砲を配備出来そう。仏郎機だか子母砲だかを配備したい。ただ当然ながら重いだろう。そう簡単に移動出来ないだろう。基本は城の守りや船(大型の蒸気船が登場出来るのはもう少し先だろうが)に積んで使うのだが、一応野戦での活用法を考える。
城の防備で使う。これを拡大出来ないだろうか?
城の外に新たに城や砦を作る。新たに作られた城砦に物資を移動させて、またその外に城砦を作る。混繰土などを用いて各城砦間の整備を行い、あたかも城が拡大するかのように、城が移動するかのように少しずつ前線を押し上げる戦略だ。元々そこらじゅうの山に城があったようだし、味方の城はこの城砦ネットワークに組み込めば良いし、敵の城も落とす手間があるだけで利用は出来る。常に補給が出来る範囲での前線押し上げなので、大砲の移動も(重さ故に面倒ではあろうが)スムーズだろう。いわゆる付城のように、落とすべき敵の城の前に自分の城を持ってくる戦略だ。付城までいかなくてもトーチカぐらいは築きたい。
この着実に少しずつ前線を押し上げていく戦略をうちの征西府の基本戦略とする。
内政の方は、鉱山開発して交易頑張るぐらいか? ただ鹿児島で有名な金山は菱刈にしろ串木野にしろ北部。しばらくは手を出せない。そもそも菱刈は大隅だし、牧宮の初期配置である谷山から見たら島津の本拠地の向こう。少なくとも東福寺城を落とさない限り菱刈金山には手は出せない。一宇治城の伊集院忠国が宮方なので、串木野はまだ手を出しやすいかも知れないが、どちらにしろしばらくは無理だろう。ウィキペディアの「日本の鉱山一覧」というページを見ると知覧や枕崎でも金銀が採れるようなので、そちらの開発をまずは進めるべきだろう。
知覧といえば現在ではお茶の産地として有名だ。茶自体は当時もあったようだし、茶の栽培を促進しよう。当時はまだ煎茶は一般的ではなかったようだが、煎茶を作り広めたい。各地の寺院などを顧客にするべくPRしよう。
他に鹿児島の名産といえば俗にサツマイモと呼ばれている唐芋があるが、当時はまだ中国にも伝播してない状況(まだ南米大陸から出ていない?)なので栽培促進は不可能だ。残念。唐芋がないってことは芋焼酎も作れないのでスルー。焼酎自体は奄美や琉球の方へ行けば黒糖焼酎が作れるだろうけど。
そんなこんなで新技術や鉱山の開発を進めつつ、交易で力を蓄え、一歩ずつ着実に薩摩や大隅に勢力圏を広げていく。それがこの時期の牧宮たち征西府とする。