3話 摘み取る
俺は全身の力が抜けたように手を地面に着け、座り込んでいた。
顔は下を向き冷や汗が出ていて、目は地面を見たまま縦横無尽に動き回っていた。
もう一度上を向き、AAS患者の顔を見る。
だが、現実は変わらなかった。
「ユウ…セ…イ…ゲン…キ…ナカッタ…カ…ラ…」
母はその一言だけを発し俺の顔を両手で触れた。
そんな俺の顔の涙袋には涙が溜まっていた。
「ち、違う…か、母さん…俺は…あの時…俺は…!!」
「やめろ小僧!!もうそいつに理性はない!!過去の強い未練を語っているだけだ!!」
蓮田さんはふらついた足で立ち上がろうとしている。
俺は蓮田さんの方を向いてただ呆然としていた。それは蓮田さんの放った言葉を真剣に受け止めたからでも、立ち上がろうとしているのを心配しているからでもない。
ただ音が鳴った方向に、声が聞こえた方向に向いたとき、力が抜けたからだった。
もう母の方に振り向く気力さえ失くした。
疲れた
ただその一言でまとめられてしまう状態だった。
だが、蓮田さんの言うことは正しかったのかもしれない。
母はその不意を突き、俺に拳を入れようとして後ろに手を引っ込めた。
だが、ずっと蓮田さんの方を見ていた俺は気づかない。
ただ蓮田さんが何かを叫ぼうとしてこっちに走ろうとしている。
瞬間、俺は吹き飛ばされた。
建物の出入り口に相当するあたり、俺と蓮田さんが待機していたあたりの壁に当たった。
だが意識ははっきりとしている。
それに立とうとすれば立てるくらいの力は残っている。というか、顔はおろか背中以外目立った外傷はなく、ワクチンのおかげかもしれないが痛みもそれほど感じない。
「なんで…」
「よかったわね。さすがにワクチンを打っていたとしてもあの距離でまともにくらってたら全治何ヶ月でしょうね」
そういって来たのは、黒髪でいて髪はショートカット、左右にちょこんとくせ毛がある女性。赤縁の眼鏡をかけている。おそらくU小隊の1人だろう。
すると蓮田さんがいるほうから聞き覚えがある声が聞こえた。
「美咲、蓮田さんとあんたの前にいる無能をヘリまで連れてって」
「わかったわ、立てる?無の…神川君?」
そういって冗談交じりの笑顔で美咲さんはいってきた。
「立てますよ」
少しむきになったような声色で返した。
少しばかり背中が痛むが我慢すればなんとかなる程度だった。
「蓮田さん運んで来るから先行っててね」
「…了解です」
そして俺はその指示に従いこの建物を出ようとした。
だが、ふと脳裏によみがえる母の記憶。振り向くと美咲さんは蓮田さんを背中に、レプリカは母、AAS患者と戦っていた。
何年も忘れていた記憶。俺は母に謝りたかった。
母が聞きたかった言葉。それを聞かせる前に俺は逃げた。
俺が妹の喜ぶ顔が好きなように、母も俺達の喜ぶ顔が好きだったのだろうか。
そんなことを思っていると次第に俺の足はレプリカの、母のいるほうへ向かって歩いてゆく。
「…なに…やってんだか…まぁうちにもこんな…孫が…いればなぁ…」
蓮田さんは俺の方を見続けて、声が途切れながらも言った。
「ちょっと神川君!!なにやってんの!!」
蓮田さんを背中に背負ったまま、美咲さんは言う。
だが、俺はそんなことも無視して、いや周りが見えてないだけで俺は母の方へ歩いていく。
「…!!」
レプリカが俺に気づいた。それと同時に母もレプリカとの戦闘をやめて俺の方へ向かってきた。
「母さん、俺…」
「なにしてるの。」
レプリカが聞いてきた。
それでも俺は話を続ける。
「あの時のこと忘れたいと思って、それで…」
「ねぇ、聞いてるの。」
レプリカはまた一歩俺に近づく。俺は気にせずに続けた。
「ごめん、自分勝手だった。全て忘れたら楽になる、そんなこと無かった。結局俺はこうやって母さんに会って…」
レプリカは足早に俺に向かってきた。
「それと母さん、俺が元気ないからって連れてきてくれたよね…まぁそれがこんな薄暗い島なのはどうかと思うけど」
俺は少し笑いながら言った。母はまだゆっくりと俺の方へ歩いている。
レプリカは母とすれ違う瞬間、足に蹴りを入れた。母は右足、左足と、順に足を着き地面に倒れた。
起き上がろうとするが、もう右足が使いものにならないような状態だった。
レプリカは表情ひとつ変えずにこちらへ向かってくる。
そんなことが起きようと俺はまだ話を続ける。
「だけど母さん、俺はあの時言えなかった」
少し震えてきた右手を左手で抑え、拳をぐっと握った。
そして、俺は歩き出した。
母さんの方へ。
レプリカは俺が動き出したことに驚いていた。
「ちょっと!!レプリカ!!その子を止めなさい!!」
「やめとけ…小僧の…根性を見る…いい…機会じゃねぇか…俺も…見るとするかな」
「ですが蓮田さん!!…」
蓮田さんに何を言っても無駄だと悟ったように、美咲さんは無理に止めようとしなかった。
「今言っても遅いかもしれないけど…」
そういって俺は母の目の前に立った。母は顔を下に向けたまま、立とうとしていた。
そして、ずっと同じ言葉を繰り返し言っていた。
「ユウ…セ…イ…ゲン…キ…ナカッタ…カ…ラ…」
「もう何年もたってるんだよ」
母の言葉は無慈悲なものだった。ただ淡々とその言葉を繰り返すばかり。
だが、俺はその言葉に対して微笑みながら答えた。
昔のような無邪気な笑顔も作れない。ましてや今となっては妹の姿もない。
それで満足してくれるのだろうか。
「だから…」
俺は近くに落ちていた鉄パイプを持った。
「だから…」
そしてその鉄パイプを片手で振り上げる。
「ありがとう。」
鉄パイプは胸、心臓の部分に突き刺さり、血が飛び散った。
生命活動を停止したであろう母の体は、力が抜けるようにしてだらけた。
俺は深く刺さった鉄パイプを抜いた。母の体はそのまま地面に落ちた。
「最後だけ決めて手柄をとった気なの。」
レプリカは俺がいる方向とは違う方向を向いていた。
「俺はお前が嫌いだ」
「そう。よかったわ。」
俺はそれ以降話すことなくヘリに戻った。
「作戦成功、これより帰還します。」
冷酷な声が無線機から聞こえた。