31話 …そして…さようなら
そう、衝撃に耐えられなかった肉体は魂を維持する力さえ失い、やがてその肉体は朽ち、魂が抜け落ちる。
俺の目の前にあるモノがそうだ。
魂の抜けきった肉体。その姿は酷く痛々しく、見ているだけでも苦しい。
流石に戦い慣れている二人でも、このような状態のモノは見たことがないらしく呆然としていた。
レプリカは焦るような表情を見せたが、それを振り払い、切り替えて俺の方を見る。
「もう一体の行方は」
そう問いかけられるが俺は、言葉を言わずに首を横に振った。
俺の返事がレプリカに届くと、彼女はまた視線を抜け殻に戻す ― その時だった。
突然現れる人影。その人影は俺と蓮田さんの間を横切る。俺と蓮田さんの間にいたはずのレプリカは、人影が視界から外れたと同時に俺達の視界から姿を消した。
一瞬の出来事に戸惑う。
わけもわからずにいたが、とにかく影を追いかけようとした。
その先にはレプリカが倒れていた。俺は思わず駆け寄った。
「おい、しっかりしろ!!」
レプリカは目を瞑ったまま動かなかった。
口元には血が垂れていて、服は地面に擦れた勢いで破れかけているところもある。
そこから見える肌は、赤く染まっていたり、腫れていたり、肉が見え、えぐれている部分もあった。
俺はレプリカを心配していると、後ろから蓮田さんが大声で叫ぶ。
「おい小僧!!ワクチンを!!」
蓮田さんのその一言で俺は、自分の身の危険を感じ取る。
あの高速に移動していた人影は、AAS患者と言って間違いないだろう。
それなのにも関わらず、ワクチンすら打たずにレプリカのところへ駆け寄っても、守れやしないし意味がない。
突然のことで少し情に流されてしまったようだ。
すぐさま俺はワクチンを体に投与する。
そして俺はそこから、レプリカの側から離れずに警戒をしていた。
一つの理由としては、レプリカの安全を確保するため。AAS患者はどこから襲ってくるかわからない。
そんな時に今負傷しているレプリカに狙いをつけられたらたまったものではない。
もう一つの理由としては、恐怖、緊張で足が重いことだ。
未だに慣れないAAS患者との戦い。死への恐怖。何度も死にかけそのたびに何度も足掻き、もがき、苦しみ、恐怖したか。
毎回一命は取り留めているが、今度は助かるかわからない。
出撃前に白岡さん、蓮田さん、川本さん、美咲さん、…みんなが緊張を解そうとしてくれているが、いざ戦うとなると恐怖が襲ってきた。
それに、未だに完全適合者としての能力を開花させてない俺はいる意味があるのだろうか。
「小僧!!」
蓮田さんが突然叫ぶ。
俺は蓮田さんの見ている方向を瞬時に振り返る。
蓮田さんが叫んだ瞬間少し危険な気持ちがした。焦りを感じた。何が起きたのだろう。もしかして俺は振り向いた瞬間AAS患者の重い一撃を食らうのではないか。
レプリカがAAS患者に殺されてしまってはいないか。そんな最悪の状況までも考えてしまう。
けれどそのどれもが当てはまらなかった。しいて言うなら後者に近いだろうか。
振り返ると足元には最悪の光景が見えてしまった。
床に這いつくばるAAS患者。獣のように這うようにして、必死に食らいつく。俺の足元にいるAAS患者は食べている。食べているのだ、その肉体を。彼女の、レプリカの肉体を―。
蓮田さんがこちらに急いで向かってくる。だが俺はそれに気づかない。
頭が真っ白になる。目が見開く。その光景を焼き付けようと。お前の責任でレプリカはこうなったと、誰かが責任を押し付けようとするように。
「ああああああっっっっっッ!!!」
俺は蓮田さんがAAS患者に手を出す前に、思い切りAAS患者を振り払った。AAS患者は吹き飛ばされ建物の壁に体を打ち付けられる。
AAS患者が振り払われ今まで覆いかぶさっていたところが、しっかりと見えた。
こんなはずじゃない。こんな未来、望んじゃいない。
違う、違う、何もかもが違う。違う。
「違うんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
俺はすべてを吐き出すように、いや全てを吐き出して、何もかも吐き出して、臓器が、心臓が飛び出すくらい吐き出した。
俺は突飛にAAS患者が打ち付けられた壁に向かう。AAS患者は今から攻撃を仕掛けようとしている。
俺の見ている世界は赤く染まった。
すべてをコイツにぶつけ、すべてをコイツに吐き出す。
すべてをこいつに突きつけ、すべてをコイツにねじ込む。
すべてをコイツに刺し込み、すべてをコイツに潰し入れる。
怒りも不安も悲しみも、喜びも楽しみも全部全部入れて、刺して、捻って、突いて、吐き出して、ぶつける。
左右両手でAAS患者の肉体を殴りつける。
両手でAAS患者の首を180°360°捻る。
手刀でAAS患者の肉体を貫通させる。
AAS患者の両手首を握り、そのまま力を加えて潰す。
これをもう一度、もう一度、もう一度、もう一度…
「あああっっっ!!!」
いつの間にか、AAS患者の姿は無くなっていた。その代わりに地面には、赤黒く染まったコンクリートやその瓦礫と砕かれた骨や肉片が落ちていた。
ぶつけることの出来ない残った感情。声に出して吐き出すしかなかった。
あと何回やれば気が晴れるだろう…。
「目を覚ませ!!」
頬に衝撃が走る。痛い。
声の方向を見ると、そこに映るのは蓮田さんだった。
「もう終わったんだ、無理に体力を消耗させる必要はない…」
蓮田さんのその低く落ちた声で俺は一度落ち着くことが出来た。
だがそのせいで物事を深く考えてしまう。
俺はその重い足をゆっくりと立ち上げる。そしてレプリカの元へと一歩一歩確実に地面を踏み歩く。
足を前に出すたびに喪失感が俺の辺りを漂う。
俺はその喪失感を感じつつも、ちゃんとレプリカの元に着いた。
「ごめん、って…言え…」
俺がそう言いかけた途端、蓮田さんは俺の頭に手を乗せる。
そして優しく撫でてくれた。
「これ以上は言わなくてもいい…無理するな…」
俺は何も出来なかったんだ。
美咲さんを殺し、レプリカまでも殺してしまった。
やはりそれは俺が、完全適合者としての自覚がなかったからなのだろうか。
まだ未熟な俺を赦してくれはしないだろうか。
誰も守れず、誰かに守られてばかりで。
妹の未来を救えず、母親を殺し、美咲さんの人生を破壊し、レプリカを守れなかった。
「蓮田さん…俺は…」
俺は…
「なんのために、いるんですか…」
涙ぐんで汚かったその声に蓮田さんは答えてくれた。
「誰も悲しませないためにだ」
俺は、また救えなかった。




