2話 掻き消された決心と追い詰める現実
レプリカの命令通り作戦は決行された。
次の瞬間、AAS患者の体が仰け反った。背中からは微量の血液が飛び散り、口からも同様に微量の血液が飛び散っている。そのままAAS患者の体は地面に打ち付けられるように倒れた。だが、意識はまだあるようで起き上がろうとしていた。左腕は肘をつき、右腕を精一杯伸ばし、足は力が入っていないようで地面に着いたままだ。
「一体どうしたんですか、あの患者は」
俺はAAS患者の方を見たまま言った。
「麻酔弾だ」
俺はふとして蓮田さんの方を見た。蓮田さんも俺と同じくAAS患者の方を見たままそう答えた。
「U小隊の中に工兵が2人いる。そいつらからの射撃だ」
そして続けてこう言った。
「小僧、もしあの患者が起き上がったら俺達はどうするかわかるか」
「それは…患者を倒すしかないですよね」
蓮田さんの方をしっかり見て俺は答えた。すると今まで患者の方を真剣な眼差しで見ていた蓮田さんが俺の方を見た。蓮田さんはこの先、何が起こるか悟ったように落ち着いた声で俺に言った。
「…これから起こることをしっかりと見ておけ」
蓮田さんのその声には力強い、だけどもどこか突き放すようなものが込められていたような気がした。
「F小隊に通達、レベル7の可能性あり。戦闘準備お願いします」
無線機からの通信があった。男の人の声だ。それは冷静であり、レプリカとは違って棘のない声だった。
通信が終わると俺も蓮田さんもそろってAAS患者の方を見た。まだ起き上がりきってはいないが、麻酔の効果が次第に薄れていっているのだろう、先ほどよりは余裕がある様子だ。それを察知したのであろう、蓮田さんは俺に一言かけた。
「小僧、俺は上に行く。恐らくやつは上の穴かここの出入り口、どちらかから逃げようとする。もしお前のところに来たら意地でもこの建物から逃がすな。いいな?」
「り、了解です」
そう行って蓮田さんは走って行ってしまった。
AAS患者は崩落した建物の中にいる。その建物から出るには崩落によってできたと思われる、上に空いたいびつな円状の大きな穴。もしくは俺がいるところのどちらかだ。建物から逃がすな、これはもし逃げてしまったら工兵の人達が危ないということだろう。
俺はAAS患者から目を離さないまま腰に掛けている小さなポーチに手を伸ばした。ポーチから手を抜き、手に持っているものは注射器。中には何も入っていないように見えるが、アドレナリンを活性化させる粒子が入っているらしい。「AASワクチン」と呼ばれている。理性を保ったまま、AAS患者と同じように体のリミッターを外すことができる。
ワクチンの効き目は15分程度なのでAAS患者が動き出すタイミングを見て打つ。
失敗したらどうする…?どうするも何も死ぬだけだ。じゃあ俺の失敗でだれかを死なせてしまったら…?
戦うことを意識しだした途端、不安がこみあげてきた。
いつ、どのタイミングでやればいいかわからない。たかが15分、されど15分。そんな気持ちとともに顔には冷や汗がでていた。
だがAAS患者の麻酔は切れ始めている。だんだん体を起こしていき、地面から手が離れる。
足はまだもたついており、左のひざはまだ着いたままだ。
どうにでもなれ…!!
心が叫んだ。それと同時に腕に注射器の針をさし、親指で内筒を押し込んだ。
針はとても細く痛みはない。ワクチンによる外見の変化も感じられない。自分の体を簡単に眺めた。手、足、胴。これといった変化はない。
そして、AAS患者のほうに目を向ける。ひざは完全に地面から離れている。
心配していたタイミングはどうやら合っていたようだ。ワクチンを打っていれば、たとえ先制攻撃がきても耐えられる。
そうやって自分の体を心配するのもつかの間、AAS患者は顔を上に向ける。
すると両足を思いきり踏ん張り、足を伸ばした。反動で空高く飛び上がった。
俺は建物の中に入り蓮田さんのいる大きな穴の下まで走った。
蓮田さんのいる大きな穴の方を見上げながら叫んだ。
「蓮田さ…!!」
その時だった。上にある大きな穴から一瞬にして叩き付けられたなにか。砂煙が舞い、地面はひびが割れていた。砂が目に入らないよう、腕で目を隠しながらもなにが起きたのかを把握するため、うっすらと目を開く。
しばらくすると砂煙がはれ、まともに見れるようになった。
そこにはAAS患者の首を絞める蓮田さんの姿があった。馬乗りになりAAS患者を拘束するような形でいる。
「蓮田さん!!」
「小僧!油断はするな!」
焦っている顔をしていた。目は見開き、精一杯、両手で首を絞めていた。
AAS患者は蓮田さんの手首を締め、自分の首から離させようと抵抗していた。
「…ゲン…キ…ナカッタ…カ…ラ…」
息苦しそうな女性の声がした。AAS患者の声だろうか。言葉が話せるということはまだ理性があるということじゃないだろうか。急いで蓮田さんに言う。
「蓮田さん!!その人まだ理性があるんじゃないですか!!」
「さっきからこの言葉しか言ってない…それに…」
拘束するので精一杯というぐらいな弱々しい声だった。そして蓮田さんは言葉に詰まったように口を開いたままにした。だが、決心がついたのかその口を閉じ、大声で叫んだ。
「お前は逃げろ!!命令だ!!」
俺の方を向いて叫んだ。
急に怖くなった。今まで誰かがついているから安心と思い込んでいた自分がバカだった。誰かに任せて自分は多少の手助け、それで作戦は成功すると。
そんな安易な考えできた俺がバカだった。目の前で死と隣り合わせの人がいる。俺はどうすればいい。
命令だから逃げるか?そりゃ死ななくていい。楽だ。逃げて、逃げて、逃げればいい。
そしてもし蓮田さんが死んだらそれを建前にこんな仕事、辞めればいいだけだ。地方の下級国民の農家にでもなって、高い税金収めたほうが命を張らなくて済む。
でも、俺は決めたんだ。彼女を救うためにこんな世界、変えてやるって。
だから…俺は…!!
「俺は…!!」
その時、一瞬のできごとだった。AAS患者は蓮田さんの右腕を両手で掴み、外側に回すように持ち上げた。蓮田さんは外側に出され、AAS患者は体勢を横に向けそのまま蓮田さんを蹴り上げた。
一直線に飛ばされた蓮田さんは地面に着くことなく、壁に激突した。
壁面には亀裂がはしり、崩落寸前だ。
「蓮田さん!!」
俺はAAS患者そっちのけで蓮田さんの方を見た。頭は強く打ってしまい血が出ている。壁に打ち付けられた骨も折れているだろう。
意識はまだあるようで、目は細く開かれている。
「小僧ォ!!!」
はっとしたように蓮田さんが俺に向かって叫ぶ。
俺は無意識に後ろを振り向いた。
AAS患者はすでに立ち上がっていて、足はふらついている。手はだらけていて、開いている瞳孔で俺達を見ている。
先ほどの決心はすでに恐怖によって掻き消されてしまった。
「嬢ちゃんたち…!今すぐ来てくれ…!」
無線機からそんなような声が聞こえた。
「了解しました。」
冷酷な声だ。
「わかりました」
今度は初めて聞く女の人の声だ。
恐怖によって周囲をほとんど把握出来なくなっていた。死と隣り合わせ。蓮田さんもこんな気持ちだったのだろうか。
AAS患者の顔がはっきりと見えた。今まで建物の影や逆光ではっきりとは見えなかったが、今はちゃんと見ることができる。
だが、見た瞬間、後悔した。
蓮田さんが俺に逃げろと言った意味。
そして…
「ユウ…セ…イ…ゲン…キ…ナカッタ…カ…ラ…」
俺は母親と再会した―。
次回の投稿は8月17日です。