10話 正反対な対称者
第一級国民エリア:大阪。重工業が盛んで大阪湾の方には阪神工業地帯が見える。
夜には工場の様々な色の光が、夜空を駆け巡る。
このエリア大阪は、第二級国民エリアとの境にあり、今は廃止された関西国際空港は第二級国民エリアに入る。
新大和皇国では阪神工業地帯と唯一の国際空港「大阪国際空港」があるこのエリアだけで貿易を行っているようだ。
そのせいか、ここは外国人が多いらしい。特にロシア人は新制国際連合の統治下の国なら自由に行き来できるので、ロシア人が多い。
今回の患者もそんなところだろうか。
そんなことを考えながら大阪駅の方へと向かう。
途端、ガラスが割れる音がした。どこからだろうか、辺りを見渡す。
するともう一枚割れた音がした。
近い、今がワクチンを打つ時だろうか。慎重になる。
誰もいない街の中、耳をすませばどこからか足音が聞こえる。その足取りは重く、遅い。
明らかに普通の人の歩き方ではない。その足音は前方から聞こえた。
来る。前のビル角から。T字路になっているあの左右の道、ビルの角から来るはずだ。
来た。
血管は浮き出ていて、筋肉質の体。正気を失ったようなその不格好な容姿。
目標のロシア人の患者は金髪の男性だった。
「目標確認、誘導を開始します」
俺が無線機を通して伝える。
すると向こうの患者もこちらに気づいたようだ。唸り声を上げ、獣のように走ってくる。人のスピードではない。その速さはチーターをも凌駕する。
とっさにワクチンを構え、打つ。その時には、40mは離れていたであろう距離が、手が届く距離にまで縮まっていた。
「…!!」
そのスピードと力で致命傷は免れたが、左手の数本が軽くえぐられていた。
痛みは感じない。そのおかげで無駄もなく、次の行動を起こせた。
俺はトラップが仕掛けてあるという指定の位置まで誘導するだけだ。
患者は俺の方を向き、すぐさま襲いかかる。俺はそれを振り切り、全力で走り、指定の位置まで駆け抜ければいいだけだ。その後のことはまたあとで考えればいい。
そして走りだす。
患者も俺を追いかけて走りだす。
「気をつけて。3km先に強化型トラバサミ設置したから」
川本さんが言う。
「トラバサミって…」
意外にも工兵の人たちが仕掛けるトラップは古典的だった。
俺は通信を入れ、その他のトラップがないか確認する。
すると今度は白岡さんが返してくれた。
「あとは電気柵と…レプリカちゃんかな」
笑いながらそう言う。
「…ありがとうございます」
俺は少し強い口調で言った。まぁ本気で怒るほどではないが。
そうやって俺が連絡をとっている間でも患者は、無情に、本能のあるままに追いかけてくる。
「こいつ…!!」
この男は痛みを感じない。それが強みでもあり弱みでもある。
俺が走ればどこまでもついてくる、その体が悲鳴を上げるまで。
そしてこの男は思うだろう。「いつの間に自分がここに」と。まぁ理性がないから感情などもっぱらないが。
走っている間はこんなくだらないことを考えていた。
だが、カーチェイスのように追いかけ、追いかけられた俺の足と患者の足は突然起きた出来事により止められることになる。
「お父さん!!」
突然、誰もいないはずの空虚な街から叫び声が響いた。
患者の注意が逸れてるうちに攻撃するべきか。それとも作戦通りにおびき寄せたほうがいいか。
後者のほうがいいだろう。
いずれにせよ俺達以外の人間が今ここにいて、患者に見つけられるのはまずい。
そう思った時、患者の足は地面を蹴りだし空高く飛んだ。
「おい!!…ああもう!!」
めんどくさいことになった。とうとう患者は民間人を見つけてしまったらしい。
俺もすぐさま追いかけ、患者が見ている方向を見る。
すると7階ほどあるビルの屋上に中高生くらいの男の子がいた。
「そこの君!!逃げろ!!」
だがその子には俺の声が届かなかったらしい。
「お父…」
その子は両手を差し出し、目の前にいる患者を切ない目でただ見ていた。
「間に合わない…!!」
そう思い、俺は一度近くにあった壁を蹴りだす。
その勢いを使って患者の腹に回し蹴りを繰り出す。そのついでに患者を踏み台にして方向転換し、男の子のいるビルの屋上めがけて蹴りだす。
決まった。なんとか男の子から一時的に遠ざけることはできた。
だが、その子の目には先ほどの切なさは愚か、輝きさえもなく俺のことを呆然と見ていた。
「なんで…」
男の子が言う。
だが俺はその子の言い分になんかかまってられなかった。
男の子がいるビルの屋上に無事、着地した俺はすぐさまその子を抱えて走りだした。
「とにかくまずは逃げるぞ」
俺は男の子にそう言う。
男の子は何も返事をしなかった。体の力は抜けており、手足は大きく動くたびに揺れている。
「しっかり掴まれ」
そう言っても返事は返ってこない。
「お父さん」とか言ってたか。たぶんあの患者はこの子の父親なのだろう。
まだ一緒に過ごした記憶があるだけいいじゃないか。
そこで立ち止まるな、お前より悲劇を浴びた人間はいる。
少しばかり苛立ちが募ってしまった。
「なぁ…」
すると男の子は俺の服を握り締め、話しだしてきた。
俺はそれに対し、無言で返した。
「俺がおとりになるからその間にお父さんを殺してくれよ…」
今にも泣きそうなかすれ声で男の子は言う。
だが、そんなことできないしさせない。
俺はその言葉の本意を突くように話す。
「どうせ自分も死んで一緒に天国に行きたいとか思ってるんだろ」
予想通り本意を突かれた男の子は、握りしめている手をさらに強く握る。
「じゃあどうしろってんだよ!!血のつながってない赤の他人と、偽りの愛で取り繕った家族ごっこするくらいなら死んだほうがいい!!」
「じゃあ血のつながってない赤の他人に、自分の父さんを殺されるのはいいのか?」
すると男の子は下を見て黙りこむ。
どうやらこの子は俺とは逆で、父親に愛をもらって育ったのだろう。母親はもうすでに亡くなったか離婚していなくなったのだろう。前者の方が可能性は高いが。
どっちにしろこのままわがままを言われると埒が明かない。まずは待機しているレプリカたちに連絡する。
「聞こえますか?民間人一人保護しました。応援を要請します」
全員に一斉伝達した。
「白岡さんを行かせます。」
レプリカの声だ。相変わらず少し悪意を感じる。俺だけだろうか。
そうして短いやりとりは終わった。
先ほど突き放したおかげで患者との距離はある程度開いている。
とにかく今は白岡さんが来るまで、どこかで隠れてこの子を守らなければいけない。
走っている中どこか隠れられないか探す。幸い、ビルの多い街中なのですぐに見つかった。
すぐに駆け込み、患者の目をくらます。
患者はその後きょろきょろと辺りを見回し、ゆっくりと徘徊し始める。なんとかいったようだ。
ワクチン効力の残り時間はあと10分くらいだろう。白岡さんが来るのもちょうどそのくらいの時間、もしくはそれ以上だろう。そう考えると俺は頼りにならない。
それとも白岡さんが来る前に倒すのが得策か。そうなるとこの子が危ない。
とにかく安全第一と考え俺は白岡さんが来るのを待つ。白岡さんが麻酔弾を撃ってくれれば、人間の力でも倒せないことはない。
そう考え込んでいると男の子がいきなり問いかけてくる。
「じゃあ俺が殺ればいいのか…?」
すべてを喪失したような目で聞いてくる。
さっき俺が言ったことについてだろう。
その質問に対する返事を俺は少し保留し、美咲さんに連絡する。
「美咲さん、来れますか?白岡さんが来る頃にはワクチンの効力、切れると思うんで」
レプリカに聞かせないために、美咲さんだけに連絡した。
美咲さんは小声で「わかったわ」と一言。うまく目を盗めれば行ける状況なのだろうか。とにかく信じることしか俺はできない。
「ねぇ…」
男の子は無視されたと思ったのか、俺に返事を求めてくる。
その目は変わること無くすべてを喪失していた。
男の子の要望に応え、返事をする。
「悪い、さっきのはちょっとむきになってた」
俺は先ほど言った言葉について男の子に謝った。さすがに中高生が自分の親を殺すのはためらいがあるだろう。
中高生だけじゃなくてもあるはずだ。
「…君が、母親にすがっている過去の自分に似ててつい、ごめん」
そう言い訳をする。嘘ではない。でもそれはあとづけの理由でしかなかった。
男の子は俺が謝るのを予想していなかったのか、言葉を失う。
その後少しの間、沈黙が訪れる。重苦しいものではない。少し開放された感じだ。
その感覚を十分に味わった後一息ついて話しかける。
「君、名前聞いていいかな?俺は神川悠世」
男の子はまだ黙りこむ。
「…ほら、あの…戦ってるときとか名前わからないと不便だし」
「…ヴィダール」
なんとか名前を言ってくれた。これで少しは戦いやすくなるだろう。本当にほんの少しだが。
俺はえぐられた左手を止血しながら応援を待つ。




