うっか離婚! のち……
――「御子がお生まれになるのが楽しみですね」。
シヅは、反芻するかのようにその科白を何度も思い返す。否、思い返してしまう――。
時間を経るにつれて、他者からかけられた言葉の記憶は曖昧になって正確さを失って行くものだ。おぼろげになり、角がまるくなって行くような手触りはたしかにあったが、一方、かけられた言葉そのものが持つ力は、時間の力を借りてむしろ鮮烈になって行くような気がした。
――「御子がお生まれになるのが楽しみですね」……。
冬が過ぎれば梅もほころぶし、秋も深まれば山の木の一本も紅葉する……。要は、自然の流れの話をしているのだ。
悪意はない。その科白を発した当の使用人は、その場で年長の者にたしなめられていた。シヅも、曖昧に微笑んで特に咎め立てはしなかった。
けれども――。
けれども、その科白は気がついたらシヅの心の、繊細で柔らかなところに刺さっていたらしい。それは気がついたら、シヅの頭の片隅に居座っていて、ときおりこちらをじっとりと見つめているかのような、そんな居心地の悪さを覚えるようなものに育っていたらしい。
そもそも――梅の木が植えられていなければ梅の花は見られないし、山の木が枯れていれば紅葉する葉もない。
これは、そういう話だった。
悪気のない科白をいつまで経っても反芻するかのように思い返し、勝手に居心地の悪さを覚えるのは、シヅの心の中に、みなに対する後ろめたさがあるから。
この屋敷の者たちはみなシヅに優しかった。この屋敷でたったひとり人間だからと、除け者にするよりもむしろ過大なほどに気を払ってくれている。人の身で、神の妻となったからには不自由も多いでしょうから――と。
シヅがこの山一帯を治める山神の寒月のもとへ嫁いできて、半年が経とうとしている。
慌ただしかったシヅの周りも、少しづつ落ち着きを見せ始め、花嫁の姿はこの屋敷の日常に溶け込み始めていた。
そうなれば、「そろそろ」と周囲が期待を持ち始めるのも、無理はないことだ。
しかし、苗が植えられていない田で稲穂が見られないのが当然であるように、シヅが子を授かるのもあり得ないことだった。
シヅと寒月は未だ清い関係であり、初夜ですら同衾はしなかったのである。
しかしどうやら、寒月の屋敷で働く眷属たちはそのことを知らないようだ。ゆえに、年少の者などは無邪気に先の科白を口にしたのだし、年長の者にしたって、そのうちシヅがその身に寒月との子を宿すものだと微塵も疑っていない様子だ。
夫である寒月は新妻のシヅに冷たい態度を取るどころか、下にも置かない扱いをするので、仲睦まじい間柄であると――いずれやや子の顔が見られると、屋敷の者がみな誤解するのも当然のことではあった。
シヅはその誤解をとくべきか、悩んでいた。寒月が未だ同衾を拒むことにも、困惑していた。屋敷の者たちも、寒月も、シヅに優しいので、ことさら懊悩した。軽々に悩みを口にすれば、おおごとになるのではないのかという恐れもあった。
最初は、言ってしまえば、ただ困惑してさえすればよかった。時間の経過で解決できるものだろうと、どこかで楽観視していたシヅだっていた。
けれども、半年という期間が過ぎてもまったく状況が変わらないことに、シヅは焦り始めた。
そもそも、寒月と清い関係を続けてしまっていることが、シヅを悩ませるすべての元凶であるわけなのだが、こちらからゆすったり、ねだったりするのはシヅの価値観からすると、大変にはしたない行いであった。そんなことをしようとすれば、シヅは羞恥で死んでしまうかもしれない。
けれども。けれども寒月との関係性が変わらないままでは、なにも解決はしない。しないどころか、いずれ新たな問題が噴出することになるだろう。否、まだ表面に出ていないだけで、すでにそれはシヅの中で大問題となっている。
しかし、寒月に直談判をする度胸は、生来より小心なシヅにはない。
だが、清い関係のままでは、いずれ夫婦の関係について訝る者も出てくるだろう。
……堂々巡りだ。
シヅはこじんまりとした拝殿の前で、ため息をついた。
屋敷の者からの供の申し出を丁重に断り、ひとりでやってきた、山中にある小さな神社の境内。近ごろ、代替わりしたばかりの縁結びの神がおわすと言う神社に足を踏み入れるのは、今日が初めてだった。
「困ったときの神頼み」――と言いはするものの、シヅは果たして縁結びの神にすがって良いものかどうか、さっぱりわからなかった。
シヅは今や寒月という山神の妻である身分だ。その身分で、縁結びの神に願掛けをすると、なにかしらに差し障りがありそうな気もする。
わからない。わからないことだらけだ。
寒月が、シヅと清い関係のままでいること。
屋敷の者たちが、夫婦の仲を誤解していること。
山神の妻という身分で、縁結びの神に願掛けをしてもよいのかどうかということ――。
シヅには、それらの解決方法はわからなかったし、ささやかな疑問に答えてくれる、ちょうどよい存在も周囲にはいなかった。
シヅは迷って、悩んで、境内を右に左にと文字通り右往左往する。
ときおり、ああでもないこうでもないと思い悩みながら、境内をぐるりと取り囲む木々の幹に触れたり、いかにも霊験あらたかな縁起がありそうな石に触れたりしながら、神社の敷地内をうろうろと歩いた。
……やがて、シヅは深く大きなため息をついた。
やはり、なにか差し障りがあってはいけないという結論に至り、神社から屋敷へ帰ろうと、くぐってきた鳥居を振り返る。
振り返った先には、齢一〇にも満たないような幼子が、したり顔でふんぞり返っていた。
「そなたの願い、聞き届けた! この縁結びの神にして縁切りの神、ククルがそなたを無事離縁させてやったぞ!」
シヅは呆気に取られて、幼子の鼻のてっぺんをまじまじと見つめることしかできなかった。
「――なにっ、そんなつもりはなかっただとっ?!」
シヅが申し訳なさそうに弁明すれば、もとより真ん丸な目をさらに丸くしていた幼子――もとい、縁結びの神であるククルの目が、ふにゃりと歪んでしまった。
てっきり、その目が三角に吊り上がるところを見ることになるだろうと予想していたシヅもまた、おどろき、ちょっと呆気に取られる。
呆気に取られると言えば、先のククルの科白もそうだ。
「無事離縁させてやったぞ」――。……つい先ごろ、シヅが思い悩んでうろうろと境内を歩き回り、木の幹や霊験あらたかそうな石に触れるという行いは、縁切りを望む参拝者が願掛けのためにする手順と、奇跡的に一致してしまったのだ。
なんて複雑怪奇で面倒な手順なのだろう、というのがシヅの率直な感想であった。一方、その複雑怪奇で面倒な手順を知らずに踏んでしまった己の不運ぶりには、驚愕することしかできない。
「そ、そんなあ……寒月どのの嫁御を意図せず離縁させたとなれば――おっ、怒られてしまう……!」
他方、ククルはうつむき、目元を潤ませて怯えている。口調も、最初の横柄な印象は鳴りを潜めていたが、恐らくこちらがククル本来の口調なのだろう。少なくともシヅにはそう感じられた。
「うっ、ううっ……」
「な、泣かないでくださいククル様」
「泣いてなどいないっ! ククルは立派な神なのだ……! 泣くわけないだろうっ」
ククルから強気な言葉が返ってくるが、残念ながら迫力はまったくない。
シヅよりもずっと低い位置にあるククルのうつむいた顔に合わせ、シヅは自然と膝を折りかがんでいた。
ククルは、まろい頬をほのかに朱色にして、潤む目元をふにゃふにゃとさせていた。ククルは「泣いていない」と主張してはいるものの、これはもうほとんど「泣いている」と言い切ってもよいような状態であった。
しかしシヅはククルにも矜持というものはあるだろうと、あえてククルの涙からは目をそらした。
「申し訳ございません、ククル様。それで、先ほどの『離縁させた』とのお言葉はいったい……?」
「うぐ……。ククルは……縁結びの神にして縁切りの神なのだ。先ほど、そなたと寒月どのの縁を切って……しまった」
「それは……大変なことなのですか?」
「……そうだ。縁を切ったのだ。そなたはもう寒月どのの嫁御ではない」
ククルの科白に、シヅは衝撃を受けた。そして、同時に寒月の嫁ではないと否定されて、大きな衝撃を受けた自分にびっくりした。
そもそもこの縁組は、シヅが寒月に惚れてのことではなく、寒月の側から「ぜひ」と乞われて実現したものだった。シヅは特に好いた男もいなかったので、つつがなく縁談を受け入れてお山に嫁ぎ、今に至る。
だからどこか、寒月の妻であるという立場に、まだ現実味を感じてはいない部分はあった。
だから、「寒月の嫁ではない」と否定されて――どこか傷ついた己に、驚愕したわけである。
シヅは、受けた衝撃の余韻の中、ククルの伏せたまつげを思わず見つめた。
「縁を切る、とはそういうことなのだ」
「そんな」
どこかふにゃふにゃと、涙が交じるような声を出すククルに釣られるようにして、シヅの語尾も少し震えた。
「寒月どのとの縁を切った以上、寒月どののもとに帰るのも難しいだろう」
「ええっと、でも、ククル様は縁結びの神でもあらせられるのでしょう?」
「そうだ! だからそなたと寒月どのの縁を結び直す!」
ククルの言葉をゆっくりと吞み込み、シヅはほっと安堵の息を漏らした。
「あ――縁は、結び直せるのですね?」
「当然だ! なにせククルは縁結びの神なのだ。それくらいの芸当、朝飯前よ」
「そ、それではよろしくお願いします――」
「うむ! それでは急いでゆくぞ!」
「え?」
「それから、どうか寒月どのには内密に頼む!」
「そ、それはやぶさかではありませんが……ど、どこへ行くのですか?」
「縁を結び直すのには色々と物が必要なのだ。盃とか、誓紙とか……」
シヅの口から思わず「『朝飯前』って言ったのに……」という文句が出そうになった。しかしどうにかその言葉をぐっと呑み込んで、シヅはククルを見た。だが代わりの言葉はすぐには出て来なかった。
ククルは己の失態が露呈する前にことを収めたい気持ちでいっぱいのようで、ぼんやりとしている――ように見える――シヅの手を取ると、大急ぎでその場から姿を消した。
文字通り、ククルはシヅと共にその場で姿を消したのだ。縁結びの神であるククルは、山中に点在する小さな祠がある場所――つまり、ククルと縁のある場所であれば、瞬間移動することができるのである。
シヅがククルからそんな仕組みを説明されるのは、瞬間移動のあとであったので、しばらく混乱しっ放しであった。
*
……寒月は不意に空を見た。春めいた穏やかなそよ風が、青々とした木の葉を揺らしている。――しかし、寒月の胸中は穏やかならざるものへとすぐさま変じた。
寒月の妻――シヅとの縁が、切れた。
それは恐らく、否、十中八九シヅではない者の手による業だ。
シヅは――誤解を恐れずに言うのであれば――なんら変哲のない人間の子なのだ。そんなシヅが、自らの手のみで、神である寒月との縁を切るなどという芸当はできないであろう。
寒月の心が、ざわめく。波が立ち、それはすぐさま大嵐になる。当惑、恐怖――それから、わずかばかりの怒り。
寒月はそれらを胸中に留めたまま、立ち上がった。
縁が繋がっているがゆえに、寒月はいつだってシヅの居所をなんとはなしに知ることができた。しかし今は、シヅの名残りすら感ぜられはしない。縁が切られる、というのはそういうことだった。
寒月はシヅの気配が途切れた方角に、縁結びも出来れば縁切りもできる神がいるということを思い出す。
急ぎ、その神の居所たる神社へ向かったが――すでにそこには、何者もいなかったのであった。
*
シヅが、ククルと縁結びのために必要な品をかき集めるべく、文字通り東奔西走すること数刻――。春の日はじりじりと沈み始め、足元から伸びる影も長く濃くなり始めた。
お山の西へ行って盃を借り、麓へ向かって誓紙を貰い……その移動は鞠が跳ねるかの如く軽快であったが、そんなことには当然慣れていないシヅはややぐったりとしてしまった。
そんなシヅの様子を見て、ククルは申し訳なさそうな顔をする。同時に、なにやら小さな誤解が生じたらしく、ククルは恐る恐ると言った様子でシヅに尋ねた。
「本当に、縁を結び直してもよいのだな?」
「な――なにを言っておられるのですか?」
シヅはびっくりして、うつむけていた顔を上げる。
シヅは、寒月の妻なのだ。妻になると、このお山に、寒月に、八百万の神々に誓ったのだ。
「しかし、そなた、なにやら思い悩んでいる様子であった」
「それは……」
「寒月どののもとで幸せに暮らしているのであれば、そのような顔を見せようはずもない」
ククルの、純粋で真っ直ぐで――それゆえに鋭利な言の葉の先がシヅの心に突き刺さった。
「寒月様はなにも悪くありません」
「それは、なにか悪いことがあると言っているようなものだ」
出会った当初シヅに見せた、幼子の泣き顔はどこへやら。ククルも八百万の神の一柱なのだと知らしめるような、はっきりとシヅの胸中を言い当てるような物言いだった。
シヅは一瞬、言葉に詰まったが、すぐにじれったい気持ちになる。
寒月は、優しい。砂糖菓子のように甘く、シヅを愛でてくれているのだと、そんなことは初心なシヅでもわかった。
だから――もどかしいのだ。
だから――。
「悪いのは――わたしの心持ちなのです」
期待して、期待されて――。
けれども寒月はシヅの期待には応えてくれなくて。
シヅは屋敷の者たちの期待に応えられなくて。
もどかしくて、焦って、苛立って、歯がゆくて、じれったくて。
……いつしか、その感情を己のみならず、寒月や屋敷の者たちに向けてしまうのではないかと、怖くて。
「悪いのは、わたしです。寒月様は――……!」
すぐそばにあった小さな滝壺の水面が、波打つ。白いしぶきを上げて、水の柱が立つ。
現れたのは――白亜の大蛇。
大蛇は岸辺へ身を乗り上げるや、すぐさま白い霧のようなものに覆われて、瞬きの間に姿を変じる。
「寒月様!」「寒月どの?!」
シヅとククルの、驚愕に満ちた声が重なる。
濡れた地を踏みしめて――寒月はシヅとククルの前に降り立った。銀にも見える白く長い髪、削り上げた宝石の如き赤い瞳。すらりとした若木のような手足――。見た者を圧倒するような、そんな美貌をたたえた背の高い男こそ、シヅの夫である寒月その神である。
感情がうかがえない顔をして、寒月はシヅとククルを見下ろす。
「――ここに居たのか、シヅ」
「寒月様……わた――」
「どうして私と縁を切った? なにがいけなかった? なにが足りなかった? 私に不足があったのか? それとも――どこぞの者になにか言われたのか?」
寒月の、血の色をした赤の瞳がククルを睥睨する。ククルは怯えてぴょんとちょっと跳ね上がって震えたが、しかし青い顔をしながらも、寒月から目をそらさなかった。
シヅはこのままではククルに類が及ぶと感じ、寒月へ向かって勢いよく頭を下げる。
「わ、わたしが余計なことをしたからです! ククル様はそれを勘違いなされて!」
「……どういうことだ?」
寒月が少し冷静さを取り戻したのを見逃さず、シヅは畳みかけるようにことの経緯を説明する。
「――頭を上げよ、シヅ」
「は、はい……」
「我々には行き違いがあった……そういうことだな?」
「はい。そうです」
「そ、そうだ」
場が収まりそうだとシヅはほっと安堵の息を漏らすが、そこへぐっと一歩、ククルが前へ出る。まるでシヅと寒月の間に割って入るかのような位置取りで、ククルは寒月を見上げた。
「……しかし寒月どの。此度の我の失態に今さら申し開きをする気はないが――シヅどのが思い悩んでいたのは事実」
「えっ、ククル様!?」
「我は、先代より縁結びの神という役目を引き継いだ。そして、夫婦円満、和合を叶え、見守る役目も」
シヅからククルの顔は見えなかったが、その声が固く強張っていることはわかった。――先ごろ、出会ったばかりの、氏子ですらないシヅを、ククルは心配し、心を砕いてくれているのだ。
やや間があったのち、寒月が短く息を吐いた。
「……シヅが、何か言いたそうにしていることには気づいていた」
寒月の瞳が、かすかに揺れるのをシヅは見た。
「けれど――怖くて」
寒月の視線が、シヅから外れた。
「シヅが好きなんだ。愛している。けれど今さら、私に失望しただとか幻滅しただとか言われたら、耐えられないから……」
「えっ、えっ、え……あの、寒月様?」
「仕方ないだろう? 好きになってしまって、つい口を滑らせたらなんだか周りが色々と気を回してくれて――いつの間にか、妻に迎えることになっていて。好都合だと思ったのは事実だ。卑怯なことにね」
「寒月様? あの――」
「ごめんね、シヅ。私は、君のことは放してやれない――」
「――寒月様!」
たまらなくなったシヅが、大きな声を出すと、寒月の目が丸くなった。
「わっ、わたしも寒月様が……す、好きですよ……そうじゃなかったら、こんなに悩んでいません……!」
「え?」
今度は、寒月の口からその壮麗な見目に似合わぬ間抜けな声が出た。ぱちぱちと何度か、信じられないとばかりに瞬きさえしている。
「わたしをこんなにも、慈しんでくれる方と出会えて、好きにならないわけないじゃないですか」
……シヅは両の親を亡くして久しく、村の者たちは折を見てシヅの面倒を見てくれてはいたが、当たり前だが彼ら彼女らの一番はシヅではない。
シヅは、一番に愛される者たちを羨ましく思い、ときに嫉妬心だって抱いた。けれどもそれを口に出したことは、一度としてなかった。心の奥底へと押し込めて――押し殺して。そうやって、シヅはこれまで生きてきた。
そこへやってきた縁談。
こまめに祠を掃除し、お供え物をする熱心な姿に心打たれて――。……そんな理由を聞いて、シヅは後ろめたい気持ちに駆られた。
信心深いわけではない。信仰心があるわけでもない。ただ、居場所を求めての、下心ありきの行いだった。そうすれば、村のひとびとはシヅを「良く出来た子」だと認識してくれるから。
……いずれにせよ、身寄りのないシヅが突然舞い込んできた縁談を断れなかった面は、確かにある。
けれども。
「寒月様が、みなさんが、わたしに優しくしてくださったから……わたしは、お屋敷に戻りたいです……」
――期待してしまうのは、相手に甘えるということを知ってしまったから。
期待に応えたいと願うのは、相手のことを好ましく思っているから……好ましく、思われたいから。
寒月の屋敷に、シヅはすでに愛着を置いていた。本人でさえも、今このときになって気づいた、大きな大きな愛着を。
「寒月様が……わたしに手を出してくださらないから……心細い思いをしていたんです……!」
驚愕、衝撃、喜び。ふわふわと浮き立つ心のまま、弾みがついたシヅは、そんな大胆な言葉さえ口にする。
シヅの思いもよらぬ吐露を聞いた寒月は、シヅ同様に喜びつつも、妻の科白に思わず頬を染めてうろたえる。
「す、すまぬシヅ。本意ではない縁談を受けたのだと思って、そんな状況でシヅに手を出せば、傷つくと思ったのだ……」
寒月の言葉を受けて、シヅもようやく羞恥の心が湧いてきて、その頬を赤くする。
両者、夕日ではない朱の色に顔を染めて、見つめ合う。
縁は、一度切れた。しかし、今この場で、この夫婦の縁はたしかに結び直された。
縁結びの神がわざわざ結び直さずともよいほどに、シヅと寒月の夫婦は、お互いを求め合い、その縁を結び直したのだ。
熱く見つめ合う夫婦を見て、ククルは安堵すると同時に、その熱にやられたようにやれやれと顔をそらしたのであった。
……その晩、心通わせた夫婦が熱く互いを求め合ったのは、わざわざ言うまでもないことだろう。




