ハートの女王のタルトは盗まれていない〜幼なじみの冤罪を覆したら女王の命令が“無効化”されたので、国を出てタルト屋を始めます〜
ハートの女王は、怒っていた。
「タルトが盗まれたわ」
それだけで、裁判が始まる国だった。
⸻
私は記録係。
裁判長の娘であり、父の隣で言葉を書き残す役目を担っている。
ただし、真実ではない。
“決められた結論”を整える仕事だ。
⸻
この国の裁判は、単純だ。
「有罪」
女王がそう言って、それだけで終わる。
──ずっと、見て見ぬ振りをしてきた。
⸻
ある日、事件が起きた。
「ハートの女王のタルトが盗まれた」
犯人はすぐに決まった。
城で下働きをしている青年、ジャック。
ジャックは、私の幼なじみだった。
お互いに働くようになってからは、あまり話すことが無くなったけれど、家族のような大切な存在であることには代わりがなかった。
⸻
「……嘘でしょ」
きっと、証拠はないけれど、関係ない。
この国では、“女王が言った“
それだけで、彼が犯人になるには十分だった。
兵士に拘束されて、彼が連れてこられる。
殴られたのか、顔は腫れ上がり、鼻血も垂れていた。
彼は何度も「盗んでない」と言っていた。
でも、誰も聞かない。
⸻
ずっと、その理不尽さに目をつぶってきた。
その罰が、自分ではなく彼に下るなんて思ってもいなかった。
自分の身勝手さに嫌気がさす。
彼が犯人にされてから、後悔するなんて。
いつからこんなにも最低な人間になってしまっていたんだろうか。
気持ちが悪くて、目眩がする。
もう、うんざり──
「……なんで私は、生きてるんだろう」
その瞬間、視界がぐにゃりと歪む。
立っていられず、膝が折れた。
──ああ、知っている。
ここじゃない、どこかの記憶。
前世の記憶が、流れ込む。
証拠もなく罪を作ること。
弱い者が選ばれること。
そして、それを見過ごす人間がいること。
⸻
私は前世を思い出したけれど、
すぐに声を上げることはしなかった。
この国では、正論だけでは勝てない。
必要なのは、証拠と──力だ。
⸻
まず、厨房に忍び込み、記録を確認する。
材料の搬入帳や、調理記録。
廃棄記録まで調べた。
その結果、どこにもタルトは存在しなかった。
私はそれを書き写し、証拠として揃える。
そして、父の部屋へ向かった。
「お父様」
父は顔を上げる。
疲れた目をしていた。
「……この件には関わるな」
先に言われた。
けれど、私は一歩、踏み出す。
「ジャックは無実です」
「証拠は?」
私は紙を差し出す。
「タルトは作られていません」
父の視線が止まる。
「……確認したのか」
「はい」
長い沈黙。
「……それでも、この国では通らない」
分かっていた。だから、言う。
「通る場所を、作ってください」
父が顔を上げる。
「帝国の監察を入れてください」
空気が変わる。
この国は独立している。
だが、その上には帝国がある。
監察が入れば、女王でも無視できない。
「……それは、国に傷をつける」
「もう、傷はついています」
私はきっぱり言い切った。
押し黙る父。
やがて、目を閉じて一言。
「……分かった」
そう言った。
それは、この国で初めて聞いた“正しい決断”だった。
⸻
そして、裁判の日。
いつも通りに、
「有罪」
女王がそう言って、それだけで終わる。
きっと、誰もがそう思っていた。
でも、私は、手を挙げる。
「発言を求めます」
父が言う。
「許可する」
私は立ち上がる。
「本件には、物証が存在しません」
空気が変わる。
「厨房の記録を確認しました。
当日、タルトは製造されていません」
女王が睨む。
「……何を言っているの」
「存在しないものは、盗めません」
私は女王を真っ向から見据えた。
「それでも盗んだに決まっている!」
女王の声が響く。
だが──
別の声が、それを遮った。
「決まっている、では証明になりません」
場の空気が凍る。
皆が扉口を振り返ると、黒衣の男が立っていた。
ハートの国の紋章とは異なる、別系統の徽章。
──帝国監察官。
「本件、記録および証拠を確認しました」
淡々と告げる。
「タルトの製造記録は存在しない。
従って、盗難の事実も立証されていない」
女王の表情が歪む。
「黙りなさい。これは私の裁判よ」
監察官は一切動じない。
「いいえ。裁判は“事実”に基づくべきものです」
そして、静かに続ける。
「事実なき有罪判決は、無効とします」
その一言で、
女王の言葉が、“命令”から“無効な発言”に落ちた。
ざわめきが広がる。
「無効……?」
「女王の命令が……?」
絶対だったものが、崩れる瞬間を初めて見た。
監察官が告げる。
「被告、無罪」
そして、ほんの一拍置いて。
「なお、本件は虚偽告発の疑いがあるため、
追加調査対象とする」
視線が、一斉に女王へ向く。
今度は、彼女が“見られる側”になった。
女王は言葉を失う。
誰も、従わない。
命令が、もう効かない。
今度は彼女が裁かれる側だった。
⸻
ジャックは解放された。
私は、席を立つ。
もう、私がここでやるべきことは終わった。
今まで“見て見ぬ振りだけ“をしていた父と私は、正式に裁かれることはないと監察官から言われている。
けれど、父と私はそれぞれの方法で罪を償って行くことに決めていた。
外に出ると、ジャックが追ってきた。
「……なんで、あんなことした」
私は答える。
「遅かっただけ。今まで、何もしなかったから」
彼は黙る。
「……行く場所、あるのか」
「ない。どこか遠くで、罪を償うつもり。」
「じゃあ、一緒に来い。俺も国を出る。」
思わず、笑った。
腫れた顔で、かっこいいことを無愛想に言う彼が面白くて。その言葉が嬉しくて。
「命令?」
「誘いだよ」
私は二つ返事で頷く。
「いいよ」
二人で、並んで歩き出した。
⸻
数か月後。
⸻
小さな店に、甘い香りが広がる。
「タルト、焼けたぞ」
私はそれを受け取って、笑う。
「今度は、ちゃんと“存在してる”ね」
⸻
ハートの女王は、タルトを作った。
ハートのジャックは、盗んだとされた。
でも、最初から何もなかった。
⸻
だから私は、今度は自分で作る。
ちゃんと存在して、
誰も不幸にしないものを。




