受験会場に向かう電車の中でいちゃつくバカップル
「あの、これ落としましたよ」
「え!?」
真っ黒の学ランを着た男子が、目の前を歩いていたセーラー服の女子に声をかける。
男子の手には小さな一枚の紙きれ。
その紙切れを見た女子は、思いっきり顔を青褪めた。
「ああああ!落としてたの!?」
信じられないのか震える手で慌ててそれを受け取りガン見する。だがどれだけ見てもそこには自分の名前と受験番号が書かれていて、間違いなく自分の受験票だった。
「ありがとうございます!ありがとうございます!」
もしもその男子が受験票を拾わなかったら。あるいは拾ったとしてもライバルが減るからと握りつぶしてしまったなら。
実はそれでも係員に紛失した旨を伝えれば良いのだが、彼女は受験できないと思い込んでメンタルに致命的なダメージを喰らい、まともな精神状態で受験など出来なかっただろう。
「大事なものはちゃんと管理しとけよな。山茶花さん」
「え……あ、そっか受験票」
どうして名字を知っているのか。そう疑問に思ったが、受験票に堂々と書いてあった。拾ったら誰のものか確認するだろし、その男子が知っていても不思議ではない。
「俺は大渕、受験頑張ろうぜ」
「はい」
受験生同士助け合い、エールを交換する。
まさに青春といった感じである。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
改めて少女が礼を告げた、この時までは。
「ならお礼に、合格したら付き合ってやらせてくれよ」
何を言われたのか、山茶花は直ぐには理解できなかった。
だが大渕の気持ち悪いにやけ顔に気が付くと、顔を真っ赤にして激昂する。
「最低!親切な人だと思ったのに!」
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ガタン、ゴトンと電車が揺れる。
地方都市を走るその電車は、土曜日だというのに混んでいる。乗客たちの大半は赤い本やら単語帳らしきものを手にして何かを考えている。
大学入学共通テスト。
その会場へ向かう学生達が乗っているのだ。
「おっと」
電車の長椅子に座る男子が、鞄から単語帳を取り出そうとして手を滑らせ床に落としそうになった。
「よっと」
「ナイスキャッチ」
しかし隣に座っていた女子が反応し、落ちる前に空中でキャッチした。かなり気持ち良かったのか、ドヤ顔しながら単語帳を男子に差し出した。
「サンキュ」
「気をつけなさいよ」
「…………」
「どうしたの?」
単語帳を受け取ろうとした男子がそれに手を伸ばしたまま固まっていた。
「いや、これから大学入試だってのに、隣に冬華がいるのが感慨深くてさ」
「何よそれ」
「だって俺達ってずっと仲悪かっただろ?」
「勇気があんなことばかり言うから仕方ないじゃない」
苦笑しながら単語帳を手にした勇気。
冬華は『あんなこと』を思い出したのか少し赤面している。
「まさか本当にやらせてくれると思わなかったわ」
「ちょっ!?」
「しかも一回だけじゃなくて何回も」
「嘘言わないで!何もしてないでしょ!?」
「冬華、電車の中だぞ、静かにしろよ」
「あんたのせいで……くっ、覚えてなさいよ」
「嫌だよ。テスト前に余計なこと覚えたくないし」
「ふん」
「いで!」
ふとももを抓られてしまったが自業自得だろう。揶揄いすぎだ。
「全く、そもそもそんな度胸なんかなかったくせに」
「度胸があった方が良かったのか?」
「そんなわけないでしょ」
「だよな。もしやってたら退学になってたわ」
ケラケラと笑う勇気だが、冬華は笑いもせず怒りもせず神妙な表情になっていた。
「勇気がそんな人間だったら、私は間違いなく今日の受験に失敗してたわね」
「…………」
「入学してから何回もセクハラされて、勇気のことが本当に嫌いだった。顔を見るのも嫌だった」
「…………」
「本当に本当に嫌いで、だから気付いちゃった」
「…………」
「勇気のセクハラは、私を緊張から解放させるためだったんだって」
冬華は極度のあがり症で、大事な場面で緊張でミスすることが多かった。
しかし高校に入ってからはそのミスがほとんどなくなっていた。何故ならば肝心な場面でいつも勇気がセクハラで揶揄い、怒りと嫌悪で緊張どころではなくなっていたから。
「高校入試の日。あの日も勇気は……大渕君は私の緊張をほぐすためにあんなこと言ってたんでしょ」
「…………山茶花さんが緊張しすぎで見てられなかったからな」
ただでさえ緊張で限界だったのに、そこに受験票紛失未遂が加わり倒れそうな程に緊張していた。
その様子が傍目からでも分かったからこそのセクハラ発言。
嫌われても構わないと、緊張を忘れさせるために道化となった。
「なんでそこまでしてくれるのかなってホント不思議だったんだよ。それを確認するのに更に一年かかっちゃったけど」
「別に難しい話じゃなかっただろ」
「うん、本当に簡単で、とても嬉しい話だった」
男なんて単純だ。
好みの女子に出会ったなら、しかも落とした受験票を拾うなんて特別な体験をしてしまったら、勝手に運命的なものを感じて惚れてしまうのだ。
だから好きな女子のために努力した。
本来の力がいつでも出せるように、緊張してそうな時はいつもフォローした。
「でも危ないとこだったよな。あのままだったら今日ヤバかっただろ」
「うん。多分、緊張でパニくってた。それまでは勇気が誤魔化してくれてただけで、克服した訳じゃなかったから」
「最初から練習しようって言えば良かったのかな」
「それだと勇気に対するありがたみがあんまりなくて、こんな関係にはなってなかったと思うよ」
冬華はそっと勇気の右手に手を重ねた。
「だったらたっぷり嫌われたかいがあったってものだ」
「ふふ、そうかもね」
今の冬華は全く緊張している様子が無い。余程練習を重ねたのか、あるいは勇気と共にいることが力となっているのか、それとも緊張を隠して我慢しているだけなのか。
「なぁ冬華。まさか今回も受験票失くしたとか言わないよな」
「あはは、まっさか~」
冬華は鞄を開き、中から受験票を取り出そうとする。
「あれ?」
しかし中々見つからない。表情が徐々に曇り出す。
「ここに入れておいたはずなのに……」
「おい、嘘だろ?」
「待って。大丈夫、絶対にあるから」
「焦るなよ。落ち着け、深呼吸だ」
「う、うん。すぅ~はぁ~」
幾分落ち着いた感じがしたが、肝心の受験票が見つからなければ意味が無い。
再び鞄の中を探す冬華だが、やはり見つからないらしい。
「ど、どうしよう」
「大丈夫だって。確認しただろ、受験票が無くても受験できるって」
「う、うん。そうだけど、そうだけど……」
それでも不安になってしまう。
動揺がテストに影響してしまうかもと考えてしまうと、更に動揺が深くなる。
「受験票が……受験票が……」
「もういい。探さなくて良いよ。無いと思って割り切ろうぜ」
心情的に難しいかもしれないが、それが出来るようにとフォローしようと勇気は思考を巡らせる。
しかしその必要は全く無かった。
「受験票が……受験票が……あるんだな、これが」
「え?」
冬華がにやりと笑い、鞄から受験票を取り出した。
忘れた訳でも無くした訳でもなく、鞄の中にしっかりと入っていたのだ。
「びっくりした?」
「心臓に超悪かった」
「ふふ、リラックス出来たでしょ。高校受験の時のお返し」
「むしろ動揺してヤバいんだが」
「え!? ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったの!」
冬華はドッキリを仕掛けて、勇気の緊張をほぐしてあげようと画策したのだった。だが残念ながらそれは逆効果になってしまったらしい。
「おっと、これじゃ今度は冬華が動揺しちまうな。大丈夫だって、すぐに落ち着くさ」
「本当にごめんね」
「気にするなって。そもそもこの程度の動揺なんて今までしてた動揺に比べたら大したことないし」
「え? 勇気が動揺してたとこなんてほとんど見たこと無いよ?」
「そうか? 毎日のように動揺してたけどな」
勇気は冬華の耳元へと口を近づけ、そっと囁いた。
「冬華の傍にいるだけでずっとドキドキして動揺しっぱなしだった」
「!?」
途端に顔を真っ赤にしてしまう冬華。ある意味別の動揺をしてしまったが、これはして良い動揺だと冬華は己を納得させる。
そしてお返しと言わんばかりに、勇気の耳元へと口を寄せた。
「もし同じ大学に進学出来たら、今度こそやらせてあげる」
「!?」
高校受験のあの日から、三年越しに望んだお礼をしてあげよう。
そんなことを言われたら顔を赤くして動揺してしまう。カウンターが見事に決まってしまったのだ。
再び、冬華の左手が勇気の右手に重なる。すると今度は勇気が右手を反転させ、しっかりと絡ませた。
テスト会場へと向かう電車の中にて、その一角だけが緊張感とは無縁なピンク色の空気を纏っていた。そして近くの受験生が激しく苛立ち落ちろ落ちろと怨嗟の念を送るのだが、残念ながら二人は合格してしまうのである。




