第七話 愛するものとの約束
”どうかあの子を救ってください”
その声と共に俺は自分が「何者」であるかを思い出した。
森に住まう、白銀のドラゴン、アルビオン。
その傍らにいたのは守るべき愛しい存在の、アニマ。
「確かに痛かったよ、死ぬときは」
死ぬのは痛い、苦しいとアニマは言った。俺にもその記憶はあり、正直二度と体験したくない情景だ。
あの時の俺はアニマの力が露呈することを恐れた。
それが露呈してしまえば、幸せだと無邪気に言う彼女の幸せを守れないと思ったから。
珍しい力を人間はどこまでも欲し、追ってくる。そこから永遠の逃走が始まってしまう。
だから、自分自身を犠牲にしてでもアニマの幸せを願ったのだが……。
「世界の救済を口にしながら、人々を襲う魔獣ね……」
発端はドラゴンの討伐。
その後から魔獣が出現し、次々に人や街、国を何年、何十年にも渡って滅ぼしている。発生当初は白いとされていた体毛は、いつのまにか漆黒となっていたという。
目的はなく、突然現れては人語を喋りながら人々を蹂躙していく。
軍隊を派遣しても、戦意喪失に陥り次々と屠られる。
成すすべのない災害。
「アニマ、なんだろうな」
新聞に載る魔獣の写真から、俺は”アニマ”の形を捉えた。
どうしてこんなことに、と思うが、純粋ゆえの狂気なのだろう。
あのまま森で静かに暮らしていれば、現れなかったであろうソレがアニマを動かしている。
「約束を果たさないとな」
小さな村の貧乏な家に生まれた、今の俺。
俺がアニマにたどりつく為にしなければならない事は多くあった。
まずは力をつけること。
これはいつ現れるとも分からないアニマという災害に対して、国がどんな子供でも受け入れ、兵力を増強していたので問題はなかった。
もちろん訓練は厳しいものだったが、俺が止めなければあいつは止まらない事を直感していたから苦にはならなかった。
なにより俺は約束を果たさなければならない。
次は生き残ること。
アニマの出現で世界の均衡が崩れ、経済や治安は悪化し、裕福な国など一つもなかった。
そんな中で奪われずに生き残ることは難しかったが、人殺し以外は生き残る為になんでもやってきた。
そうして、俺はようやくアニマと対峙する機会を得たのだ。
あぁ、やっぱりアニマだった。
体の色や雰囲気が変わっても、魂に刻まれた名だけは嘘をつかない。
俺は生まれ変わってもなお、その名を見る目を持っていた。
ようやく会えた歓喜に体が震え、一歩前に出る。
仲間が俺を制止したが、構うことなくアニマに近づく。
「……アニマ」
その言葉にアニマがこちらを見て足を止める。
俺をじっと見ているが、襲い掛かってこない事に安堵する。
認識できているのか、出来ていないのかは分からないが、まだどこかで俺を覚えていてくれている。
「アニマ、約束通り会いに来た」
「……」
その体が震え、威圧感がわずかに薄れる。
動揺しているのであれば、あと一押しだ。
「アニマ、それがお前の名前だ。俺が見つけた魂に刻まれた名」
「……っ」
威圧感は霧散し、戸惑うように俺を見つめている。
「随分と汚れたな」
「アル、ビオン……?」
俺の過去の名を口にした事に安堵した。
俺をアニマは覚えていた。それが嬉しくもあり、悲しくもあった。
あの無邪気に幸せだと笑う、真っ白なお前がもうどこにもいない。それが酷く悲しかった。
「疲れただろう、もう休んでいい。おいで」
「あ、あ、あ……」
混乱しているのか動けないアニマに俺が近寄り、手を伸ばす。
「もう大きな翼はないが、お前を抱きしめる両腕がある」
そうしてアニマの首を抱きしめ、その体を優しく撫でる。
ドラゴンの時は不用意に触れることも、抱きしめることができなかった。それを惜しく思っていたから、ようやく抱きしめる事ができて嬉しかった。
「バカだな、本当に。お前は純粋で、子供で、世間知らずで……。俺がいないとこれだ」
「アルビオン……。私、たくさん人を幸せにしたよ」
「……あぁ」
人を殺すことを本気で救済だと思っていたんだろうな。
それがどんなに惨いことでも、お前は本気で人々を救っていると思っていた。
俺が死んだ後どうしてそういう思考回路になったのかは分からない、ただ狂ったとしか結論づけられない。
復讐の為ではなく、世界の救済を目的にただただお前は世界を蹂躙した。
かつて美しいと言っていた世界が崩れ、煤け、何も残っていない事に、気づきもしないで……。
「生きてる不幸から、みんなを幸せにしたの」
「……そうだな」
「だから私頑張ったの」
「それがバカだって言ってるんだよ。見せるなって言ったのに」
誰が頑張れと言った?
誰が世界を救えと言った?
俺はただ、お前に幸せに生きてほしかっただけなのに。
「……?」
「大丈夫だ、もう大丈夫。俺がなんとかするから」
「なんとかって?」
約束を果たせば満足だと思っていた。
俺を突き動かしていたのは「どれだけ時間がかかっても会いに行く」という約束だけだ。
それを果たせさえすれば、満足すると思っていたのだ。
でも、違った。
美しかった艶やかな白い体毛が漆黒に変わり、汚れた魔獣に堕ちたアニマを前に自責の念が胸を焼く。
もし、俺が生きていれば……。
もし、俺があの時二人で逃げるという選択をしていれば……。
そんなもしもを考えて、思考を止める。
今、目の前にいるアニマを、魔獣と怖れられる彼女を心の底から愛おしく思ってしまうこの心。それと向き合わなければならない。
アニマを止めるには殺さなければいけない。仲間たちが後ろで今か今かと機会をうかがっている。今のアニマなら一斉に襲い掛かれば仕留められるだろう。
でも違う。そんな終わり方ではダメだ。
このアニマを作ったのは俺だ。
アニマの幸せを勝手に決めつけそれを優先し、自身の命を大切にしなかった俺の責任だ。
俺のエゴで始まったことならば、最後も俺のエゴで終わらせよう。
これ以上、汚れていくアニマを、俺が見たくない。
これ以上、お前に罪を重ねさせたくない。
他の誰でもない俺の手で、アニマを終わらせよう。
「だから、ごめんな」
震える手で腰にあった剣を抜き、アニマの体に深く突き立てる。
何が起こっているのか分からない様子のアニマを撫で、大丈夫、大丈夫と声をかけ続け、さらに深く剣を押し込む。
大量の血が流れているのに、アニマは痛みなど感じないという瞳で俺を見つめている。
アニマの温かな血で真っ赤に染まる自身の体に、遠い昔の記憶が呼び起される。
いつも寄り添っていた温もりをこんな時に思い出すとは皮肉なものだ。
「もういいの?」
「あぁ、十分だ。お前は十分頑張ったよ」
「そっか。みんな幸せになれたかな」
「……ああ、きっとな」
「会いに来てくれてありがとう、アルビオン」
あの頃の純粋な声でアニマは言葉を紡いだ。
腕の中でだんだんと体温を失っていくアニマを強く抱きしめ、声を殺して泣いた。
「頑張りの方向が間違ってるんだよ、バカ」
俺は幸せになってほしかっただけだ。
誰かを幸せにしてほしいなんて願ってない。
ただ、お前が穏やかに生きていればよかったんだ。
それを笑顔で迎えに行きたかったんだよ、俺は。
「アニマ……!!!」
約束を守った俺を一人にするなよ、バカ野郎。




