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悪魔と冬

作者: 緋西 皐

 悪魔は冬が嫌いである。寒さにしても大いなる自然のせいだと嫌い、衣の温かさにしても人のぬくもりに似て似合わない。行き場無きと雪を足跡に染めても命はそうしぶといものではない。そういった静寂はまるで人の匂いが冬に付くようで、勝手に心をしみじみとさせて気持ちが定まらない。

 快楽主義が社会に行き交い、十一月と一緒に秋に中指を立てるようになってどれほど経ったか。悪魔は神と自称して教典を読めば一緒に踊り狂うものだが、この冬の水滴点く窓の向こうはそうではない。人間が快楽のために生きるなどとは幻想も幻想だと言わんばかりである。

 窓の向こうというのは炬燵でつまらなそうに映画を見つめる彼のことである。悪魔は羽音靡かせ林檎を投げつけた。


 「わっ! 誰ですか」

 「悪魔だ」

 「悪魔?」

 「十三階級第四悪魔のギーレだ」

 「そんな具体的な自己紹介されるとなんかあんまり怖くない。何しに来たんですか」

 「お前を悪人にしに来た」


 悪魔とは人の心にある悪性を開花させ、憎き自然摂理の世を破壊するために存在する生き物である。特に日常に慣れている人間をそうさせることを好む。ギーレはまさしくその次第である。


 「男、お前のことをずっと見ていたぞ」

 「なにそれキモイ」

 「社会の常識に則り誰でもできる仕事を無難にしてヘトヘトになって家に帰れば、孤独に一人、映画を見る毎日。不満という不満もないが楽しみもない。つまらない人生だ。どうだ、ありきたりな日常をただ平凡に過ごしこのまま老いていくよりも、特別な存在になろうと思わないか。望めば力をやろう。人間を越えた英知だ。思うがままに性を謳歌できよう」


 悪魔は勝ち誇ったようにニヤニヤしながら勧誘をした。大方、人間は馬鹿なのだ。目の前に大金があれば友情を簡単に捨てるし、美人がいれば肉獣に化ける。されど強大な別人があれば嘘のように臆病虫となり、媚びへつらう。その様のちょうど逆のように、強大な力がそこにあればその別人、社会に反旗を翻そうとも思う猛獣となる。悪魔は化けの皮を剥がし、そこに林檎の種を植えようと言うのだ。

 が、男の目は厳しかった。


 「どうした? 力が欲しくないのか? いいや、欲しいだろう!……欲しいだろ? え、え、どうした?」

 「いやさ、言わせてもらうけどさぁ~勝手に人の家に入ってきて、ストーカー宣言? みたいなこと言ってさ、もうその時点で意味わからないけどさ、その上『お前の人生はつまらないぞ』って言われて、話聞くと思う? オラ、さっさと帰れよ」

 「おいおい、俺は悪魔だぞ。悪口を言うに決まっているだろう」

 「知るか、ほら、帰れよ。あと靴脱げ」

 「俺は悪魔だぞ。飛んでいるのだから靴を脱がなくてもいいだろう」

 「そういう意味じゃないんだよ。靴脱いで帰れ」

 「帰るなら靴脱がなくていいだろう――それよりも、力が欲しくないのか? お前のつまら、、ごほん、平凡な日常が色鮮やかになるぞ。ほれ、その映画の美女とも不倫できよう、他の女優とも浮気できよう。それに、、」

 「待て待て、なんで女優と――」

 「おっと、すまん。ゲイだったのか。最近の悪魔崇拝者はそっち系が多いらしいが、そうか、お前、素質があるぞ」

 「ゲイじゃねえよ。後それ普通に差別だろ」

 「悪魔だぞ、差別くらいする」

 「たしかに。じゃなくてだ、なんで不倫と浮気しかないんだって言ってんだよ。純愛は無いのか」

 「純愛など神の道理。許されるものか。そもそも不倫も浮気も楽しいぞ?」

 「楽しければいいというものではないし、そもそも望んでいない。てか帰れよ」

 「待て待て。悪魔の契約は肉欲だけではない。富と名声も手に入る。金だ。金があればなんでもできる。欲しくないか? 欲しかったら私と契約を結べ」


 人類史を探しても金を欲しがらない人間はごく少数。悪魔は生物学と数学に優れていた。されどまた、男の姿は険しい。どうやら悪魔は道徳とコミュニケーション日本語に劣っていたようだ。


 「どうした? 欲しくないのか?」

 「契約内容は?」

 「おお。死後、儂に魂を寄越すこと。それと現世で悪いことを沢山することだ。それで力をやろう。誰も敵わない、最強の力だ」

 「へー契約書は?」

 「契約書だと? いらん。血だ。お前と俺で血の契約をすれば、、」

 「いやいや、契約するのに契約書ないとかどうなってんだよ。怪しすぎ」

 「悪魔だぞ。怪しくて当たり前だ」

 「詐欺する気満々じゃねえか。詐欺師だろ。帰れよ」

 「悪魔だが? 詐欺ではない。そうか、そうかそうか、欲しがりめ。わかった。いまならこの、悪魔包丁もやろう。なんとこの包丁、なんでも切れるのは当たり前だが、返り血抑制機能と勝手に消えーる機能があって、逃走と証拠隠滅の面で、、」

 「なんかセールスみたいで却って胡散臭くなった。いらんわ、帰れよ」

 「悪魔包丁便利なのだがなぁ……」


 この男、なかなか手強い。欲という欲が無いのか。悪魔は手こずっていた。どうしたものかと座敷の天井、頭を付けて考え込んでしまった。

 欲望が無い人間など存在しない。人間は動物の一種でしかなく、その心情も哲学も道理に伴って説明がつく。それが人間の必ず欲しがるものを明らかにしている上、悪魔は交渉したのだ。されど悪魔の感触はその通りにはいっていない。感触。今、悪魔にある感触といえばまるで同族と話しているような不便さである。

 そう悩める悪魔を、男は無慈悲深く、まるで冬のゴキブリだと言わんばかりにハエ叩きで殴ろうとした。すらっと避けられた。

 

 「お前。こんなつまらない人生で良いのか」

 「だからつまらない言うな」

 「もっと遊びたくないのか。社会の奴隷じゃなくて特別な存在になりたくないのか」

 「奴隷言うな。失礼なやつだ」

 「ああそうか、社畜というべきだったか。すまんすまん」

 「煽ってきてばっかり。なんだこいつ」

 「悪魔だが」

 「もういいわ。帰れって」

 「ほんとうにいいのか? 契約すればもう働かなくとも済むぞ? 一生豪遊できるぞ。人間の欲望のままに」

 「今俺にある欲望はお前がさっさと帰って映画の続きを見ることだよ。それに俺は社畜じゃない」

 「なに?」


 悪魔は目を丸くした。パンツから悪魔ノートを取り出すと男の経歴を確認した――悪魔は宙から降りた。


 「そうかそうか。お前、小説家だったか。そうかそうか。人の不幸が無ければ腹を満たせない人種はまさにそうだろう!」


 悪魔は笑いながら廊下に足跡を付けて帰って行ってしまった。

 男はその嘘っぽい黒い翼がただ嘘っぽいと溜息をした。

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