【29話】大事なこと ※フレイ視点
アクアの手を引いて屋敷に戻ってきたフレイは、ずんずんと通路を歩いていた。
「お姉ちゃん。忘れ物ってなに? どこまで行くの?」
「そんなものないわよ」
「……もしかして嘘をついたの?」
「そうよ」
フレイが足を止める。
忘れ物をしたというのは、あの場を抜け出すための嘘だ。
「ひどいよ……私、エレナ様とお月見したかったのに!」
「そんなの私だってそうよ!」
でもそれは、あの場が嫌だったからではない。
大好きなエレナの隣で見るお月様は、本当に綺麗だった。
ずっとあそこにいたかった。
でもフレイには、すべきことがある。
そんな幸せな場所を抜け出してでもやらなければならない、大事なことがあるのだ。
「あんたに話があるの。よく聞きなさい」
神妙な顔つきになったフレイは、ぷりぷりと不機嫌になっているアクアをじっと見つめる。
「このままだとエレナは、この家から出ていってしまうかもしれないわ」
「え!?」
アクアはスカイブルーの瞳を大きく見開いた。
不機嫌だった表情が、一気に驚愕へと変わっていく。
「二人は普通の夫婦じゃないわ。けーやくけっこん、でできた夫婦なのよ」
ジオルトがそう言っていたのを聞いたことがある。
意味はよくわからないけど、普通の結婚とは違う特別なものらしい。
「……普通のとは違うの?」
「それは私もよく知らない。でもね、ひとつだけ大きな違いがあることは知ってる。けーやく、っていうのには全部、期限があるものなのよ」
この前参加した社交パーティーで大人がそう言っているのを、フレイはたまたま耳にした。
それで、フレイは知ったのだ。
けーやく、は無限じゃない。終わりがある――と。
つまり、けーやくけっこんしているジオルトとエレナの関係にも、終わりがあるのだ。
……実際のところ、エレナとジオルトの契約には期限の定めはない。
しかし、すべての契約に期限があると思っているフレイはそれを知らないでいた。
「期限って……。それじゃあ、エレナ様はいなくなっちゃうの!?」
「そうよ。けーやくの期限が切れたら、お父様とエレナは夫婦じゃなくなってしまうもの。そうしたらエレナは、ここから出ていってしまうでしょうね」
「やだやだ! そんなのいやだ!!」
背中から床に倒れ込んだアクアは、両手足を使ってジタバタした。
びゃあああ、と大声で泣き叫んでいる。
駄々っ子みたいだ。
真面目でしっかり者のアクアがこんなにも取り乱しているところを、フレイは初めて見た。
「エレナ様と離れたくない! ずっと一緒にいる!」
「私だってエレナとずっと一緒にいたいわよ! だから、あんたと私でどうにかするの!」
アクアのジタバタが止まった。
すくっと立ち上がり、フレイを見つめる。
「エレナが出ていくのは、けーやくけっこんだからよ! だから、けーやくけっこんじゃない普通のやつに変えるの! 私たち二人で!」
アクアの両肩を、がっちりと掴む。
「……でも、どうやるの?」
「『普通のけっこんに変えて』って、お父様とエレナにお願いするのよ」
「そうしたらエレナ様は、ずっと私の隣にいてくれるの?」
「そうよ」
エレナが出ていってしまうのは期限のある、けーやくけっこんだからだ。
だったら話は簡単。期限がない普通のものに変えてしまえばいい。
そうすればエレナとジオルトは、ずっと夫婦のままでいられる。
エレナはずっとここにいてくれる。
「……わかった。私もやる。エレナ様とずっと一緒にいたいもん」
アクアの瞳に強い決意が宿る。
フレイだって、アクアと同じ気持ちだ。
エレナのことが大好きだ。離れたくない。ずっと一緒にいたい。
だからそのためなら、なんだってやってやる。
(絶対に成功させてやるんだから!)
揺るぎない決意を、フレイは胸に誓った。




