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(めっ……!?)


 予想だにしなかった言葉が耳に入り、ルーカスは驚きで目を見開く。


「そうだ」


 青年は即答した。


 ルーカスは静かに混乱した。何がどうなっている。わけがわからない。どういうことなのかを青年に聞きたかったが、黙っているように言われているし、そもそもこの雰囲気の中で話に割り込むことなどできるわけがなかった。


 できることといえば、青年の腕を掴む手に力を込めることくらいだった。青年がちらりとルーカスに視線を送り、微笑む。


「私は、彼を伴侶にしたいと思っている。人間でいうところの『結婚』だね」


(けっ……結婚……!?)


 ルーカスは思わず青年を見上げた。目が合い、青年が笑みを深める。


「きみ、名前は?」


 これまでの冷たい声とはまるで違う、優しく甘やかな声で問いかけられる。


「ルーカスです」


 ルーカスが答えると、青年が嬉しそうに頷く。


「ルーカス。人間はどうやって結婚するのかな?」

「えっ……と……」


 答えに窮して、口籠る。青年が精霊である以上、婚姻の届出をする必要はないだろうし、そもそもこの雰囲気からして手続き云々の話をしているのではないだろう。


 どう説明するか少し考えてから、ルーカスは言う。


「教会で互いを一生愛することを誓い、揃いの腕輪を交換します。指輪を交換する地域もあるそうですが……」

「なるほど。では、皆に証人になってもらうことにしよう」


 青年はルーカスの手を左腕からやんわりと引き離すと、ルーカスの両肩を掴んで互いに向き合うように誘導する。それから、ルーカスの両頬を包み込むようにして触れた。


 青年の両手は先程と同じでヒヤリと冷たく、かと思えば次の瞬間には温かなものに変わる。妙に思いながらも、そのことについて深く考えることはできなかった。それどころではない。両手でルーカスの顔を固定した青年は、ルーカスをわずかに上向かせると、そのまま顔を近付けてくる。


「えっ……ちょっ……」


 動揺するルーカスに構わず、青年は間近でふっと笑った。


 青年の笑みがあまりにも綺麗で、おまけに、愛しい者を見つめるかのような甘さを含んでいて思わず見惚れてしまう。


 やや遅れて、今の状況と、青年の甘ったるい視線が自分に向けられたものだとはっきり認識した。途端に全身の血が沸騰するかのように体が熱くなる。動揺と羞恥と照れと困惑が一緒くたになって襲いかかり、拒むことはおろか何も言葉が出てこない。


「……っ」


 これ以上接近したら唇と唇が触れる、というところで耐えきれなくなり、ルーカスは息を止めてぎゅっと目を閉じた。


「ふふ」


 青年が楽しげに小さく笑うと、漏らした息がルーカスの唇を撫でる。青年はさらに、ルーカスの右頬を撫で、そのまま右耳にやんわり触れる。そうして次の瞬間、額に軽い衝撃があり、ルーカスは咄嗟に目を開けた。


 すぐそこ、鼻と鼻が触れ合いそうな距離に、青年の顔があった。目が合い、微笑まれて、そこでようやく互いの額同士がくっ付いているのだと理解した。


「僕が還るその時まで、きみを愛すると誓おう」


(……かえる?)


「きみも、僕が還る時が来るまで、僕を愛してくれる?」


「……は、い」


 ここは「はい」と答えるべきだということはわかっているものの、口に出すとなると照れ臭さがどうしても拭い去れない。やっとのことで途切れ途切れに答える。


「ありがとう」


 一度額を擦り付け、青年がルーカスから顔と両手を離す。青年はゆっくりと身を起こし、顔だけを正面に向けて真剣な表情で言う。


「これで、彼は私の伴侶となった。私が還った後の彼の処遇については私が決める。皆は彼に今後一切手を出すな。破れば相応の報いを受けてもらう。いいね?」


 青年は同意を求めるように聞いたが、その実、他の精霊たちの答えを望んでいなかった。決定事項として、宣言したのだ。精霊たちは無言のままだ。どの精霊もうんともすんとも言わない。


 ルーカスはただ青年を見上げることしかできなかった。青年の真剣な横顔を見つめながら、なるほど、と内心で独り言を呟く。


 初めからこうするつもりだったから——自分の伴侶にするつもりだったから、ルーカスに「きみのこと、大切にするよ」と言ったのだ。


 ルーカスのこれから先の半年間を貰う必要がある、と言ったことからは、青年が半年間だけ結婚生活を送るつもりであることが窺える。先程、自分が還る時までルーカスを愛すると宣誓したことから、『還る』が何なのかは不明だが、半年後には青年が『還る』ために、結婚生活は不要になる。そこで晴れてルーカスは自由の身になるということなのだろう。


 ふと、青年がルーカスの方に向き直り、穏やかに微笑む。ルーカスに聞こえるギリギリの声で「もう大丈夫だよ」と囁き、ルーカスは頷いて答えた。


「さあ、行こうか。ここは居心地が悪いだろう? 決めることももう無いしね」


 助かったのだと、北部から出られるのだと頭が認識した途端に一気に緊張が解けて安堵し、体からどっと力が抜けて膝からくず折れそうになる。


 青年は穏やかに笑ったまま、留め具を外してマントを脱いだ。何かと思えば、そのマントをふわりとルーカスに被せる。嗅いだことのない花のような匂いがして、視界がマントで遮られる。


「ごめんね。ここから出るまでこのままでいてもらうよ。あと、目と口を閉じていてくれるかな。僕が良いって言うまで、開けちゃだめだよ。足も止めないで」

「はい」


 ルーカスは頷いた。


「行こうか」


 青年がルーカスの右手を取り、手を繋いで歩き出す。


 ルーカスと青年がいる小島は、三歩進めば湖に落ちてしまうくらいの小さなもので、岸に繋がる橋の類は無い。


 青年に手を引かれて、一歩、二歩、三歩と歩く。青年は止まらない。意を決して、止まることなく四歩目を踏み出した。


 落ちた——と思ったが、ルーカスの足は硬質な何かを踏んだ。地面というよりも、建物内の床と言った方がしっくりくる。続いて踏み出す足も、やはり硬質な何かを踏む。水に落ちたような感触もなければ、足も濡れていない。靴から感じるのは確かに硬い床のような何かだが、青年の足音も自分の足音も聞こえてこない。どういうことなのか猛烈に気になったが、言いつけを守って目と口を固く閉ざしたまま歩き続けた。


 どのくらい経っただろうか。ルーカスの体感では数十分ほど硬い床のような何かの上を歩き続けたところで、唐突に青年がルーカスの手を引っ張って自らの腕を掴ませた。エスコートされるような形でゆっくりと歩きながら、青年が「もう喋っていいよ。目はもう少し閉じたままにしててね」と声をかけてきた。


「助かった……?」

「うん、大丈夫。安心していい。今は安全な場所……僕の家に向かってるところだよ」


 ルーカスはほっと息を吐く。


「突然結婚するだなんて言ってごめんね。僕たちの中には執念深い精霊がいるから……きみの安全のために、半年間僕と一緒に過ごした方がいいと思って。でも、人間たちの間でそれまで赤の他人だった者たちが一緒に暮らす方便が僕には『結婚』しか思いつかなかったんだ」

「いえ、本当に助かりました。確かに結婚は驚きましたけど……いずれ、俺にはどうにもできなかったので感謝しています。ありがとうございました」


 心からの礼を述べると、青年が隣でほっとした気配がした。


「僕の名前は赤星って言うんだ」

「あかぼし……」


 ルーカスは内心で首を傾げた。青年は自らの名前を赤星だと言ったが、ルーカスは青年が『赤星の任を受ける』と宣言したのを聞いた。だとすれば、『赤星』というのは名前ではなく、役職のようなものなのではないだろうか。


「赤星というのは、あなたの名前ではなく役職や役目を示す呼び名なのではないですか? あなたの本当の名前は?」


 青年はすぐには答えなかった。困ったように笑い、それから、言う。


「レネだよ」

「レネさん」

「レネでいいよ。それと、丁寧に話そうとしなくてもいい。楽に話して」

「わかった」


 ルーカスは頷き、話を続ける。


「その……レネはどうして俺を助けてくれたんだ?」

「きみが故意にあそこに入り込んだんじゃないってわかったからかな」

「俺は人間なのに?」

「僕はみんなと違って、そもそも人間が嫌いじゃないんだ。母が人間でね。幼少期は人間の街で過ごしていたから、僕の感覚はみんなと違って人間寄りだと思うよ」

「え……!?」


 さらりと告げられ、ルーカスは驚いて目を見開いた。


「お母さんが、人間?」

「うん。母は人間で、父が雪の精霊——正確には、タボヤ山の万年雪の精霊なんだけど、まあ……それは置いておこう。僕は六割くらいが雪の精霊で、四割くらいが人間なんだよ。だから、みんなみたいに人間に嫌悪感がない」


 青年——レネはそこで言葉を切った。


 母親が人間で、父親が雪の精霊とは、一体どういうことなのだろう。人間と精霊との間に子が生まれるとは、聞いたことがない。


 レネの口調は穏やかであったし、ルーカスを連れて歩く歩調に変化はない。それでも、ルーカスにはこの話題がレネにとってどういう意味を持つのか、容易に深掘りして良い話題なのか、判断することができなかった。少なくとも、精霊たちの間ではレネの父母はよく思われていないに違いない。レネが父母に触れた話をした時の、場に漂う緊張感と緊迫感、殺気すら感じられる鋭い視線を思い出して身震いする。


 やはり、こちらから触れない方がいい気がした。事はそう単純な話ではない予感がする。レネが自発的に詳しい話をしてくれるのを待った方がいい。


「……タボヤ山?」


 迷った末に、レネの出自について深掘りして聞くのをやめたルーカスは、無難な問いかけをした。


 タボヤ山という名前には聞き覚えがなかった。王立研究所で実験台になる以前も、実験台になった後も、国内の地図や紀行文に触れる機会はあったが、タボヤ山という名前の山はなかったはずだ。


「タボヤ山は、きみたちで言うところの北部……僕たちはホグって呼ぶんだけど、そのホグの奥地にある高くて綺麗な山だよ」


 なるほど、と納得する。どうりで知らないわけだ。北部にある山を人間が知るわけがない。


「レネも、そのタボヤ山の万年雪の精霊なのか?」

「うん。そうだね。父がそうだから」


 レネは苦笑する。


「凄く綺麗な山なんだ。きみにも見てもらいたいけど、連れて行くのは無理だろうなぁ。残念だけどね」

「気にはなるけど、さっきみたいな目に遭うのはちょっと……」


 レネは小さく体を揺らして笑い、「だよね」と楽しそうに言う。


「まあ……僕は厳密には万年雪の精霊なんだけど、万年雪だけじゃなくて雪全般に作用する力があるから、自己紹介する機会がある時は『雪の精霊』って言ってるよ。みんなも、割とそのあたりはざっくりしてたりするんだ」

「へえ」


 興味深い話だ。精霊そのものや、北部についてはほぼ知られていない。精霊と直接接触できる者などいないし、北部は足を踏み入れると二度と帰れない。情報を得ること自体が不可能なのだ。興味が湧かないわけがなかった。


「きみは、どうして北部に来たの? 北部に入りたくて入ったというわけではないんだろう?」


 唐突に問いかけられ、思わず黙り込む。何をどう話して、どこから話せばいいのだろう。ルーカスはしばらくの間考え、それから開口した。


「……調査をしに来たんだ」

「調査?」

「最近、精霊石が使えなくなる現象が多発していて、その原因を精霊たちに聞こうと……」

「それは、きみの考え?」


 皆まで言う前に、レネに遮られる。穏やかな口調は変わらないものの、咎めるような響きがある。


 ルーカスはゆるゆると首を横に振った。


「なるほど。命令されたのか。災難だったね」


 レネは静かに息を吐く。


「安心するといい。精霊石が使えなくなる現象は半年後に解決するよ」

「本当に?」

「うん。今は二星様が不安定だから、精霊石と精霊が上手く繋がらないんだ。半年後に僕が還れば元通りになる。精霊石も元通り問題なく使えるようになるよ」

「ふたぼし……様……? それに、かえるっていうのは……」

「二星様なら、きみも見たはず。僕たちの周り、足元にいらっしゃっただろう?」


(俺たちの周りの、足元?)


 ルーカスはそこでハッとした。まさか、あの湖のことを言っているのだろうか。


「さっきの……黒い何かが沈んでて、その中で青い何かが光ってる湖のこと?」

「そうだよ。確かに湖に似ていらっしゃる。きみは興味深いことを言うね」


 レネは楽しそうに声を弾ませる。


「二星様は僕たち精霊の核になるものを生み出して授けてくれるんだ。核になるものは人間に例えるなら心臓のようなものかな。二星様は全ての精霊の母と言ってもいいし、根源と言ってもいい。僕たちは二星様をとても大切にしているんだ」

「まるで、意思のある生命体のように話すんだな。俺には変わった湖にしか見えなかったけど」

「明確に会話を交わした精霊はいないけど、意思に近いものはあると考えられているよ。さもなければ、僕はここにはいないだろうからね」

「……? どういうことだ?」


 湖、もとい二星に意思があるのかという話とレネがここにいることの繋がりが全くわからない。


 レネは小さく笑い声を上げ、穏やかな口調のまま続けた。


「父は母と一緒になるために、三年間もの間一日も欠かさず二星様に『人間になりたい』と願い続けて、二星様はその想いに応えてくれたんだ。おかげで父は、完全な人間になることはできなかったものの、限りなく人間に近い精霊になって母と添い遂げた」

「二星様とやらが願い事を聞いてくれたってこと?」

「そう。過去にはホグに迷い込んだ死にかけの人間の子供を助けるために御身を削って与えたりということもあったんだ。だから、意思のようなものがあると僕たちは考えている」

「へえ……」


 これまた興味深い話だ。湖にしか見えない二星には、慈悲の心のようなものが存在しているらしい。


「それで、還るっていうのは?」

「還るってのは、きみたち人間で言うところの『死』だね。精霊としての体が消滅して無になり、精霊の核のようなものは二星様の元へと戻る——それが『還る』だよ」

「え……? つまり、レネは半年後に死ぬのか?」

「そうだよ」


 レネはなんでもないことのように頷き、言う。その穏やかな声音からは、彼の心が凪いでいること以外に何も読み取れない。


 寿命だろうか? それとも、何かの病なのだろうか? 精霊が病に罹るのか? ルーカスの頭の中を疑問が駆け巡り、口から飛び出しそうになったが、すんでのところで堪えた。軽々しく聞いていい話だとは思えなかった。


「僕はさっき、二星様が死にかけの子供を救うために御身を削って与えた話をしたけど、二星様はその時に自身の御身の半分をも削っていてね。一命を取り留めた子供がそのまま生き延びるためには二星様の御身を持ち続けなければならなかったから、子供は自分が生を全うする前に必ずもう一度ホグを訪れ、二星様にその御身を返すと約束して元いた人間の街に戻って行った」


 ルーカスは内心で首を傾げた。レネが唐突に話し始めた内容は、レネが半年後に還ることと何か関係があるのだろうか。


 レネは静かに話し続ける。


「しかし、その子供は何十年経っても二星様の元へ戻って来なかった。人間の寿命を越える年月が経っても、現れなかったんだ。以来二星様は、御身の半分を失ったまま。そして御身の半分が欠けた二星様は、数百年に一度、力不足で不安定になる。二星様が不安定になると僕たちにも影響が出る。形を保てなくなったり、弱ったり、精霊の力が上手く使えなくなったりする。だから僕たちは、二星様が不安定になったら、強い力を持つ精霊のうち一体を二星様に還らせることで力を補っていただくことにしたんだ」


 どんな言い方をしようと、どんな理由があろうと、それは生贄に他ならない。


「それは……生贄ってことだよな?」


 ルーカスの口からは強張った声が出る。まるでレネを責めるかのような響きになってしまったのは、レネが何を言いたいのかうっすら察してしまったからだ。


「きみたち風に言えばそうだね。その『生贄』を僕たち精霊は『赤星』と呼ぶんだ。今回の赤星は、僕だよ」

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