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「これは、もう……ルーカスを北部に行かせるしかないのでは?」


(……俺?)


 ふと、眠りの底から意識が浮上して、ルーカスの耳に自分の名前が飛び込んできた。寝台の上でゆっくり体勢を変え、薄目で出入り口の扉の方を見る。


 出入り口の扉脇、研究員の定位置であるイスには誰も座っていない。扉がわずかに開いたままになっていて、その外から話し声が聞こえる。ルーカスの観察担当の研究員が、廊下で別の研究員と会話しているらしい。


「でも……今の時期の北部は精霊の集いが開催されているから……いくらルーカスでも北部から生きて帰って来られるかは……」

「そうは言っても他に方法があるか? 時々、突然精霊石が使えなくなる原因を精霊から聞き出せる可能性が最も高いのは、高位の精霊二体に気に入られているルーカスだけだ。ルーカスにも聞き出せないのなら、我々に打つ手はない」

「だけど……ルーカスほど都合のいい実験台なんてそうそう見つからないわよ。いなくなったら困るわ」

「上はそうは思っていないみたいだぞ。まあ、ルーカスに反旗を翻されたら打つ手がないからな。ここらはあっという間に焼け野原になるか水に沈むかになるだろうよ。扱いに困る、脅威になりそうな存在を適当なところで始末したいんだろうな」


 複数人の研究員が、ルーカスが聞いているとはつゆ知らずに会話している。


(あの北部に、俺が?)


 この国——カルミセ国の北側一帯には、精霊の住処があるとされる立ち入り禁止の地域があり、どの国にも属さないその地域を各国は『北部』と呼んでいる。


 精霊たちの間では『北部』ではなく、異なる名前で呼ばれている地域なのかも知れないが、精霊と直接交流する機会がない人間たちには正式な地域名を知る術がない。


 北部の全貌は明らかになっていない。全域にわたって深い霧に覆われ、人間の領分との境目には森が広がっていることしかわからない。


 霧に覆われた北部がどうなっているのか、森がどこまで広がっているのか、森の奥には何があるのか、大陸中のどの国も把握できていない人跡未踏の地だ。


 北部に足を踏み入れたものは二度と戻らないとされている。過去、何度も何度も各国から調査隊が派遣されたが、その度に誰も戻らなかった。事態を重く見た時の王たちが立ち入り禁止を言い渡し、今に至っている。


(確かに……最近、突然精霊石の力が引き出せなくなる時がある)


 近頃、ある現象が皆を悩ませていた。その現象というのが、精霊石の力を使うことができなくなるというものだ。


 精霊石が色を失っておらず、元になる精霊が明らかに生きているのに、どうしたことか力を引き出すことができない。


 初めは何かの間違いだと無視できるような頻度でしか起きなかったこの現象だが、今では精霊石の力を三度使用すればそのうち一回は力を使用できないくらいの高頻度で発生する。原因は不明だ。貴族間でも民衆間でも騒がれている問題だった。


(精霊の集いに乗り込んで精霊石が使えなくなる原因を聞いてこい? そんな馬鹿な……)


 精霊の集いは、一年に一度、大陸中に散らばる精霊たちが北部に集まり、開催される『何か』だ。『何か』がなんなのかは、具体的には何もわかっていない。ただ、この時期——五の月から六の月にかけて開催されるということだけがわかっている。


 精霊の集いの開催を知るきっかけになったのは、約三百年前の人間と精霊の諍いからだ。


 今から三百年ほど前、カルミセ国西部のある街に一人の雪の精霊が棲みつき、その影響で西部全域に雪が降り続けた。


 降り止まず、溶けることもない雪は、元々雪の降らない西部を大混乱に陥れた。わずか数年で人の住めない凍てついた地に変貌した西部から人々は逃げ出し、かくして西部に大雪原が形成された。


 人々は、不当に棲家を奪われた西部の民を中心として、国を挙げて西部に居座る雪の精霊を討とうとする。だが、人の身では、大雪原の猛威には手も足も出ない。雪の精霊の元に辿り着くどころか、猛烈な吹雪や雪崩に見舞われ、生き物のように蠢く雪原に恐れをなして、結局はなす術もなく撤退した。


 そうして、人々の怒りの矛先は精霊の棲家とされる北部に向いた。どうしようもない怒りを抱えた者たちが、何の根拠もなく『精霊の王が北部にいるはずで、その王が西部に雪の精霊を居座らせている。王を討てば西部を取り戻せる』との思い込みの大義名分を抱えて北部を攻め始めた。


 その頃の北部は今ほど閉鎖的ではなく、ある程度は踏み入ることができたらしい。人々は北部に大挙して押し寄せた。森を焼き、草花を踏み荒らし、木を切り倒しては川や泉を血で染め上げた。


 半ば戦争のようになってきた頃、高位の精霊である大精霊たちが、人間に交渉を持ちかけた。ある事情により、西部からは雪の精霊を退かせることはできないが、その代わり人間の発展に手を貸す。全ての人間にとはいかないものの、気に入った人間に精霊石を授け、各精霊が持つ力の使用を許す。だから、北部への攻撃をやめてほしい。


 当時のカルミセ国の王は、精霊たちの提案をのみ、北部への攻撃を停止した。以後、カルミセ国は大陸に存在する国の中で、精霊から加護を授かる唯一の国となった。


 西部は今も依然として雪に覆われている。争いの原因となった雪の精霊が、今もなお生きているということだろう。


 精霊たちとの交渉時に、精霊の集いの存在が明らかになった、らしい。精霊の集いは春のこの時期、五の月から六の月にかけて開催され、二月ほど続く。精霊の集いは全ての精霊にとって重要なものであるため、開催期間中は絶対に北部に足を踏み入れないようにと厳重に注意されたのだという。足を踏み入れてしまったら、命の保障はしない、と言われている。


 その北部に——よりにもよって精霊の集いが開催されている今、乗り込んで精霊石が使えなくなる原因を聞いてこいと命じられるかもしれない。


 みすみす死にに行くようなものだ。無事に帰ってこられる保障はない。


(どうする)


 悩んだところで、ルーカスにはどうにもできないことだ。精霊石を元に戻す方法もわからないし、逆らうことも逃げることもできない。北部に行くことを嫌だと拒否したところで、ルーカスの意見など聞き入れられるわけがない。


 行けと言われたら、行くしかない。ルーカスには、行くか行かないかの選択肢など存在していなかった。





 北部への連行は、ルーカスが想像するよりも早かった。研究員の会話を盗み聞きしてしまった日から三日後、有無を言わさず馬車に詰め込まれ、その道中に説明を受けた。


 逃げられない状況にしてから、北部に入って精霊石が使えなくなる原因を聞いてこいと話を切り出すとは卑怯にもほどがある。


 無駄だとわかりつつ、原因を聞き出せる確率は低いこと、北部に踏み入って無事に帰ってこられる確率は極めて低いことを訴えてみたが、王命だからと一蹴されて終わった。


 ルーカスは同乗する研究員に気づかれないよう、深く息を吐いた。外の風景に目をやりながら、右手の親指と小指にはまる指輪に意識を向ける。


(……暴れてみるか?)


 精霊石の力を使って暴れ、逃走するかを自分で自分に問いかけ、すぐに今はやめた方がいいと結論を出す。


 精霊石は、各精霊が許容する範囲でしか使用できない。


 例えば、森を焼くことを良しとしない火の精霊の精霊石を使って森を焼くと、初回であるその時は森を焼ける。だが、その後すぐに、森を焼いたことが精霊石を授けた火の精霊に確実に発覚してしまう。


 許容範囲外の使用が発覚してどうなるかというと、運が良ければ精霊石を取り上げられるだけで済み、運が悪ければ精霊石を取り上げられた後に制裁を受けることになる。制裁は良くて怪我、悪くて死亡が大半だった。


 問題なのが、精霊石を授けられたとしても、その精霊の許容範囲は授けられた者に知らされないということだ。人間はただ精霊石を授けられるだけで、精霊とは交流できず、許容範囲が不明なまま使用するしかない。


 だから、ここでルーカスが精霊石を使って暴れて逃げたとして、それが精霊の許容範囲内かがわからないままでは、下手すると以後精霊石を失ってしまう。さらに、制裁を受ければ負傷するし、最悪の場合命を失うことになる。


 ルーカスがわかっている右手の親指と小指の精霊石の許容範囲は、木そのものや石そのもの、加えて木で出来た物や石で出来た物を破壊することはできるということだけだ。


 馬車は壊せる。しかし、馬車を壊してここから出た後、同行する兵士たちと対峙するような状況になったら、人に向けて精霊石の力を使えるかがわからない。どう考えても詰んでいて分が悪い。


 命が惜しければ、許容範囲内だとわかっていることのみ精霊石を使い、わかっていないことには使わない方がいい。この制約があるからこそ、ルーカスは観察されながら一室に閉じ込められる程度で済んだのだ。さして拘束しなくても、命が惜しければ勝手におとなしくするというわけだ。


(恐らく、俺が北部に入るまで監視の目は外れないだろうな)


 精霊石の力を使わずして逃げるのは難しい。ましてや、ルーカスの身体能力は特段優れているというわけでもない。走ってもさして速くないし、馬にも乗れない。常に監視の目がつく中、逃げる隙が自然と生まれるわけがない。


 となると、一度北部に入って監視の目が外れるのを待ち、それから逃走するしかない。はたして、一度足を踏み入れれば二度と帰ることができないと言われている北部に入り、無事に出られるのだろうか。


 いかなる方法を取ろうと、逃げられる望みは薄い。


 これは、実質的なルーカスの『廃棄処分』だ。ルーカスが精霊たちから精霊石が使えなくなる原因を聞き出すことができれば儲け物、できなかったとしても手に余る兵器を処分できるというわけだ。


(どうしようもないな……)


 王立研究所に売られてからのこの五年間、ルーカスは多くのことを諦めてきた——諦めざるを得なかったのだ。そう、おのれの命でさえも。


 この五年の月日の間、自らが賜った精霊石以外も使用できることが判明した時から、ルーカスはそれぞれの精霊石の許容範囲を探るよう命令された。幸いなことに制裁は一度も受けなかったが、常に命の終わりを意識せざるを得ない状況にいた。『諦める』以外に、ルーカスにできることはなかったのだ。


(……来る時がきただけか)


 諦めよう。仕方ない。


 ルーカスは再びひっそりと深く息を吐き、無意識に首飾りについた透明な石を握った。

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