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 簡素な寝台と質素な調度品、出入り口の扉横に置かれたイスには研究員が座り、こちらを観察している。窓から見える景色は向かいの尖塔の壁だけ。尖塔との距離が近いせいで空はほんの少ししか見えない。


 それが、ルーカスに与えられた世界の全てであり、生涯変わることのない景色だ。


 ルーカスは王宮に売られた、精霊研究の実験台だ。生涯、研究員に一挙手一投足を観察され、ここから出ることはない。検証のために別の部屋に行ったり、庭に出ることもあるが、幽閉といっても差し支えないだろう。


 夕食まではまだ時間がある。今日はどうやって時間を潰そう。本を読むか、刺繍でもするか、昼寝でもするか。この部屋でできることは限られている。


 今頃ルーカスと同じ年齢の男子は、剣技を磨いたり勉学に励んだり、街中に出て買い物をしたり、社交界に出て様々な者たちと交流したり、中には結婚する者もいるだろう。十八歳という年齢では、結婚するにも決して早くはない。


 家柄や立場によっては将来の選択肢がすでに決まっていて、あまり自由がないかもしれない。しかし、少なくとも自分の意思で自由に外を出歩けるし、年がら年中、常に生活を観察されることもないだろう。


(どうするかな……)


 少し悩んだが、今日は本を読むことにした。本棚の前に立ち、本を選ぶ。どれもこれも、一度どころか何度も何度も繰り返し読んだ本だ。そろそろ新しい本が読みたい。最後に本を与えられたのはいつだったか。


 ルーカスは研究員をちらりと見やる。ものは試しだ。頼んでみようか。


「あの……」


 研究員は無反応だ。ルーカスの声が聞こえているのか、聞こえていないのかすらわからない。顔を上げるそぶりすら見せずに、手元の用紙に何かを書き付けている。いつものことだ。


 ルーカスは構わずに用件を切り出す。


「新しい本を買いに行きたいのですが」

「上に確認します」


 研究員からは短い返答があり、それきり会話は途絶えた。


 ルーカスは小さく息を吐き、適当に一冊の本を抜き取ると、ひとりがけのソファーに腰を下ろす。書名を確認するためか、研究員が身を乗り出すのが視界に入り、もう一度小さく息を吐いてから本をかざしてみせる。


 十分に書名を確認できるくらいの間を置いて、ルーカスは本を開いた。


 こんなことをしても、研究員はルーカスを観察対象だとしか思わないだろう。気を遣ったところでルーカスに親しみを抱いてくれるわけでもなければ、何らかの情を抱いてくれるわけでもない。彼らにとってルーカスは、あくまでも実験台だ。


 それもこれも——。


(これがあるから)


 ルーカスは本を読むふりをして右手に目線を落とす。


 ルーカスの右手親指には、金の地金に、赤い石の付いた指輪がはめられていた。さらに右手小指には、銀の地金に、青い石の付いた指輪がはめられている。これら二つの指輪は、ただの指輪ではない。


 親指の指輪に付いている赤く透き通った丸い石は火の精霊石、小指の指輪に付いている青く透き通った菱形の石は水の精霊石だ。


 精霊石は、精霊が人間に授ける力の結晶で、各精霊が気に入った者にしか授けない。


 人間は精霊石を賜ることで、精霊石を生み出した精霊の持つ力を使用できるようになる。火を扱うには火の精霊石、水を扱うには水の精霊石というように、精霊石の種類によって扱える力は異なる。それぞれの精霊石を使用できるのは精霊から精霊石を賜った本人のみであり、他の者が使用しようとしても力は使えない。さらに、精霊の力を行使する際は必ず精霊石に触れていなければならない。


 ルーカスの右手の親指と小指にはまる二つの指輪は、ルーカスが十二歳の時に忽然と現れた。通常は石そのものの形態を取る精霊石が指輪の形を取って現れるのは異様なことであり、さらに決して指から外れないというのも異様さに拍車をかけた。


 精霊石の力の強さは、基本的には大きさと透明度に比例する。大きければ大きいほど、透明度が高ければ高いほど強い力を有していることになる。ルーカスの指にはまる二つの指輪の精霊石はどちらも小さいが、美しく透き通っていて、見ただけで威圧されるほどに凄まじい力を宿していることがわかる。明らかに高位の精霊たちから賜ったものだ。


 この指輪を賜ってからというもの、ルーカスは火と水の精霊石であれば、他の者が賜ったものであろうと使用することができるようになった。それも、触れることなく、だ。視認すれば、それだけでその精霊石の力を使うことができた。ルーカスに指輪を授けた精霊たちがいかに高位なのかがそれだけでわかる。


 ルーカスは、生まれた順番だけでいえば、名門貴族であるフアネーレ家の長子として生まれた。父はフアネーレ家の家長、母は使用人で、ルーカスは庶子だ。


 母はルーカスが生まれてすぐに亡くなり、それから数日後に異母弟が生まれた。父はルーカスに無関心で、庶子であろうとも自分の子供を家から放り出すような真似はしなかったが、ただそれだけだった。


 生まれたばかりのルーカスを、乳母と数名の侍女と共に離れに追いやり、以来顔を見せることすらしなかった。たまたま顔を合わせた時の父は、ルーカスをいない者として空気のように扱った。義母や異母弟は嫌な顔をするくらいで特に会話らしい会話もなかった。


 せめてもの救いだったのは、共に離れに追いやられた乳母や侍女たちが、ルーカスを疎むことなく慈しんで育ててくれたことだ。冷たい空気のような家族の中にあってもルーカスが歪まなかったのは、乳母や侍女の存在が大きい。


 風向きが変わったのは、ルーカスが二つの精霊石を賜ってからだ。複数の精霊石を賜ることですら珍しいのに、指輪の形態で、かつ強大な力を内包した二つの精霊石を賜ったルーカスを、父や義母や異母弟は家督を狙っているのではないかとひどく恐れた。


 ルーカスが、火と水の精霊石であれば他の精霊石をも視認しただけで使用できることがわかってからは、その恐れがより一層強くなった。


 結果、ルーカスは十三歳の時に王立研究所に精霊研究の実験台として差し出された。差し出されるにあたりフアネーレ家からは除籍されている。


 そうして五年が経ち、十八歳になった今も、ルーカスの身柄は国の管理下にある。


 どのような人間がより強い精霊石を賜るのかを研究するため、ルーカスの生活は常に観察されている。入浴も排泄も、いかなる場合でも監視の目は外れない。実験などの理由で外に出ることはあるが、それ以外は常に与えられた部屋にいることを強いられている。自由はない。部屋の外には兵士が控えていて、脱走することもできない。


 閉鎖的な環境下にありながらも、ルーカスは自身が実験台であると同時に、有事の際の兵器として管理されていることをうっすら理解していた。


 他国との争いが起これば、ルーカスは戦地に赴き、あたりを火の海にするか水に沈めるかのどちらかを強要されるだろう。考えただけでも血の気が引き、恐ろしさに身がすくむが、ルーカスに拒否権はない。やれと言われたら、やるしかない。


 実験台としての生活は、食事と清潔な環境のみ保障されていた。食事は冷めている上に、量も十分とは言えないものの、朝昼晩と必ず三食提供される。部屋には浴室が付いているため、入浴は自由にできる。王城のメイドが部屋の掃除をしてくれるから、室内はいつでも綺麗だ。ただし、一日中、常に、何をしていても観察される。


 ルーカスはちらりと横目で研究員を見た。


 研究員は手元の用紙に何かを書いているようだった。こうして四六時中ルーカスを観察して、どのような生活を送り、どのような性質の人間になれば強い力を持つ精霊石を賜われるのかを検証するのだ。成果が上がっているのかはわからない。ルーカスの生活は五年経った今も変わっていないから、さして進展していないのかも知れない。聞いたところで教えてもくれないだろう。


 ルーカスはあくまでも実験台であるから、研究員たちはルーカスとは必要以上の会話をしようとしない。部屋の掃除をしてくれるメイドたちも然りだ。


 ——孤独だ。


 常に誰かがそばにいるのに、ひたすらに孤独だった。


 フアネーレ家の離れで暮らしていた時は、家族に空気のように扱われていても寂しくなかった。ルーカスが話しかければ応え、会話して、心を通わせてくれる者たちばかりだった。


 笑顔の絶えない生活だった。空の青さも、庭に咲く花の香りも、暖かな日の光も、ルーカスのすぐそばにあった。今は、何もかもが、遠い。


(寂しい)


 ルーカスは首から下げていた、楕円形の透明な石が付いた首飾りを握り込む。こうして首飾りの透明な石を握り込むのは、心細かったり寂しかったりする時のルーカスの癖だ。


 この首飾りは、母の形見だからと乳母がルーカスにくれたものだ。生前の母は、この首飾りを誰かに「返さなければ」と言い、いつも身に付けていたらしい。誰に返さなければならないものなのかはわからない。ルーカスが物心つく前に母が亡くなってしまったため、結局何もわからずじまいだ。


 ルーカスの所持品は、王立研究所に実験台としてやってきた時に全て検査されている。研究員が言うには、この透明な石は精霊石の成れの果て——根源となる大元の精霊が亡くなったために、力の一切を失いただの石と化した元精霊石であるらしい。ただの石と同じだからということで、ルーカスが持っていても問題ないと判断され、今に至る。


 しかし、ルーカスには、これがただの石ではないように思えた。なぜなら、いつもではないが、ルーカスがこの透明な石を覗き込むと、小さな赤い光が一瞬見えることがあるからだ。それが何なのかは、ルーカスにはわからない。だからといって、赤い光のことを研究員に言う気もない。言ったが最後、確認と研究の名目で間違いなく取り上げられてしまうからだ。


 ルーカスは、首飾りについた透明な石を握る手に力を込めた。


 いつもそばにいた乳母や侍女たちは、ルーカスが実験台として王立研究所に差し出される時に、もう必要ないからと全員解雇された。


 彼女たちは今頃、どうしているだろう。元気に暮らしているだろうか。ルーカスには確かめる術がない。元気に暮らしていることを祈ることしかできなかった。

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