第四話 一匹狼
パチ、パチチッ
日が暮れた密林の中で、焚き火が静かに音を立てる。
その焚き火の前で、隻眼の男はダガーナイフで細切れにした湖の大蛇の鱗を落とし、骨を抜く。昨日の内に血抜きは済んでいるので、ナイフが赤く汚れることはなかった。隻眼の男はそのまま白身肉の両端を木の枝で突き刺し横に広げ、塩気のある木の身を潰してまぶした後、地面に突き立てる。
あとは三分も待てば蒲焼きができる。隻眼の男は同じ作業を幾度か繰り返し、晩飯に十分な数の肉を地面に並べると、余った部位は近場の木の枝に突き刺して吊るし、干し肉にする作業に取り掛かった。
「貴殿は器用なのだな」
その肉を吊るそうとした木の裏から、レオナルトがひょっこりと顔を出す。
突然の登場だったものの、隻眼の男はさして驚くことなく、ただ呆れた様子で盛大にため息を吐いた。
「お前、殺されに来たのか?」
「甘味は好きか?」
レオナルトはあえて隻眼の男の言葉を無視し、右手に持っていたものを投げ渡す。
それは薄桃色をした丸い果実、瑞々しい甘さを持つモモモであった。
「鑑定魔法で選別した、いっとう甘い物を取ってきたぞ」
腰に手を当て、ふふんと自慢げに語るレオナルト。
投げ渡されたモモモの果実を難なくキャッチした隻眼の男は、手の中のモモモの果実を一瞥すると眉間にシワを寄せた。
「お前これ、ポール一味のテリトリーにある奴じゃねぇか。傘下に入ったのか?」
「いいや」
するとレオナルトはその場で詠唱を唱え、眩い光と共に魔法を発動させる。
隻眼の男は反射的に身構えたが、魔法の効果は隻眼の男ではなくレオナルトへ作用し――姿を別人へと変えた。
レオナルトは今、金髪金眼の青年ではなく、集落の門番の姿をしている。
「変身魔法で門番に変装し侵入。頂戴したっ!」
「なるほど、お前の罪状は窃盗と……」
「ちっがーうっ!」
それが良きせぬ誤解を生んでしまい、レオナルトは慌てて変身魔法を解くとわたわたと手を振り、全身で否定を表す。
「私は不手際でここに送られたのだ! そして変身魔法は本来、偵察に使う魔法っ! 窃盗目的で使う訳がないだろう!」
「実際に窃盗で使った奴に言われてもなぁ」
「それに持続時間は短く、防犯魔法具に簡単に引っかかる! 王都ではイタズラにしか使えないチャチな魔法だ」
「へぇ。お坊ちゃんは王都から来たのか」
「そう言う貴殿は北の港街から来ただろう」
ぴくり。隻眼の男が眉をひそめた。
当たりらしい。レオナルトはほくそ笑む。
「焼印の位置は地域によって決まっている。首筋は北の街だ。そして銀髪は港街の人間に多く見られる特徴。どうだ?」
「……」
隻眼の男は何も答えないまま、くるりと背中を向けると焚き火の側へ向かう。そして地面に刺していた蒲焼きを手に取ると、レオナルトへ差し出してきた。
「これ食ったら失せな」
「ちっがーう! 私は物々交換をしたくて来た訳ではないっ!!」
「あ? じゃいらねぇんだな」
「……いや、差し出してくれた物は頂くが」
隻眼の男が手を引っ込めるよりも前に、さっと湖の大蛇の蒲焼きを奪い取るレオナルト。
「ぶっ、何だそりゃ」
その遠慮のなさを見た隻眼の男は思わず吹き出し、
「がめつい奴」
顔を綻ばせた。
(これは、いけるのでは?)
気の抜けた姿を見せてくれたことに、レオナルトは心の距離が縮んだと判断。試しに隻眼の男に許しを得ず焚き火の前に座ってみると、隻眼の男は呆れつつも追い払うことはしてこなかった。
それどころか隻眼の男はレオナルトの隣に座り、モモモの果実を皮ごと齧り始める。小さな声で「甘ぇな」と呟いたのが聞こえた。
「本題だが、一匹狼よ」
「おい。それ俺のこと言ってんのか?」
「今日はずっと様子を伺っていたが、貴殿は集落の人間とつるまず一人で行動した。一匹狼で間違いなかろう」
「やたら視線感じると思ったらお前かよ」
「一匹狼が嫌ならば名無しでもいいが? 呼称がなければ呼び難いからな」
「……グレン」
「うん?」
「名前。『グレン』だよ」
グレン。隻眼の男の名は、グレン。
ようやく名前を教えてくれたことに、レオナルトはぱぁっと満面の笑みを浮かべ歓喜した。
「お、お、お! グレン! グレンか! よき名前だな!」
「うるせぇ。そんな連呼すんな」
「では改めて、グレンよ! 私と共にアスタロス島を脱出しないか?」
レオナルトはグレンにずいと身を寄せ、ずっと提案したかったことを伝える。
ぴくりと、グレンの片眉が動いた。
「見ての通り私は魔法が使える! 転送魔法もだ! 私個人の魔力では足りないが、魔石で補えば大陸へ渡れる! 魔石を確保する算段も既に考えていて……!」
「で?」
興奮して話すレオナルトとは対照的に、冷めた様子で喋るグレン。
「話はそれだけか?」
脱出に興味がないと、態度で示している。
「『それだけ』で流せる話ではないだろう!? 大陸へ渡れるのだぞ!? 貴殿の故郷に戻ることも……!」
「戻ってどうすんだよ」
がぶり
グレンは大口でモモモを齧り、柔らかな果実を咀嚼する。
「石の的になれってか? 唾を吐きかけられに行けってか? 白んだ目で見られろってか? はたまた見せ物にされろってか?」
次いでブッと、彼は果実の中にあった種を地面へ吐き出した。
「俺はそんなのごめんだね」
「……すまない、軽率な発言だった」
不手際で流刑地へ送られたレオナルトと異なり、グレンは相応の罪を犯した結果ここにいる。
故郷に戻ったところで、居場所がない。それを失念していた自身の浅薄さに、レオナルトは恥じた。
だがそれも束の間。レオナルトは肉を食べ終えた串を焚き火の中へ放り投げると、胸元に手を当てこう言った。
「では、王都に来るというのはどうだろうか!!」
「あ?」
「王都の城下町ならば多種多様な人間がいる! 貴殿のように焼印を付けられた者もな! いすぎて気にも留めないレベルだ! 何せ王都は故郷を追い立てられたはぐれ者が、仕事を求めて来る場所でもあるのだからな!」
レオナルトは真剣な眼差しをグレンへ向けたまま、言葉を続ける。
「流石に貴族街は容易に歩けないかもしれないが……。いや、それでも! 腕の立つ貴殿ならば騎士団員にも近衛兵にもなれるだろう! 私が保証する! 口添えも可能! どうだろうか!?」
「どうってお前、誰に向かってそれ提案してんのかわかってんのか?」
それでもグレンは態度を変えず、
「俺は神官を嬲り殺した殺人鬼だぞ」
淡々と、自分の罪状を述べた。