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クソ寒い。
12月の東京の寒空の下、悪態を吐きながら煙草を1本。煙草は良い。思考が歪曲し、加速し、明日のことさえも考えなくてよくなっていく。手からスマホが滑り落ちるがそれも気にならない。脳内の一酸化炭素が赤血球と融合し、不能になっていく想像をする。ドーナツ型の鮮やかなピンクは、どす黒く、汚れて、死んでいく。人もそうやって老衰で死んでいく。だが俺は自由だ!タールとニコチンで思考が失われていく。気持ち悪い。限界を超えそうだ。俺はそのままオリオンの下で眠る。今なら空でも飛んでいけそうだ。オリオンの三連星の下にある新星のことを考える。そうして眠りに落ちていく。
「…本日の天気は快晴、最高気温は15度になるでしょう それでは今日のニュースです…」
アラーム機能のあるラジオの音で目が覚める。朝は苦手だ。やっとの思いで上体を起こし、コーヒーを淹れる。スマホの通知が鳴る。こんな時間に珍しい。だるい足を動かしてスマホを覗くと、一通のメール。タイトルは「お前の悪事を知っている」だ。
俺の悪事?
路上喫煙のことか?それともチャリで歩道を爆走した罪?と回らない頭で考えながら本文を開く。内容を開く
。私は意識を失いかける。それは始まりだった。
1
私は回らない頭をフル回転させながら次に取る行動を考えている。煙草を1本、火を付ける。目眩がする。
つまりはこうだ。俺は人殺しで、日夜この街のどこかで人を殺しているらしい。連続殺人というやつだ。しかしそれは警察には見つかっておらず、そしてそれはとある誰かに見つかり、動画を撮られた。これを警察に提出されれば俺の人生は終わりだ。そうメールは言っている。煙草を吸う。手が震える。肺が煙を押し出す。動画の中の俺は非常にしなやかな動きで人間の首をはねている。
メールの本文は以下のようだった。
拝啓 中略 貴殿の犯行を私は知っている。貴殿は貴殿だけではない。肉体は1つでも、精神は1つとは限らないのだ。私に協力しろ。さもなければ貴殿は終身刑だろう。 敬具
なんなんだ。未だに眼の前のメールが信じられない。もちろんこの動画がなければ俺は疑心暗鬼に陥ることもなく迷惑メールだと認識して二度寝でもしていただろう。しかしこれでは話が違う。手が震えて灰が落ちる。
スマホが震え、俺はびっくりしてスマホを落とす。新着メールだ。見たくない。だが見るしかない。さきほどと同じ送り主だ。
拝啓 中略 貴殿はまずここに来ること。東京都調布市****** 大丸ビル 7階 敬具
行くしかない。煙草の火を消して、家を出る。
2
人間は死ぬまでは起伏の中に囚われて生きているのだ。これまでもそうだった。でも俺はうまくやってきたほうだ。みんな死んでいった。病死、飛び降り、過剰服薬、首吊りなどで。みんながみんな、死んでいった。だからこそ俺はそのとき以上に震えている。あれも、それも、どれもが俺がやったのだろうか?俺が…俺のせいで…
わからないことだらけだが、行くしかない。エレベータを降りてすこしよろける。行かなければ。
そこはここ5年の駅前再開発の結果、たけのこのように突如現れた高層ビル群で、いつもビル風がビュービュー吹いている。日が上り切ろうとしていて、周りはビル風で落ち葉が舞っている。大丸ビルは壁面にツタがびっしり生えていて、昔に隣の建物が火事にでもなったかのような壁の汚れ具合をしている。ここか。俺は意を決して建物に入る。清掃員のおじさんに会釈され、どぎまぎしながらエレベーターに乗る。7階だ。心臓が波打つようだ。煙草が吸いたいが我慢。
大丸ビルの7階は汚れている内装のわりには小綺麗にしていて、「奇抜探偵事務所」と書かれている。探偵事務所がこんなメールを出してくるのか?ごくり。唾を3回飲み込み、今日起きてから水を飲んでいないことを思い出す。
扉が向こうから開いた。俺は完全にビビって後ろにのけぞってしまう。部屋の中から「ハハハ、びっくりすることはない。待っていたよ」と声がする。俺は恐る恐る部屋に入る。その部屋は奇妙、というにも程遠いほど奇妙な見た目をしていた。大きさでいうとA1くらいのデスクに椅子。そして椅子に座っている顔の見えない男。応接用のソファ。それ以外には、何もなかった。壁はコンクリ打ちっぱなしで何も貼っていない。プリンタもない。PCも見当たらない。ここはなんなのだろうか。俺がきょろきょろしていると椅子にすわっている男がこう言った。「ようこそ、奇抜探偵事務所へ。」俺はもうここに来たことを後悔し始めた。クソ、これなら警察に行ったほうが良かっただろう。
3
いくら言ったところで仕方ない。俺は勧められてソファに腰掛ける。コーヒーでいいかな、と言われ、頷く。コーヒーなんてどこから出すのか。そう思っているとその男の胸の部分がキィと言い、開く。そこに入っているのはまごうことなき、コーヒーだった。俺はもうずっと驚嘆しつづきで、だんだん麻痺してきた。脅されてここまで来てしまったことへの不安と緊張でつい喋り始めてしまう。「あの動画はなんなんですか。というかあなたのそれとか、扉が勝手に開いたようにみえたのはなんなn・・・」
するとその男は「いっぺんに聞くんじゃない。質問は一つずつだ。」あ、答えてはくれるんだ。「あなたの名前は?」「私は奇抜だ。ほら、扉にかいてあっただろう。奇抜探偵事務所と。」「奇抜・・・それが名前なんですか?」「ああ。奇抜は名字だ。」「・・・まだ質問しても?」「気が済むまでしていい。」「ありがとうございます。動画について聞きたいんですが、俺はあれを覚えていないんです。あれはなんなんでしょう」「あれはiPhone 15で撮った、犯行動画だ。私が撮った。」「俺が覚えていないんです。」「それはそうだろう。あれは・・・ん?君はもしかして本当に何も知らないのか?」「まったく」「いいだろう。あれは多分君の二重人格だろう。あの犯行の直後に話しかけたが、君はいたって普通に犯行の内容を自覚していたし、スッキリしたような顔でインタビューに答えてくれたよ。」二重人格・・・?俺に自覚はない。というかインタビューに答えるとか何やってんだよ俺馬鹿なのか。俺はまた尋ねる。「つまり・・・。えー。一旦その二重人格が存在するというのは認めます。その別人格の俺はなんて言っていたんですか?」「君の別人格のことを彼と呼ぶが、その彼はただ単にやりたくてやったのだと言っていた。ただそれは快楽に紐づけられたものではない。」「・・・」「彼は唯物論者だった。君は唯物論は知っているか?」知らない。「ふむ・・・彼はこう言っていたよ。人間は死んだらハイさよならだ。灰だけに。」呆れた。俺の別人格は異端かなんかなのか。呆れて言葉も出ない。俺は、辛うじて言葉を絞り出す。「それで?その後にはなんと?」「彼は私の能力を見抜いてきた」「能力?」「私の超能力だ」
もう呆れっぱなしだ。何もかもが変だ。超能力?
「だから彼に協力してもらうことにしたんだ。でも、彼は彼自身が主人格でないことを知っていたもんだから、メールのタイトルと内容を脅し文句にしろと言われた。これが事の顛末」うーん、そうか。全貌が見えかけてきた。「それで俺はなんの協力をするんですか」「君は物わかりが非常に良くて助かる。これなら期待できそうだな。ここがどこか知っているだろう君は。協力することなんてただひとつだ。」「…ここ探偵事務所ですよね」「そうだ。そういうことだ。君には捜査協力をしてもらう。拒否権はもちろんないぞ」
はあ。煙草が吸いたくなってきた。そうすると探偵は「煙草なら吸っていいぞ」とどこからともなく灰皿を取り出して見せてくる。その灰皿どっから取り出した?この部屋には収納すらないんだぞ。というかなぜそんなことがわかるんだ。「わかるんだよ。」
「私はさまざまな超能力が使える、改造人間なんだ。」