8 突然の婚約3
驚いて前を向いたキャロラインにリーンハルトが「しまった」というような表情をしたが、目が合うとすぐ微笑みに切り替わる。
幸い彼の呟きはアリアナ達には聞こえなかったようだが、リーンハルトはそのことは全く意に介していないようにキャロラインへ甘い眼差しを向けた。
「いいえ、私の番が末の王女でしたら、わざわざキャロライン王女を呼んでいただくことはしませんでしょう」
リーンハルトの言葉に明らかにホッとしたような父王だったが、次に聞いたセリフに仰天する。
「私の番はキャロライン王女です」
きっぱりと言い切ったリーンハルトに、王妃の艶やかな口は半開きとなり、兄王子の人形のような顔は能面のような無になり、アリアナの美しい青眼はこれでもかと見開かれた。
「キャロライン王女に婚約者や決まった相手がいないのでしたら、どうか私と婚約してほしいのです」
続けざまに思いもよらない懇願をしてきたリーンハルトに、強張っていた父王の表情が目に見えて緩み、嫌らしいまでの笑顔になってゆく。
「ふ、ふはは! そうですか……、番はアリアナではなかったのですね。いや、しかし、まさかアレとは……ええ、ええ、婚約を認めましょう。どうぞお好きになさってください」
番がアリアナだと勘違いした時に絶望の表情を浮かべたのとは打って変わって、あっさりと婚約を認めた父王が愉快そうに手を叩く。
父王に釣られるようにアリアナ達もまた口々に言い募った。
「なあんだ! 番ってお姉さまだったの! 心配して損しちゃった」
「ホホホホ、もう、陛下が早とちりなんてするから一気に寿命が縮んでしまったわ。可愛いアリアナを他国へ嫁がせるわけには参りませんもの」
「しかし大国トスカーナの王太子妃なんてアレに務まるんですかね? 獣人の方にとって番が絶対なのは知っていますが、まさかアレとはリーンハルト殿もお気の毒に」
安堵した高揚感なのか、王妃も兄王子も自分達が不敬な発言をしている自覚はない。
そんな彼らに悟られないようにリーンハルトは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに元の微笑を浮かべると、きっぱりと告げた。
「私は王太子妃を望んでいるのではなく、生涯の伴侶としてキャロライン王女と一緒にいたいのです。王女が嫌なら公務も執務もしなくて構いません。ただ私の側にいてくだされば、それだけで私は幸せなのですから」
そう言うなり、僅かに耳と尻尾を下げたリーンハルトは、キャロラインを見つめると不安そうに訊ねる。
「国王陛下に婚約の承認をもらった後にお尋ねするのは卑怯かもしれませんが、キャロライン王女にはどなたか心に決まった方がいらっしゃいますか?」
状況が理解できず放心状態だったキャロラインは、いきなり話を向けられたことで、いつもの独り言のように自然と言葉を発していた。
「え? いえ、おりません」
吃ることなく返事をしたキャロラインに、リーンハルトが心底安堵したように、にっこりと微笑む。
「それは良かった」
琥珀の瞳を細め柔らかそうな尻尾を可愛らしくユラユラと動かしたリーンハルトに、キャロラインはつい見惚れてしまいそうになる。
触りたいという衝動を抑えこみ、緊張で震える心を叱咤して口を開いた。
「で、ですが、その……」
また吃ってしまった自分に不甲斐なさを感じつつも、キャロラインはしっかりとリーンハルトを見つめる。
「ご、ご迷惑でなければ、王太子妃としての執務はさせていただきたいです」
除け者にされるのは嫌だった。
家族の仕事を肩代わりするようになってから、文官や騎士達と少しだけ交流することができたキャロラインは、もっと人と係わりをもってみたいと考えるようになっていた。
それに何より、自分を選んでくれたリーンハルトの役に立ちたい。
はっきりと意思表示をしたキャロラインに、少しだけ琥珀の瞳を見開いたリーンハルトだったが、暗に彼女が婚約を了承したことを悟ると嬉しそうに白銀の尻尾を揺らす。
「勿論です。貴女がしたいこと全て自由になさってくださって結構ですよ。キャロライン王女は私が選んだ、私の大切な番なのですから、貴女の笑顔のためならば私はどんなことだって全力で許容します」
優しく微笑んだリーンハルトにキャロラインの心臓が跳ねる。
その動悸は今までのように恐怖や苦痛、焦燥からくるものではなく、ただ高揚感だけに包まれていた。
キャロラインはリーンハルトのことをまだ何も知らない。
番だと言われても、婚約したと言われても、まるで実感がない。
いや、そもそも人を好きとか嫌いとかそういうことがわからない。
けれどもキャロラインは、疎んじられ続けてきた自分を選んでくれたことが、信じられない位に嬉しかった。