6 突然の婚約1
今まで決められた言葉を述べるだけの式典以外で、家族が賓客へ対応しているのを見たことがなかったキャロラインは、自分がこれまで縋ってきた彼らに初めて失望に似た喪失感を覚えた。
そういえば執務をさせるために、キャロラインの離宮へ訪れた時も要領を得ない話し方(会話が苦手なキャロラインが他人のことをとやかく言えた義理ではないが)ではあった。
尤も、王妃らが訪れたのは最初の頃だけで、今では専ら文官や騎士が離宮へ書類を持ってきている。だが、それは、自分が地味で美しくないから会話をするのも忌避されているのだと思っていた。
キャロラインの考えは半分正解で半分間違いである。
確かに地味な王女との会話を忌避してはいたが、単に王妃達は自分が執務の内容を上手く説明できないため、文官や騎士を寄越していたに過ぎなかったのだ。
だがそんなことを知らないキャロラインは改めて家族を見つめる。
齢を経て美しさの中に渋みが増し、美丈夫だと称えられる国王である父親。
いつまでも若い頃と変わらない美しさを誇り、気品ある王妃として有名な母親。
人形のように整った顔で、幾多の令嬢を虜にしていると噂の兄王子。
そしてアカシア王国の天使と呼ばれ、美の結晶のように愛らしい妹のアリアナ。
さらに既に嫁いでしまったが、美しさと聡明さを乞われ大国へ渡った二人の姉達を思い浮かべ、キャロラインは途方に暮れた。
美しい家族の仲間にずっとなりたいと願っていた。
諦めかけていたとはいえ、愛されるならば愛してほしかった。
しかし今、キャロラインの瞳の中で急速に色褪せてしまった家族は、以前と変わらず美しいはずなのに、手を伸ばして触れてみたいとは思えない。
それよりも出会ったばかりのリーンハルトに失望されることの方が怖いと感じてしまうのは、初めてキャロラインを誉めてくれた人だからなのだろうか。
そうであれば何と情が薄く絆されやすい底の浅い人間なのだろうと自分に呆れつつ、心の変化に戸惑うキャロラインだったが、そこへリーンハルトの朗らかな声が響いた。
「確かに我がトスカーナ王国の芸術や教養はまだまだ発展途上です。今回貴国を非公式で訪問したのも、アカシア王国の優れた文化をありのまま拝見させていただき、あわよくば審美眼を鍛えたいと考えたためですから」
不敬であると憤慨してもいいはずなのに、リーンハルトは微笑を湛えたままであった。
しかしその琥珀の瞳が怒りを灯しているような気がして、キャロラインはまるで蛇に睨まれた蛙のように縮こまる。
いくら獣人は人族より身体能力に優れているとはいっても、桁違いに能力に差があるわけではない。
いくら獣人でも別に動物に変身できるわけではないのだ。
それなのに微笑を浮かべたリーンハルトから言いようのない、猛獣のような威圧感が滲み出ているような気がして身体が動かない。
そういえば滅多にないが人族と獣人が結婚した場合、生まれてくる子は必ず獣人になると何かの文献で読んだ覚えがある。
この威圧感が優性遺伝子を持つ所以なのだろうかとキャロラインは竦みながら見守るが、リーンハルトはあくまでも穏やかであった。
「ですが、美意識というのは人それぞれ違うものですし、外見ばかり整っていても内面が醜い方というのは、相応の生き方しかできないと思うのです。それについては噂で伝え聞くアカシア王族の方は素晴らしい限りですね。外見は非の打ち所がない完璧な美しさを持つ上に、優秀な頭脳ばかりでなく慈愛の精神までもお持ちなのですから」
先程リーンハルトは芸術や教養が発展途上だと言ったが、トスカーナ王国の文化水準はアカシア王国とそう違いはないはずなので、遜る必要は微塵もない。
それなのに何故、失礼なことを言われ、瞳は憤怒の色を湛えているはずのリーンハルトが抗議をしないどころか、こちらを持ち上げる発言をするのかキャロラインは訝しがる。
だが大国であるトスカーナ王国の王太子が、自分達を誉めそやし阿る発言をしたことに上機嫌になった父王は、キャロラインが覚えた不穏な空気などは感じなかったらしい。
父王はしたり顔で頷くと、リーンハルトに向かい鷹揚に口を開いた。
「ところでリーンハルト殿、当方としては恥部にあたるため、あまり披露したくない第三王女を呼んだ理由を、そろそろお聞かせくださいませんか?」
面と向かって自分の娘であるキャロラインを恥部だと詰る父王に、リーンハルトは纏っていた威圧感を更に倍増させたが、表面上は笑顔を崩すことなく、ギリリと奥歯を噛みしめて怒りを霧散させたようだった。
「そうですね、実は私はこの王宮に来た時からある匂いを感じましてね」
「匂い、ですか?」
「ええ。甘く香しい……番の匂いです」
「え!? まさか!?」
リーンハルトの答えに、父王は玉座から腰を浮かしかけるほどの驚きを見せた。