68 過去との決別2
きちんと話せば伝わる、信じてもらえる。
こんな簡単なことが、どうして今までできなかったのかと不思議に思う位、呆気なく自分の言い分を信じてくれたリーンハルトに、キャロラインの心が軽くなってゆく。
「ハルト様、ありがとうございます」
感謝と愛しさを込めてリーンハルトの掌へ頬ずりしたキャロラインだったが、その光景を見たアデルセンは目の前が真っ暗になった。
キャロラインを取り戻そうにも、彼女とアデルセンを繋いでいた鎖は女官長によって断ち切られてしまっている。
結婚式を挙げる直前までは全て上手くいっていたはずだ。
それなのに、どうしてキャロラインが自分の元におらず、幸せそうにケモノに寄り添っているのか理解できずにアデルセンは激高した。
「くそっ! こっちへ来い! キャロライン!」
「いやです!」
間髪を容れずに拒否の言葉を発したキャロラインに、アデルセンは目を丸くするが、すぐに舌打ちをすると苛立ちも露に喚き散らす。
「くそっ! ケモノなんかに絆されやがって! いいか? ケモノなんてなぁ、無能でバカで薄汚い野獣なんだよ! 俺達人族とは違うんだ! 汚らわしいこいつらと同じ空気を吸っていると考えただけで気分が悪くなる! 汚くて臭いケモノはこの国から、この世界から消滅するべき屑なんだよ!」
アデルセンから吐き出された獣人蔑視の言葉の暴力に、アリアナの時と同じように、いや、それ以上に観客達が引いている。
幸か不幸か、式にはローゼリアの国王夫妻が欠席していたため、その場を取り繕う者はいなかった。
「屑といても仕方がないだろ! さっさと来い!」
周囲の反応などお構いなしに、尚も自分の方へ来るように言い募るアデルセンの顔を、キャロラインは冷たく見やる。
アデルセンの鼻の下には乱暴に鼻血を拭ったためか、筋状の赤い跡がついていた。
隣に立つリーンハルトを見上げれば、女官長が投げた手斧の刃先と千切れた鎖の破片が飛び散った際にできた頬の傷に、薄らと血が滲んでいる。
同じく自分の掌についた傷跡を見て、キャロラインはポツリと零した。
「流れる血の色は同じなのに……」
「何? なんだ? やっと自分の間違いに気づいたのか? 今なら謝れば許してや……」
呟いたキャロラインにアデルセンが明後日の方向の返事をするのを遮って、己の傷ついた掌を前面に翳し、声を張り上げる。
「私や貴方とリーンハルト様の何が違うと言うのです!? 貴方もリーンハルト様も、赤い血が流れているでしょう! 獣人も人族も、嬉しければ笑うし、悲しければ涙を流す同じ人間です! そこに優劣なんて存在しません!」
墨色の瞳に力を込めて、キャロラインは叫び続ける。
「貴方は昔から人の心の痛みが解っていません。幼い頃、衆人環視の前で私を貶めたことはともかく、女官長とその番にした仕打ちを誇らしげに語る貴方こそ、私には人の皮を被った化け物に見えました! そして、獣人の方を、私の大切な婚約者であるハルト様を侮辱したこと、決して許せるものではありません!」
今まで生きてきて、理不尽な目にあったことは何度もあった。
けれど怒りで震えたことなど一度もなかったキャロラインの身体が、小刻みに揺れている。
はっきりと嫌悪の眼差しを込めて自分を糾弾するキャロラインに、アデルセンの赤い瞳が戸惑いの色を灯した。
「は? キャロラインを貶めたとは何のことだ!? 私はそんな覚えはない!」
咄嗟に言い返したアデルセンを、キャロラインが苦々しい表情で見つめ返す。
「貴方が私に言ったのでしょう? 仕方がないから妾にしてやると!」
叫ぶように言い放った後、大きく息を吐き出したキャロラインは、自分の栗色の髪を一房手に取ると悲しげに目を伏せた。
「自分が地味な見た目なのは承知しています。だから別に妾でも良かった。私を選んでくれるなら、愛をくれるなら、私は喜んで受け入れました。けれど仕方なく結婚されて、愛されないまま過ごすのだけは我慢できなかった。家族に愛されなかった私が持っていたのは王女としての矜持だけだったのに、仕方なく妾にしてやると言われて絶望した私の気持ちなんて知りもしないでしょうね? ましてや、甚振るためだけに妾にしようとしていたのですから」
「ち、違う! 仕方なくと言ったのは……それに甚振った覚えはない!」
キャロラインの告白に、傍から見れば甚振っていたとしか思えなくても、自身は可愛がっていると思っていたアデルセンが抗議の声を上げる。
それを冷たい眼差しで見下ろして、キャロラインはジャラリと音を鳴らしながら腕を上げ、手首に嵌められた手枷とそこからぶら下がっている切れた鎖を見せつけた。
「鎖で繋いだり、髪を引き摺ったり、自分の思い通りにならないと有無を言わさず監禁する。これを甚振ると言わずに何と言うのです? 語彙力のない私が知らないだけなのでしょうか?」
キャロラインの細い手首に嵌められた手枷と鎖。
それを見た観客席から声を呑む音がした。




