66 本物の番3
嵐のように過ぎ去ったアリアナに呆気にとられていたキャロラインだったが、リーンハルトがこちらを見ているのに気が付いて慌てて頭を下げる。
「い、妹が申し訳ありません」
獣人やリーンハルトをバカにしたようなアリアナの発言は凡そ許せるものではない。
謝罪してもしきれないが、キャロラインは謝罪以外の方法が見つからなかった。
「けれど……けれど人族全てが獣人を蔑んでいるわけではありません。それだけはどうか信じてください。……それから……」
油断すると涙が零れそうになるのを、ぐっと全身に力を込めて無理やり笑顔を作る。
「妹の言ったことは本当です。以前にもお話しした通り、私は地味で愚鈍で何の役にも立たない出来損ないの家族からさえ疎んじられてきた王女なのです。……それでもハルト様は私のことを……」
アリアナとリーンハルトの話を聞いて、キャロラインは漸く自分が勘違いしていたことを悟った。
リーンハルトの番は自分で間違いなかったのだ。
それなのに自分がしてきたことを思い返すと申し訳なさで涙が滲んでくる。
リーンハルトは最初から番だと言ってくれていたのに、大切にしてくれたのに、信じることが出来なかった自分を、今更彼が受け入れてくれるのかと不安が過る。
役立たずで、家族にも愛されない。
唯一甘やかしてくれた婚約者でさえ疑ってしまった恩知らずな自分。
虫がいいのは解っているが、それでもリーンハルトとこれからも一緒にいたいと願う気持ちは止められない。
懇願するように見上げると何故だかリーンハルトが眉間に皺を作り、キャロラインの頬を両手で包みこむとコツンとおでことおでこをくっつけ、じっと墨色の瞳を見つめた。
「キャロは出来損ないなどではありません。どうか自分を卑下するような悲しいことを仰らないでください。貴女は私にとって誰よりも何よりも大切な唯一の愛しい婚約者なのですから、もっと自分に自信を持てるようこれから毎日たくさん誉めなくてはいけませんね」
伝えられた優しい言葉にキャロラインの涙腺が決壊する。
祖国では、そんな言葉をかけられたことはなかった。
いつだってキャロラインは嫌われ者で全てを諦めるしかなかった。
今だって懇願してはみたものの、拒否されれば諦めるつもりでいたのに、リーンハルトは危惧していたような否定の言葉どころか、キャロラインを唯一だと言ってくれたのだ。
それに毎日誉めてくれるとも。
つまり、それはこれからもキャロラインと一緒にいてくれるということである。
不安で一杯だった心が温かさに包まれ、痛みや悲しみ以外でも人は泣けるのだとキャロラインはリーンハルトに出会って初めて知った。
頬を伝う雫の優しさにキャロラインが照れたように笑う。
しかしキャロラインの涙にリーンハルトは驚いたような表情になると、見る見るうちに青褪めていった。
「も、申し訳ありません。近すぎましたよね? 距離感は大事だとギースにも言われていたのですが、つい……死んでお詫びします!」
そう言うなり、くっつけていたおでこを離し後退ろうとしたリーンハルトの両手を、キャロラインは慌てて掴む。
まだキャロラインの頬を包んでいた彼の両手に自分の掌を押さえつける形となってしまい、恥ずかしかったが必死に説得を試みた。
「し、死なないでください。ハルト様がいなくなったら……嫌です」
こんな時に気の利いた言葉が出てこない自分が恨めしい。
リーンハルトがいなくなったら、寂しい、悲しい、怖い、いろんな負の感情が心を浸食してゆくが、それら全てを言葉で表現するのは難しい。けれど一つだけはっきり言えることは、彼がこの世から消えてしまうのは絶対に嫌ということだった。
だから泣いたのは嬉しかったからなのだと伝えるために、キャロラインはずっと心に燻っていた想いを伝える。
「わ、私、ずっと自分に自信が持てなくて、勘違いしてハルト様を困らせて、たくさん傷つけてしまいましたけれど、最初に番だと選んでくださったこと、婚約者になれたこと、本当に嬉しかったし今も幸せです。……だからどうか、私の前からいなくならないでください。ハ、ハルト様は、私の、つ、番なのですよね? それなら、ずっと側にいてほしい……です」
ここにギースがいたら、勘違いはともかくメンヘラに困らせられたのはキャロライン王女の方ですよというツッコミが聞こえそうだが、生憎彼は不在である。
ツッコミ不在のため、キャロラインの言葉にリーンハルトは悲壮な表情から一転、蕩けるような笑顔を見せた。
「あぁ、私の婚約者はなんて可愛く優しいんでしょう。キャロ、私の番は間違いなく貴女です。ですが番かどうかなんて関係ありません。いえ、獣人が本能に逆らえないのは事実ではあります。けれど本能を越えて求めるのはキャロだけ、私が愛してやまないのは、キャロだけなんです。貴女が私の側で笑ってくださること、それが私にとって何よりの幸せなのですから」
リーンハルトの言葉にキャロラインの中で、何かがストンッと腑に落ちたような気がした。




