63 獣の咆哮3
リーンハルトがトスカーナ王国王太子ということと、倒れたアデルセンがまだ失神中で指示が与えられていないこと、それに白狼相手では分が悪いと思っているのか、飛び掛かってはこないが怯えと蔑みを湛えた瞳に囲まれ、リーンハルトは寂しそうに微笑んだ。
「……今の周囲の反応を見れば歴然でしょう? あんなケモノになれるなんて、人族だけではなく同族である獣人からも気味悪がられているんですよ、私は」
「でも白狼の姿になったからといって、意思疎通が出来ないわけではありませんよね? それに……」
自分を貶すような物言いのリーンハルトに、キャロラインは胸が痛む。
キャロラインは先程からリーンハルトが悲しい表情を見せる意味が本気で解らなかった。
白狼の姿に変身できることは確かに驚いたが、リーンハルトは知性まで失ったわけではない。それなのに観客達は何故あんなにも彼を非難し、リーンハルトもそれを甘んじて受け入れているのか理解ができない。
けれど現に目の前のリーンハルトは、変身できるせいで責められ傷ついているのである。
何も危害を加えてないにも関わらず、怯えられたり怖がられたりされるのは、無視されたり罵られたりすることと同じくらい、悲しい。
そんな思いをリーンハルトにはしてほしくない。
しかし自分などに擁護されても迷惑なだけかもしれないとキャロラインは少しだけ逡巡した。
それでもリーンハルトの下がりきった尻尾を見て、意を決して隠してきた本音を告げる。
「えっと……じ、実は私……モフモフやフサフサな毛並みが大好きなんです。ひ、人型のハルト様の耳と尻尾も素敵だとずっと思っていましたけれど、先程の姿もとても魅力的でした。だから変身したハルト様が気色悪いなんて思いません……むしろ、だ……大好きです」
さすがに恥ずかしすぎて最後の方はごにょごにょと言葉を濁したキャロラインだったが、リーンハルトにはばっちり聞こえたようで琥珀色の瞳を見開くとその場で停止した。
「え? ハルト様?」
呼吸も止めてしまったのか、完全に彫像になってしまったリーンハルトにキャロラインが青褪める。
やはり番でもない自分なんかの告白は迷惑だったかと、俯いてしまったキャロラインの頭上でリーンハルトが大きく息を吐き出した。
「嬉しすぎて危うく尊死するところでした……キャロ、貴女は昔から私が頑なに作ってしまった壁を簡単にぶち壊してくださいますね。そんな貴女だから私は……」
そう言って尻尾を摺り寄せようとしたリーンハルトだったが、勇気を出した告白が迷惑だったと勘違いしたキャロラインはそのことに気が付かず、居住まいを正し真剣な表情になると深々と頭を下げる。
「申し訳ありません。トスカーナ王国にいる間、猜疑心から勝手に誤解をしてハルト様に酷い態度をとってしまいました。それなのに婚約者のままだったせいで、私なんかのためにこんなところまで来ていただいて、隠していた姿まで人前で晒させてしまって……。謝罪しても足りないでしょうけれど、もうこれ以上ご迷惑をおかけしないためにも……婚約は破棄していただいて結構です」
告げられた言葉にリーンハルトの顔から表情が抜け落ちる。
「婚約破棄? ……キャロ? 何を言ってるんですか?」
震える声で問いかけるリーンハルトにキャロラインは捲し立てるように言い募った。
「ほ、本当はずっと私から言わなければと察してはいたのですが、色々と勝手な勘違いをしてまして……。でも私はハルト様の番ではありませんし、ご迷惑をおかけしたので婚約破棄を受け入れるのは当然です。心配せずとも私はアカシア王国には不要の存在ですから、婚約破棄されても外交問題にはなりませんので安心してください。トスカーナ王国にいることが難しければどこか他国へ参ります。あ、でもこれだけは言わせてください! 婚約者だからと番でもない私を迎えに来てくださったこと本当に嬉しかったです」
拳を握りしめてキャロラインは一息に言い切る。
そうしないと、せっかくリーンハルトを手放そうとした決意が揺らぎそうで怖かった。
対するリーンハルトは呆然自失のような顔になると、ギギギとキャロラインを覗き込んだ。
「番じゃない?」
「はい。きっと初めてお会いした時に妹の服を着ていたので間違えてしまったんですね。でも間違いは誰にでもありますから気になさらないでください」
涙が零れ落ちないようにキャロラインは努めて明るく返事をする。
しかしリーンハルトは三角の耳を逆立てると、真っ向から否定の言葉を吐いた。
「有り得ません!」
「そうですよね。でも自分のドレスを持っていなかったので、申し訳ありません。もっと早く私が本当のことを話していれば、ハルト様にご迷惑をおかけすることもなかったですのに……」
「そうではなくて!」
「私はアカシア王国へ戻るつもりはありませんし、モフモフが大好きなので、できればトスカーナ王国の修道院か孤児院で働きながら住まわせていただければありがたいのですがダメでしょうか?」
「キャロ、本気で怒りますよ!」
「そうですよね。こんなお願い図々しいですよね」
話すのが苦手なキャロラインにとっては一生分の会話をしたのではないかと思えるくらいに続いた遣り取りであり、吃ることなく話せたことも珍しかったが、二人のすれ違いは全く解消されないどころか悪化している。
流暢に紡がれる言葉とは裏腹にキャロラインの心は沈んでゆき、リーンハルトは動揺と焦りからか、何を言っても噛み合わない。
そんな二人に、演舞場の端に設えられていた親族席から鈴を転がすような声があがった。
「へえ? お姉様はリーンハルト様の番じゃなかったんだ。やっぱり私が番だったのね」




