58 無言の結婚式1
結婚式の会場は、城内の一角に高々とそびえ立つ演舞場だった。
丸い筒状の形をした石造りの建物の中には、中央の舞台の周りをぐるりと囲うように階段状になった観客席が設けられ、円の外側に行くほど段差が高くなっている。
天上におわす神々へ舞と祈りを捧げるために造られた演舞場のため、中央に造られた舞台も地面からゆうに10メートル位の高さがあり、それより高い周りの観客席は圧巻の一言だ。
その高さ故に舞台も観客席もしっかりと石造りの土台が支えており、これだけの規模の演舞場を造れることに、ローゼリア王国の国力の高さが窺えた。
キャロラインを手に入れた経緯と妾との結婚式ということで、ローゼリア国王夫妻は出席を見送ったようだが、大国の王子からの招待を無下にもできず観客の数は多い。
演舞場への階段を昇らせられながら、キャロラインは絶望的な状況に唇を噛んだ。
手首を拘束している鎖は解放してもらえなかった。
鎖にリボンを巻いてカムフラージュしているが、まるで売られてゆく奴隷のような気分になる。
口がきけない今の状況では、誓いの言葉もアデルセンのいいように伝えられ、逃げだすことなど到底適わないだろう。
絶望に染まった墨色の瞳の先で、騎士からリボンが巻かれた鎖を渡されたアデルセンが笑っているのが見えた。
招待客は演舞場から離れた観客席にいるため、アデルセンが引き寄せるリボンが運命の赤い糸にでも見えているのかもしれない。
実際はリボンではなく鎖だと、自分は無理やり妾にされるのだと、声を張り上げて訴えたいが、どんなに頑張ってもキャロラインの口からは意味のなさない擬音語が漏れるだけで、言葉を紡ぐことができない。
本当に話せなくなって初めて、キャロラインは言葉の大切さを思い知る。
きちんとリーンハルトと話していたら、こんな結末にならなかったはずだ。
後悔してもしきれずに堪らずポロポロと流れる涙に観客達が拍手を送る。
まさか悔恨の涙とは思わず、地味王女が妾とはいえ大国の王子と結婚できたことに感極まっているのだろうと勝手な解釈がされていた。
アデルセンが立つ位置まで敷かれた深紅の絨毯が死出の旅路に見える。
ジリジリと詰められるアデルセンとの距離にキャロラインの墨色の瞳が完全に色を失くし、諦めたように項垂れそうになったその時、凍えるような声が演舞場に響き渡った。
「私のキャロを泣かせたのはどなたです? 返答次第によってはこの場にいる全員血祭にあげる所存ですが? あぁ、脅しではありませんので発言には責任を持ってくださいね」
丁寧な言葉遣いとは裏腹に物騒な事を述べた人物に、その場にいた者達の視線が集中する。
周囲の注目を集めたのは、警護のために絨毯の両脇に整列していたローゼリアの騎士の一人であった。
「他国の王太子の婚約者を横取りするとはローゼリア王国は随分と野蛮な国なのですね。それとも単にアデルセン王子が失礼なだけでしょうか?」
深紅の絨毯へ足を踏み入れた騎士は、我に返り取り押さえようとした同僚達を難なく躱して当て身を食らわせると、ガランッと目深に被っていた兜を脱ぎ去る。
露になった兜の下には、もう二度と見ることは叶わないと思っていた白銀の髪と三角の耳が見えて、キャロラインは目を見開いた。
(ハルト様!? どうして、ここへ?)
驚くキャロラインにリーンハルトが振り返る。
「迎えに来るのが遅くなって申し訳ありません。キャロ、帰りましょう」
縋るように見つめてくるリーンハルトに、蓋をしたはずの感情が溢れてきそうになり胸が痛むが、何故番でもない自分を迎えに来てくれたのかが解らず、立ち尽くしたままのキャロラインに、リーンハルトが眉尻を下げた。
「キャロをずっと探していたのです。ローゼリア王国にいることがやっと解ったので慌てて迎えに来てみれば、私の婚約者であるキャロが妾にされそうになっているではありませんか。まさか大国の王子が他国の王太子の婚約者を攫い、のうのうと結婚式まで挙げるような暴挙に出ているとは驚きましたが、そんな輩に正攻法で婚約者の帰還を求めても話が通じないと思いましたので、こちらも力ずくで阻止しようと少々強引な方法をとった次第です」
リーンハルトのよく通る声は少し離れた観客席にも聞こえたようで、騒めきが起こる。
招待状に描かれたアカシアの花から、花嫁がアカシア王国の王女であることは察していたが、まさかトスカーナ王国の王太子の婚約者を横取りして妾にしようとしているとは思わなかったのだ。
唖然とする者、不快気な表情をする者、動揺する者、様々な顔色をした観客達が見守る中、リーンハルトが琥珀色の瞳でキャロラインを見つめる。
「キャロ、大丈夫です。貴女を脅かす者はもういません。階段から落とした犯人は処罰しました。私が至らなかったせいでキャロを不安な気持ちにさせたこと謝ります。もう二度とキャロに悲しい顔をさせたりしません……だからトスカーナへ帰ってきてください……お願いします」
懇願するように手を差し出すリーンハルトに、キャロラインの頬に新しい涙が伝う。
自分を殺そうとしているなどと疑ってしまってごめんなさいと、監禁された塔の中で何度懺悔したかしれない。
もう二度と会えないと、許されないと思っていたのに、リーンハルトは出会った頃と同じようにキャロラインに甘い言葉を投げかけて、迎えに来てくれた。帰る場所を用意してくれていた。
(ハルト様、ハルト様、ハルト様!)
胸が苦しくなるほど嬉しくて、今すぐ名前を呼びたいのに声が出せない。
差し出された手を掴みたいのに、鎖が邪魔をして届かない。
(この鎖さえなければ、この声さえ出せれば)
「……が、あ……う」
キャロラインが無言のままなので、リーンハルトの表情が目に見えて青褪めてゆく。
焦ったキャロラインは声にならない叫びをあげたが、くぐもったその声はアデルセンによって掻き消された。




