4 謁見の間での出会い1
真っ白く磨かれた大理石の回廊までたどり着くと、キャロラインは汚さないように手に持っていたハイヒールをコトリと床へ置く。
同じく届けられた先程手直ししたライムグリーン色のドレスの裾をたくし上げ、慎重に足を入れる。
ハイヒールは既に他国へ嫁いだ姉のお下がりなのか、妹が飽きた品なのかは解らなかったが、少しきついと感じはしたものの履けないわけではなかった。
「ブカブカのブーツに比べたら、脱げる心配がなくていいのかもしれないわ」
そう自分を納得させてキャロラインは一歩を踏み出すが、履きなれないヒールはバランスが取りづらくよろめいてしまう。
しかし転んでしまってドレスを汚してしまったり、ヒールの踵を折ってしまったら、それこそ母親である王妃にどんな叱責を受けるかわからない。
というのも、毎回参加が義務づけられている式典の時にだけ届けられるドレスと靴は、行事が終われば速やかに回収されるからだ。
一度だけドレスを少し汚してしまった時は、離宮へ乗り込んできた母親に毒づかれ、何度もぶたれた記憶がある。
汚してしまった理由だってアリアナが不調法で零したジュースが、たまたま近くにいたキャロラインのドレスにかかってしまった不可抗力なのだが。
母親はアリアナのことは酷く心配したがキャロラインには一言の気遣いもなかった。それどころか叱責の上、殴打されたのは苦い記憶である。
「気をつけなきゃ」
一人の時には、すっかり独り言の癖がついたキャロラインはそう呟くと、先程より慎重に歩みを進める。
何とか謁見の間へたどり着いたキャロラインを見て、扉の前で屹立していた騎士が一瞬だけ眉を顰めたが、無言で取っ手に手をかけた。
執務を手伝うようになってから、それまで無関心だった騎士や文官が、今のようにキャロラインを見て眉を顰めたり、複雑そうな視線を向けるようになっていた。
きっとそれは気品あるアカシア王族に相応しくない地味な見た目の自分を、苦々しく思っているのだとキャロラインは申し訳なく思っている。
だから今回も騎士に頭を下げると、開けてもらった扉を早足で通りすぎる。
彼女の通り過ぎざま、騎士が薄っすらと頬を染めていることなど気づきもしなかった。
謁見の間には既に父親である国王以下王妃と兄王子、そして今日も変わらず美しいアリアナがいた。
そして階下には他国の人間と思しき数名の人物がいるようである。
子供の頃に、不快だから自分の前では顔を上げるなと父王に激高されてから、キャロラインは家族を直視しないように俯く癖がついていた。
今回も床の大理石と絨毯しか視界に映らないようにしていたため良く見えなかったが、階下にいる者達は人数の少なさからして非公式な訪問であり、それにも関わらずアカシア王族側が全員出揃っているのは、相手が大国の貴族か王族だと推察される。
そんな席へ自分が呼ばれた理由は解らないままだったが、キャロラインはいつものように隅の方へ急いで移動した。が、
「遅い! 他国の賓客をお待たせしているのだぞ!」
相変わらず自分にだけイスは用意されていないため屹立したキャロラインに、父王から怒声が浴びせられる。
「申し訳ありません」そう言おうとしたが、面と向かうとやはりすぐに言葉が出てこない。俯くキャロラインに、父王の叱責は続いた。
「私は至急来るようにと伝えたはずだ。優秀な姉兄や天使のような妹に比べて、お前には本当に失望させられる。大体お前は……」
苦虫を潰したように端正な表情を歪ませ詰る父王に、早く謝罪の言葉を言わなければと焦るキャロラインだったが、そこへ優しいテノールの声が響く。
「いえ、私が無理を言ってお越しいただいたのですから、お気になさらず」
父王からの叱責を止めた声に驚いて、キャロラインは改めて階下にいる人物へ視線を向けて目を瞠った。
「第三王女キャロライン様ですね。私はトスカーナ王国王太子リーンハルトと申します」
キャロラインの視線を受け、階下で控えた者達の中心にいた人物が、鮮やかな琥珀色の瞳を細めてニコリと笑う。
リーンハルトと名乗った青年は、背が高く細身だが引き締まった武人のような体躯をしており、精悍な顔立ちも相まって、ただ立っているだけでも王太子としての風格を漂わせていた。
だがキャロラインが驚いた理由は、リーンハルトの銀糸のように輝く白い髪の隙間から三角形の可愛いらしい耳が生え、スッと伸びた長い足の後ろにはフサフサした柔らかそうな毛並みの尻尾が垂れ下がっていたからだ。
いわゆる獣人というものだと知覚したキャロラインは、思わず凝視してしまったのである。