45 主と番の王女2~ギース視点~
あれから数年。
満を持してリーンハルトが文化視察と称してアカシア王国へ乗り込み、あっという間にキャロラインとの婚約をもぎ取ってきた時は強引さに呆れつつも、主の拗らせた初恋が成就した喜びと、傷つけられはしないかという一抹の不安が混ざったものだった。
しかし、いざ実物と会ってみてギースは自分の不安が杞憂だったことを悟った。
「獣人に嫌悪の眼差しを向けなかった人族を初めて拝見しました。人族は口では美辞麗句を並べても、大抵侮蔑の眼差しを向けるものですから。それがキャロライン王女はまるで羨望のような視線をこちらへ向けてくるので、少し戸惑ってしまいましたよ。人族が獣人王太子の番なんて務まるわけがないとずっと不安に思っていましたが、確かにリーンハルト様の仰る通り素敵な方ですね。言葉は少なくとも、あんなに素直な好意の態度をとられたら番でなくても惹かれてしまいそうです」
「キャロに惹かれるのは可愛いので当たり前ですが、私の番に手を出したら血の雨を降らせますよ」
ギースの言葉に、リーンハルトが威嚇するように琥珀の瞳を吊り上げる。
だが揶揄っても怯えられても、リーンハルトが変身して襲ってきたり、使用人に手をあげたりしたことが一度もないことを、ギースはよく知っていた。
今も唸って睨んではいるが、少し大きな犬だと思えば可愛いものである。実際は狼だが。
「ハハハ。そうやって、あまり嫉妬心をむきだしにして引かれてしまったら、元も子もありませんよ。嫌われたら生きていけない位お好きなのでしょう?」
ギースの言葉にリーンハルトは眉を顰めたが、渋々といった体で頷く。
愛されたことがないキャロラインにとって、リーンハルトの重すぎる愛は引かれてしまう自覚はあったようで、徐々に囲っていっているようだった。
番のため、ややもするとすぐに触れたくなる衝動を理性で押しとどめているリーンハルトは、時折キャロラインの見ていない所で「触れたい、愛でたい、舐めたい」と呪文のように壁に呟いていることもあったが、忍耐よりもやっと婚約者になれた喜びの方が勝っているようで、怯えさせないように慎重に距離を縮めてゆく過程さえも楽しんでいるようだった。
どんどん自分に心を開いてくれるキャロラインが可愛くて、それが途方もなく嬉しいのだと惚気る主にヤレヤレと呆れつつも、ずっと焦がれていたリーンハルトの初恋が成就できたことにギースだって幸せな気持ちになっていた。
それに役立たずの地味王女だと世間で噂されていたキャロラインは、厳しい王太子妃教育を難なく熟し厳しいことで知られる教師陣も絶賛するほど優秀な人材だった。
獣人は番と一緒にいるだけで幸せになる。
つまりリーンハルトの番であるキャロラインは存在するだけで価値があるのだが、王太子妃が優秀ならばトスカーナ王国にとっても良いこと尽くめである。
それに彼女は人族には珍しく獣人を全く嫌悪していない。
リーンハルトとの仲も温度差はあるが良好のようだし、全てはうまくいっているとギースは慢心していた。
歯車が狂いだしたのは、あの日。
キャロラインが階段から転落したと報告を受け、リーンハルトは執務室を飛び出していった。
動転し騒ぐ心に変身してしまいそうになるのを堪えるためか、固く握った拳には深く爪が食い込んでいたが、そんな痛みなど気がついていない位、執務室へ戻ってきたリーンハルトは動揺し憔悴しきっていた。
「キャロが、言葉を発してくれなくなりました……それに何故か、私を警戒しています」
キャロラインが重傷ではなくて安堵したが、リーンハルトの言葉にギースは眉を寄せる。
「ショックで口がきけなくなったということですか? それに警戒とは? ここ最近は随分近しい間柄になられたと思っていたのですが」
「……たぶん話せない振りをしているのだと思います……」
「え? 何故そんなことをする必要があるのですか? 階段から落ちたのは事故だったのですよね?」
キャロラインが階段から落ちた原因は、彼女の護衛と現場に居合わせた侍女の証言から事故だと判断されていた。
訝るギースに、リーンハルトは握りしめた拳に更に強く力を入れる。
「どうしてキャロがそんな演技をするのかはわかりません。ですが何か思う所があるのかもしれません。ギース、キャロが階段から落ちた時のことをもう一度よく調べなおしてください」
「そうですね。しかし、キャロライン様も何か気付いた点や不審な者を見たのであれば、どうしてリーンハルト様へ訴えないのでしょう? 主の溺愛ぶりはしっかり伝わっていると思っていたので意外です」
「私が至らなかったせいでしょう。トスカーナへ帰国してから王太子としての執務に追われて、キャロとの時間があまり取れていませんでしたから。そういえば番だから重要視されていると勘違いしている節もありました。今後は番、番とあまり口にしないようにしなければ……それにしても愛してやまない人から距離を置かれるのは、こんなにも辛いものなのですね」
弱々しく眉尻を下げたリーンハルトに、ギースも尻尾を下げた。
「リーンハルト様……」
「ギース、手間をかけさせて申し訳ありませんが再調査の件よろしくお願いします。私も急ぎの書類を捌いたら、すぐに取り掛かります」
そう言うとリーンハルトは溜まっていた書類に向かう。
キャロラインの目が覚めるまで枕元に張り付いていたため、夜も更けたというのにまだまだ書類が残っている。
本当はすぐにでも自分で調査したいだろうに王太子の責務の重さを認識しているため、もくもくと書類を捌きながらも時折無意識で溜息を吐くリーンハルトに、ギースは掛ける言葉が見つからなかった。




