44 主と番の王女1~ギース視点~
突然の婚約から数日、キャロラインと一緒にトスカーナ王国へ向かう馬車の旅をリーンハルトは満喫していた。
国境の街でドレスと宝飾品を爆買いしたことは想定内だったが、あまりの押しの強さにキャロラインが戸惑っているように見えたので、ギースが「はしゃぎ過ぎです」と釘を刺したほどである。
側近であるギースはリーンハルトに遠慮がない。
当初ギースは親に言われて気がのらないまま側近になった経緯もあって、突然変身するリーンハルトを怖がっていたが、アカシア王国の式典から帰国してから人が変わったように努力する姿を見て、だんだんと打ち解けていくようになっていった。
それでもまだ『先祖返り』のリーンハルトを心のどこかで畏怖していた。
それが木っ端みじんに崩れたのは、たまたまリーンハルトの独り言を聞いてしまった時である。
「キャロライン王女に会いたい、キャロライン王女に撫でられたい、キャロライン王女を触りまわしたい、全身隈なく舐めあげてマーキングして、ずっと色々擦り付けていたい」
体術の自主練のため訓練室にいるリーンハルトの元を訪れたギースは、打ち込み用の栗色の木偶を前に恍惚の表情を浮かべながら変態発言をかました主に、思わずツッコミを入れてしまった。
「え? 俺の主って変態?」
素でツッコんでからギースは己の失言に気づいて背筋が寒くなる。
幼い頃は人である時の体格よりも、かなり小さな狼の姿に変身していたリーンハルトだったが、最近では背が急激に高くなったからか、変身後の大きさはまさに猛獣と言っても過言ではない程だ。
不敬だとここで変身されて飛びかかられたら確実に死ぬ。
そうでなくても王太子を貶したとすれば悪くて斬首、良くて蟄居だろうと項垂れたギースに、リーンハルトはパチパチと瞬きをした。
「私は変態なのでしょうか? でもキャロライン王女は素敵すぎるので、多少変態になってしまっても仕方がないと思います」
「……は?」
叱責されなかったことよりも主の言っている意味が分からず戸惑うギースを他所に、リーンハルトはうっとりとした眼差しのまま栗色の木偶の頭部を撫でている。
「今も、この木偶が彼女の髪色を彷彿とさせて感情が昂ってしまいました」
「へ?」
仕える主が木偶そのものに欲情していたわけではなくて良かったとは思いつつも、ギースはまだ状況を掴めずに呆けている。
そんなギースに目もくれずリーンハルトは木偶を撫でていたが、やがてその手をピタリと止めた。
「ですが番に変態だと思われるのは避けねばなりませんね……」
怖ろしく低い声で呟いた主にギースは本能的に尻尾を逆立てたが、目を合わせたリーンハルトは縋るように眦を下げた。
「ギース、私のどこが変態っぽいですか? 余すことなく教えてください。引かれないよう、うまく隠さなくてはいけませんから!」
必死に懇願してくるリーンハルトに先程一瞬感じた威圧感は影も形もない。
王太子という立場でありながら頑なに婚約者を決めなかったのは、既に番を見つけていたからなのかとギースは妙に納得したが、番がいるなら何故すぐにでも発表しないのかという疑問が浮かびハッとした。
王太子としてのリーンハルトは優秀で怜悧、その上『先祖返り』のため尊敬と畏怖の対象とされている。
しかし、その『先祖返り』のせいで彼の祖母である太后と折り合いが悪いのは有名だ。
その辺りの複雑な事情があって番を囲い込めないのだと察してリーンハルトに同情しつつも、周囲から尊敬と畏怖を集める王太子が真剣に自分の変態部分を聞いてくる絵面に、ギースは何だか親しみを覚えた。
(あ、この人全然怖くない。むしろバ……ゲフン、ゲフン)
そう思ってからギースが無意識で作っていたリーンハルトとの間にあった壁が消えた。
普段は優秀なのにキャロラインが絡むと変態思考になってしまうリーンハルトへ、番だから仕方がないかと生ぬるい眼差しを向けつつも、可愛い弟を見守るような気持ちになった。
キャロラインが人族と聞いた時は不安を覚え、心配し過ぎて尻尾の毛が少し抜ける位には、リーンハルトへの蟠りはすっかり無くなっていた。




