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37 望んだ別れ3

 獣人は人族よりも力が強いと文献には載っていた。目の前にいる令嬢の耳は、形状からして猫っぽく見える。

 熊や狼じゃなくて良かったと冷静に分析しながら、ぶたれても仕方がない嫌味を言った自覚はあるので、甘んじて受けようと逃げ出すことはせずキャロラインは目を瞑ったが、その背に氷よりも冷たい声が投げかけられた。


「なんの騒ぎですか?」


 颯爽と現れたリーンハルトは令嬢達とキャロラインの間へ割って入ると、すかさずキャロラインを抱き寄せる。


「キャロ、婚約破棄とか物騒な単語が聞こえてきましたけれど、何かありましたか?」


 顔は笑っているが氷点下の眼差しを向けるリーンハルトに、キャロラインは身が竦む。

 婚約破棄をするのは国同士の問題もあり難しいからこそ、彼はキャロラインを亡き者にしようとしていることは解っていたはずなのに、自棄になってつい口走ってしまい唇を噛む。

 まさか聞かれるとは思わなくて悪手を打ってしまったと黙り込むキャロラインに、小さく溜息を零したリーンハルトは彼女の髪へ口づけを落とすと、令嬢達の方を振り返った。


「まさか王太子である私が決めた婚約者に、不満を言う者がいるわけではありませんよね? ましてや手をあげるなど言語道断ですが?」


 リーンハルトから射抜くような視線を向けられ、手を振り上げていた令嬢が慌てて下ろし瞳を泳がせ弁明する。


「わ、私達は何も存じませんわ」

「婚約破棄は、この方が勝手に……」

「私達は、ただ忠告をしただけで……」


 しどろもどろに言い訳を始める令嬢達を見て、上下関係が緩めの獣人の国でも王族に意見するのは難しいのだとキャロラインは悟る。

 ならば先程の反論は大層な挑発行為だっただろうと、令嬢達に申し訳ない気持ちになった。

 対してリーンハルトの方は、令嬢達を追求する手を一向に緩めない。


「私の婚約者のキャロラインを侮辱し、暴行までしようとした貴女方の行為は到底許されるものではありません。そんなことをすればその代償は貴女方の家にまで波及することは、勿論承知の上での行いなのでしょう? それで? 私の婚約者に対して貴女方が何を仰ったのか、もう一度再現してくれますか?」


 顔に笑みを湛えてはいるが、足元からドス黒いオーラを噴き出し始めたリーンハルトに、令嬢達の顔が盛大に青褪めた。


「ひっ!」

「も、申し訳ございませんでした!」

「私達は、こ、これで失礼いたします!」


 小さく悲鳴をあげて蜘蛛の子を散らすように去ってゆく令嬢達の背を、リーンハルトに目配せされたギースが後を追う。

 彼女達と彼女達の家が、この先どうなるか不安になったキャロラインだったが、リーンハルトが、がっちりと肩を掴んできたため身を固くした。


「言葉、話せるようになったんですね。いえ、うっかり話してしまったというべきでしょうか」


 いつもよりも低音で問いかけるリーンハルトに、キャロラインは嘘を吐いていた後ろ暗さとバレていた恐怖に、今度こそ本当に言葉が出てこない。


「ねえキャロ、貴女が望んでこの国へ来たのではないことは解っています。婚約と同時にアカシア王国から、攫うように連れ出してしまったことも謝罪します。けれどこの国へ来る途中から、段々と貴女は心を開いてくださっていた。それが突然、私を拒むようになってしまったのは何故です? 私は何かキャロの気に入らない行いをしてしまいましたか? 至らぬ点は必ず直します。ですからどうか、これ以上私を拒絶しないでください」


 リーンハルトの冷たかった声音が、徐々に悲しみの色に染まる。

 肩を掴んでいた手の力が弱まり、ペタリと下がった耳がリーンハルトの心情を物語っていて、彼が本当に悲しんでいる様子なのが見てとれた。

 

 けれどもうキャロラインは目で見たものを素直に信じることが出来ない。

 それにリーンハルトの言葉に、ついさっきまで抱いていた恐怖が吹き飛ぶほどの衝撃を受けていた。


「……拒絶?」


 呆然と口にした後、乾いた笑みが浮かんでくる。

 涙が零れそうになるのを堪えて、キャロラインは自分の肩を掴んでいたリーンハルトの手からすり抜けた。


「……気に入らないのは……拒絶したのは貴方のほうでしょう?」

「え?」


 吐き捨てるように言った言葉に、リーンハルトが目を見開く。

 番を間違えたことを、まさかキャロラインに気づかれているなんて思いもしなかっただろう。番でないことが解ってからも彼の態度は優しかった。キャロラインの前でのリーンハルトの演技は完璧だった。

 でも……と、キャロラインは唇を噛む。


(ハルト様は知らないでしょう? 誰にも必要とされなかった自分を選んでくれた時どんなに嬉しかったか。私以外いらないのだと言ってくれた時どんなに心が弾んだか。愛してると言ってくれた時どんなに胸がときめいたか。……でも、番は間違いで私を殺そうとしているのを知った時どんなに絶望したか……!)


 そして、それでも今もなお、自分がリーンハルトを嫌いになれないという事実が、捨てないでと縋りつきたくなる想いが、キャロラインの感情を乱させていた。


「間違えたのなら、そう言えばいいではないですか?」

「間違え? って、え? キャロ? 何のことです!?」


 腕の中から離れたキャロラインを、驚いた表情で見つめるリーンハルトから逃げるように後退る。

 ここのところの睡眠不足に加え、あまり食べていなかったせいもあって、立ち眩みがして思考がうまく回らない。


「番ではない間違えた婚約者である猿もどきの私なんて、殺したいほど嫌いなんでしょう!? 私だって貴方のことなんて……」


 後退していたキャロラインの腰が落下防止の柵にぶつかり、よろけそうになる身体を支えようと手をついた瞬間、体重をかけた柵がグラリと崩れた。

 言葉の途中でバランスを崩した身体が、あっという間に空中へ投げ出される。


「キャロ!!!!!!!」


 リーンハルトが自分を呼ぶ声と共に必死の形相でこちらへ差し出した手を、キャロラインは拒んだ。

 絶望の表情になった彼の悲鳴が頭上から聞こえた時には、キャロラインの身体は既に激しい滝の流れに呑み込まれる寸前で、大嫌いという言葉は言えないままに、でも嘘を吐かずに済んだそのことに少しだけ安堵した自分に呆れながら、キャロラインの身体と意識は深い滝壺の底へと落ちていった。


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