34 疑惑は確信に3
扉の外からは溜息を吐く音が聞こえ、先程我慢した涙が零れそうになる。
そこへ声量を抑えた違う人物の声が聞こえてきた。
「キャロライン様はご就寝なされたのですか?」
「ええ。散歩中によろけたらしいので、まだ本調子じゃないのでしょう。護衛に抱き留められたそうです」
不機嫌そうに返事をしたリーンハルトに、声を掛けた相手がクスリと笑う。
「それは、その護衛も気の毒に……」
声を掛けてきたのはリーンハルトの側近であるギースだった。
他の護衛や侍女がどこか距離をとる中、リーンハルトと共にキャロラインにいつも笑みを浮かべて接してくれていたギースの言葉に、失望が広がる。
(私なんかを助けた護衛が気の毒ってことか……)
トスカーナ王国に来る際に真っ先に紹介されたものの名前だけだったため、慌てて挨拶をした時のことをキャロラインは思い出す。
不敬になるんじゃとハラハラしながら見ていたギースとリーンハルトのやり取りが遠い昔のように感じられ、あの頃は不安と期待の中でも確かに幸せだったことが胸を締め付けた。
「キャロのこと、やっぱり閉じ込めたほうがいいのかもしれません。思わずめちゃくちゃにしてしまいそうになりました」
「色々と後始末が大変ですから自重なさってください」
扉の外からはリーンハルトの言葉にギースが苦笑する声が聞こえたが、キャロラインの背筋は凍りつく。
(閉じ込めるって、まさか……監禁ってこと? ここで殺すのは体裁が悪いから……監禁してめちゃくちゃに惨殺する気なんだわ……)
自分に対する殺意を目の当たりにしてキャロラインは目の前が真っ暗になる。
(やっぱり、私のことを殺そうとしているのね……)
警戒しつつも相変わらず溺愛してくるリーンハルトに、もしかしたらという淡い期待は一気に消し飛んだ。
突き付けられた現実は痛くて辛くて悲しくて、キャロラインの墨色の瞳をさらに深い闇色に染めてゆく。
しかし傷ついたキャロラインの心など露知らず、ギースとリーンハルトの会話は無情にも続けられる。
「考えなしの行動をしてはどこぞのアホ王子と同レベルになりますよ」
「私とあの無粋な猿もどき王子を一緒にしないでください」
「一緒にされたくなければ控えてください」
呆けたように立ち尽くしていたキャロラインだったが『猿もどき』という言葉に息を呑んだ。
『猿もどき』は人族が獣人に使用する『ケモノ』と同じ意味で、人族を猿に擬えて呼ぶ蔑視語である。ちなみに猿の獣人はいないため、そんな蔑称が付いたらしい。
リーンハルトからそんな言葉を聞きたくなかったが、やはり彼らはキャロラインを歓迎してはいなかったことが明確になり、ストンッと何かが腑に落ちた。
(やっぱり私はいらないんだわ……)
番と間違えられた用済みの地味王女は、捨てられて処分されるのがオチなのである。
自分が愛されないことなんて、アカシア王国にいた頃から解っていたことなのに、甘やかされていい気になってしまったから落差が酷くて戸惑っているだけ。
この胸の痛みも苦しみも、リーンハルトが自分を愛していなかったことがショックなのではなくて、自分の愚かさに落胆しているだけ。
きっとそう……そうだと思いたいのに……。
「人を好きになんて、なるんじゃなかった」
零れてしまった本音に、キャロラインの瞳から涙が溢れる。
だが幾ら好きだと自覚しても、この想いが叶うことはない。
もしも、あの日、アリアナの服を着なければ? あの時、きちんと誰が番なのかを確認しておけば? あの場所で、リーンハルトに出会わなければ?
今更考えても詮無きことが走馬灯のようにキャロラインの脳裏を巡る。
全ての「もしも」が発生していたら、好きな人から殺されたいほど憎まれずに済んだのかもしれないと思うと酷く虚しい。
けれどリーンハルトと過ごした日々は幸せに彩られていて、無かったことになんてしたくはなかった。悲しい思い出になってはしまったが、キャロラインは生まれて初めて幸せを感じたのだから。
ふとフサフサの感触が手に触れる。
ベッドを出た時にいつの間にか握りしめていた尻尾のキーホルダーを見て、キャロラインは顔を上げた。
「でも、そう易々と殺されてなんかあげない」
扉の向こうで遠ざかってゆく足音を聞きながら、キャロラインはトスカーナ王国から脱出する術を必死で模索する。
そうすることで、引き裂かれそうに痛む心から目を背けたのだった。




