33 疑惑は確信に2
「あの~……もしかしたら先程散歩をした際にふらつかれたのを、私がお支えしたせいかもしれません」
護衛の言葉にリーンハルトは纏わせていた剣呑な空気を一瞬で霧散させて、キャロラインの顔を心配そうに覗き込む。
「ふらついた? キャロ、大丈夫だったのですか!?」
「はい。咄嗟に抱き留めたのでキャロライン様にお怪我はありません」
話せないキャロラインに代わって返事をした護衛に、リーンハルトは安堵したように息を吐いたが、次の瞬間凍えるような声音を部屋中に響かせた。
「……抱き留めて?」
リーンハルトの言葉に、護衛は口が滑ったとばかりに青い顔になる。
憐れなほどに狼狽する護衛は「違う、違う」とばかりにブンブンと大きく首を横に振り、フサフサの尻尾も耳もこれでもかと言うほど下がりきっている。
リーンハルトはその様子を冷酷無比な表情で一瞥すると、キャロラインへ向き直り眉尻を下げ表情を一変させた。
「キャロ、今度散歩をする時は私と一緒に行くと約束してください」
掴んでいた手を優しく握り直し、リーンハルトが懇願する。
しかし王太子として忙しいリーンハルトにそんなことは頼めないし、自分を殺そうとしているかもしれない相手と一緒に行動することは不安しかないため、キャロラインは首を振って遠慮する仕草を見せた。
だが、いつもはキャロラインに甘いリーンハルトが今回は譲らなかった。
「だめです。約束してください」
笑っているのに有無を言わせぬ迫力に、キャロラインはまた穿った考えをしてしまう。
(もしかしたら私を殺すために一緒にいる機会を増やす気なのかもしれない。それとも逃げ出そうとしたことがバレたのかしら……これで自由に散歩をすることも出来なくなってしまったわ。いざとなった時のために逃げだす経路もまだ確立していないのに……。体裁だか何だかしらないけど、自分の間違いを認めて婚約破棄してくれればいいのに。それで本物の番を溺愛したらいいんだわ)
自分で思ったことなのに、ズキッと心に棘が刺さる。
キャロラインがいなくなれば、リーンハルトは今度こそ本物の番を手にいれ甘く優しく溺愛するのだろう。キャロラインにしていたように。
そして、その相手はきっと……。
キャロラインの脳裏に家族から愛される美しい妹の顔が浮かんでくる。
両親の色を受け継ぐ金髪青眼の容姿をした天使と呼ばれるアリアナへ、熱をもった瞳で愛してると囁くリーンハルトを想像して、心臓が嫌な音を立てた。
(痛い……痛い……痛い……怖い……憎い……? っ!)
今まで感じたことがない嫉妬と憎悪で心が塗りつぶされ、リーンハルトの視線も何もかもアリアナにも誰にも渡したくないと願ってしまう。
けれど、それは叶わない夢。
リーンハルトに溺愛され嬉しいと感じた気持ちが悲しさに変換され、ズキズキと突き刺す胸の痛みが激しさを増し、痛くて辛くてじわりと涙が浮かんできたのを、キャロラインは瞬きをして誤魔化したつもりだった。
「え? キャロ? 泣いて?」
雫は零さなかったはずなのに、リーンハルトが焦ったように立ち上がる。
「も、もしかしてどこか痛みますか? まだ階段から落ちた傷が完治していないのに無理をしてはいけません。すぐに医者を……」
医者など呼ばれたらこれ幸いと閉じ込められそうだ。そして待っているのは病死を装った毒杯かもしれない。
慌てて平気だと身振りで伝えて貼り付けた笑顔を作れば、リーンハルトが悲しそうに眉尻を下げた。
「……今日の所は引き下がります。まだ本調子ではないのですから、きちんと休んでくださいね。それと、何か心配事があるのでしたら……いえ、今は怪我を治すことが最優先ですね。おやすみなさい、キャロ」
背を向けたリーンハルトの尻尾がしょんぼりと下がっているのを見て、キャロラインは罪悪感に襲われる。
パタンと扉が閉まる直前、思わずベッドから出て追いかけてしまったが、リーンハルトは気が付かなかったようだ。
「ごめんなさい……」
閉まった扉の前でキャロラインは項垂れ、自分でも聞き取れない程の小声で呟いた。
リーンハルトは変わらず優しい。
もしかしたら番じゃないことも、階段から落とされたことも、キャロラインの思い込みからくる勘違いなのかもしれないし、きちんと話せばきっとリーンハルトは誠実に応えてくれるはずだ。
それでも祖国で虐げられ続けた日々がキャロラインの微かな願望を塗り潰してしまい、穿った思考から抜け出せないでいる。
自分でもどうしたらいいのか解らずに暫くの間音も立てずに突っ立っていると、不意に扉の外から声が聞こえた。
「どうしてこうなってしまったんです……私はどこで間違えてしまったんでしょう……」
退室したリーンハルトはまだ扉の前にいたようで、聞こえてきた言葉にドキリとキャロラインの心臓の音が響く。
その音が聞こえないようにキャロラインは自分の身体を抱きしめ押し黙った。
(間違え? ……やっぱり番を間違えたのね……)
聞きたくなかった真実をリーンハルト自身の口から聞かされたことに、キャロラインは思った以上に傷ついている自分に自嘲する。
しかし、これで踏ん切りがついたともいえた。




