17 甘すぎる婚約者2
リーンハルトはキャロラインの表情の変化に敏感だ。
それは今日一日一緒に過ごしてよくわかったことである。
馬車の中で勝手に落ち込んだ時だって勘違いを正してくれたし、ドレスを選べなくて困っている時だって、目を合わせただけでちゃんとキャロラインの気持ちを察してくれた。
ただ、キャロラインが悲しい気持ちになると死にたくなるのも、引かれたら投身自殺を図ろうとするのも切実にやめてもらいたい。
だからまたキャロラインが曖昧に微笑んだことで、怖ろしいことを口にするのではないかと思い、慌ててニコリと微笑みなおした。
だってリーンハルトがいなくなったらと考えると怖いのだ。
昨日会ったばかりだというのに、人族の自分には番に執着する本能などあるわけがないのに、キャロラインの中でリーンハルトという存在は大きなものになっている。
それはリーンハルトが自分を選んでくれたから恩義を感じているのかもしれないし、ずっと欲しかった愛情を惜しみなく与えてくれる存在だからなのかもしれない。
それでも彼が自分を大切に想ってくれていることは単純に嬉しい。
だから彼を不安にさせてはいけないと思う故の笑顔だった。
キャロラインの笑みに、まだ不安そうな素振りを見せたリーンハルトだったが、その背に声がかかる。
「リーンハルト様、お早目に買い物を済ませた方がよろしいかと。本日は終日馬車に揺られキャロライン王女もお疲れのご様子でございますよ?」
ギースに言われ、リーンハルトはキャロラインをマジマジと見つめると、端正な顔をみるみるうちに苦痛に満ちた表情で一杯にした。
「申し訳ありません。お疲れなのに無理をさせてしまいましたね。どうしても自分色のドレスを纏っていただきたい欲望が勝り、貴女の体調を気遣えてなかったなど私はなんて愚かなんでしょう」
そう嘆いたリーンハルトはキャロラインを横抱きにすると一目散で店の出口へ向かう。
「え? え? 殿下? え?」
突然の出来事にキャロラインの口から思わず呆けた言葉が漏れたが、リーンハルトは焦ったように出口の扉へ手をかけると、思い出したように後ろを振り返った。
「ここに並べていただいた白銀と琥珀のドレスは全て買い取りします。それとドレスに見合う宝飾品も全部購入しましょう。夕刻の閉店間際に来店し慌ただしく退店すること申し訳ありませんが、代金の支払いなどはそこにいる私の従者が行いますので」
言われた言葉を理解するまで暫く呆気にとられていた従業員達だったが、やがて興奮気味に耳と頭の毛を逆立てると歓声をあげる。
丸い耳をした恰幅のいい男性もポカンと口を開いていたが、宝石商だったらしくテーブルに置いていたジェラルミンケースの中身を急いで確認すると満面の笑みを浮かべた。
「「「「「「お買い上げ、誠にありがとうございます!」」」」」」
全員で見事にハモったお礼に、ギースが苦笑する。
幾らトスカーナ王国が栄えているといっても、こんな短時間でこんな高額な買い物をする者など滅多にいない上客だろう。
閉店間際の思わぬ莫大な売上に、店の者達のフサフサの尻尾がはちきれんばかりにグルグルと揺れ、宝石商の男性などすっぽ抜けて飛んでいきそうな勢いである。
この街へ来る前に立ち寄った休憩所で、服屋に寄って宝石商を呼ぶとリーンハルトに言われた時から、ギースは「たぶんこうなるだろうな」と思ってはいたが、予想に違わない結果にヤレヤレといった体で支払いの準備をはじめた。
一方、ギースを店に残し急いで馬車へ乗り込んだリーンハルトの腕の中で、キャロラインは青褪めていた。
キャロラインはドレスを1着だけ購入するものと思っていたのだ。
確かにアリアナの寝間着ではリーンハルトの婚約者としてあまりに失礼なので、1着だけ相応なドレスを購入してもらい、これからの自分の頑張りで報いていこうと考えていたのである。
しかし蓋を開けてみれば、大量のドレスばかりでなく宝飾品まで買われようとしている。
いくら支払いは不要だと言われても、与えられることに慣れていないキャロラインは衝撃と困惑、それに購入金額を考えると恐怖で言葉が出てこない。
あれだけの品のお金に見合う仕事など到底自分には出来そうになく、とにかく購入を取りやめてもらおうと、意を決して口を開いた。
「あの……私には、あんなにたくさんのドレスや宝飾品は勿体ないので、返品をお願いできないでしょうか?」
消え入るような声だったが潤んだ瞳で見上げたキャロラインに、リーンハルトが瞳を瞬かせ天を仰ぐ。
「ああ、そんな可愛らしい仕草と声で懇願されたら、言うことを聞きたくなってしまいます」
リーンハルトの返答に、喜んでいた店の者には申し訳ないが、返品ができそうで良かったとキャロラインは胸を撫でおろした。しかし……。
「でも返品はしません。私の買った私色のドレスや宝飾品に彩られる貴女を見るのが夢だったのです。それにキャロライン王女と婚約できたら絶対に甘やかすと決めていましたので、どうかもらってください」
ニコニコと笑みを浮かべながらもはっきり拒否したリーンハルトに、キャロラインは再び顔色を失くす。
「あ、あんなにいただくわけには参りません。私はまだ殿下の婚約者として何の役にも立っておりません」
キャロラインの訴えにリーンハルトの三角の耳がピンっと立ち上がったがすぐに萎れた。