14 婚約者と馬車の中1
対面に腰かけた馬車の中でキャロラインは自分が悲しんでいないことを、何とか拙い言葉と身振りで伝えると、ほどなくしてリーンハルトの耳と尻尾が復活をとげた。
「良かったです。キャロライン王女にはいつも笑顔でいてもらいたいので、その笑顔を曇らせる者ならば、たとえ私でも容赦はしません」
安堵したように眉尻を下げるリーンハルトの耳はピコピコと動き、白銀の尻尾はパタパタと揺れている。
(うっ! 触りたい! できれば顔を埋めたい!)
揺れる白銀の尻尾に釘付けになっていたキャロラインが、己のはしたない願望に恥じ入るように視線を逸らす。
視界に入れると誘惑してくる魅惑的な尻尾や耳から逃れるために、キャロラインは違うことを考えようと頭を回転させた。
思い浮かんだのは先程からのリーンハルトの発言である。
「他の人へ笑顔を見せると減る」と言ったり、「私でも容赦しない」と言ったり、キャロラインが解らない理が世の中にはたくさんあるのだと考えさせられる。
こんな世間知らずで大国トスカーナの王太子妃が務まるのだろうかと考えたが、不安な顔をすればまた心配させてしまうかもしれないと、再びリーンハルトへ視線を戻した。
するとキャロラインの方を見ていたリーンハルトと目が合い、ニコリと微笑まれる。
「キャロライン王女はそのドレスがお気に入りなのですね」
言われた言葉にドキリと身体が強張った。
リーンハルトは責めるような口調ではなかったが、昨日と同じ服装なのは事実である。
しかも実は妹の寝間着だと知るキャロラインにとって、ドレスの話題は出来れば避けたいところであった。
そもそもお気に入りも何も、寝間着だろうがお下がりだろうが、これしかドレスを持っていないので仕方がないのだが、それを伝える訳にもいかず黙り込むキャロラインに、リーンハルトの方が申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「勿論そのドレスも素敵なのですが、できれば私に貴女が纏う品を贈る栄誉をお与えください」
蕩けるような甘い笑みを浮かべたリーンハルトに対して、キャロラインは更に身を固くした。
こんな貧相なドレスともいえないような服を着ているのが婚約者だなんて、きっと恥ずかしく思われたのだと考え内頬を噛みしめる。
自分で購入することができたらよかったのだが、キャロラインは手持ちのお金どころか持参金さえ与えられなかったため、それもできない。
贈ってくれると言うことはキャロラインが支払う必要はないということなのだろうが、その言葉にちゃっかり甘えられるほどキャロラインは図太い神経を持ちあわせていなかった。
失望されたくなくて王宮では曖昧にしてしまったお金の問題を、これ以上先送りにすることは出来ないと考え、ライムグリーン色のスカートを握りしめる。
「わ、私は自分のお金を持っておりませんし、その……本来あるべき持参金も……ありません。……このように貧相なドレスで大国トスカーナへ参る無礼を、ど、どうかお許しください」
まだ慣れない会話。
緊張で震える声を叱咤して、キャロラインは自分の置かれた状況を何とか説明するとリーンハルトへ頭を下げた。
静まりかえった馬車の中にはカタカタと車輪が轍を駆ける音だけが響き、キャロラインは泣きたくなるような気分になる。
昨晩アリアナに言われた言葉がグルグルと頭の中を回り始めて、こんな地味で役立たずな王女など番でなければ選ばれなかった存在であり、理性が本能を凌駕すれば見限られるのなんて時間の問題なのだと、もう一人の自分が諦めたように諭してきた。
そう考え出すと悪い方向にばかり傾倒してしまう。
リーンハルトは番を見つけて冷静な判断が出来ていなかっただけなのかもしれない。
こうして一緒の馬車に乗り改めて地味なキャロラインに相対したことで、落胆して現実に引き戻されてしまったのだろう。
きっと今頃は呆れて琥珀色の瞳に蔑みの色を湛えているのだと想像すると、どうしようもない不安に駆られた。
侮蔑も嘲笑も幾度となく家族から投げつけられ慣れてしまったはずなのに、リーンハルトにその目を向けられるのがたまらなく怖いと感じ、キャロラインは無意識にスカートに皺ができるほど掌を強く握りしめる。
その手をほぐすように上から優しい温もりが包み込んだ。
「えっと……何か、勘違いをなさっているようですので訂正させてください」
キャロラインの手をすっぽりと包み込んだリーンハルトの大きな掌は、少し骨ばっているが温かかった。
声音も呆れているというよりは戸惑っているような気がして、恐るおそる顔を上げれば、リーンハルトは困ったように眉尻を下げていた。
「ドレスを贈るのは私の我侭ですから、キャロライン王女が支払いの心配をする必要はありません。それに貴女のドレスが貧相などとは思っておりません。キャロライン王女が纏えば、どんな服でも、たとえ一片の布でさえも世界一美しいドレスになるのですから。……ただ……」
キャロラインが心配したような蔑む様子は一切ないものの、最後の言葉を濁したリーンハルトは言い辛そうに一瞬視線を逸らし、頭上の耳もペタリと垂れる。
その仕草が可愛らしくてキャロラインは内心身悶えるが、リーンハルトはすぐに視線を彼女へ戻すと拗ねたようにポツリと呟いた。
「昨日と同じドレスでしたので、相当お気に入りなのかと思ったら何だか悔しくなりまして……」
リーンハルトの発言に、キャロラインの頭には疑問符が浮かぶ。
(お気に入りだと悔しくなる?)
疑問が顔に出ていたようでリーンハルトは苦笑したが、キャロラインの手に重ねていた掌に力を入れると真剣な眼差しで見つめてきた。