12 旅立ち2
正門の前には白馬が繋がれた豪奢な馬車が停車してあった。
キャロラインは孤児院のバザーなどで王宮を出る時があったが、当然のように徒歩だったので馬車に乗るのは初めてである。
見るからに立派な馬車に気後れしそうになっていると、一人の獣人が進み出てくるのが見えた。
「ギース、出迎えご苦労でしたね。急かしてすみませんでした」
灰色の柔らかそうな三角の耳が生えた頭で一礼した獣人に、リーンハルトが声を掛ける。
ギースと呼ばれた獣人は主の言葉に顔をあげると、眼鏡をクイっと押し上げた。
「本当ですよ。まさか昨日の今日で王女殿下を連れ帰るなんて、ストーカーも裸足で逃げ出す執着っぷりですね」
「一秒でもキャロライン王女と離れたくなかったので」
「ストーカーは否定しないんですね」
「婚約しましたので、これから公明正大に纏わりつく予定ですから」
「公明正大なストーカーって何でしょうね……我が主には嫌味が通じないんですかね。私、自分の語彙力の無さを今ほど痛感したことはございません」
にこにこと上機嫌で物騒な発言をしたリーンハルトに、三角の耳をペタリと伏せたギースが遠い目になる。
リーンハルトはそんなギースなどお構いなしに、隣に立つキャロラインの顔を覗き込むと、困ったような笑顔を見せた。
「私以外の男性など紹介したくはないのですが、一応、彼は私の側近なので名前だけはお教えしておきますね」
「一応って何ですか! どんだけ心狭いんですか!」
思わずツッコミをいれたギースだったがリーンハルトは完全スルーをきめ、キャロラインを見つめたままである。
「彼はギースといいます」
本当に名前だけしか伝えなかったリーンハルトが、紹介は済んだとばかりに馬車へ乗り込もうとするのをギースが慌てて引き留めた。
「いや、ちょっと待ってくださいよ! 我が国の王太子妃に迎える方です! 私からも挨拶をさせてください。キャロライン王女も面食らっているじゃないですか! ああ、もう! 側近を紹介しないって普通に失礼だって気づけよ、アホ主!」
「名前だけは伝えましたので問題ありません。これ以上話さなくていいです。減ります」
「何が!?」
再びツッコミを入れたギースは、既に主であるリーンハルトに対して敬語ですらない。
主従らしからぬ二人の気軽な遣り取りに呆気に取られていたキャロラインだったが、ギースを完全に無視したリーンハルトが馬車へ乗り込むよう促すので、慌てて口を開いた。
「あ、あの、キャロラインです。よ、よろしくお願い致します。ギース様」
話すことは苦手ではあるが、このまま黙って馬車へ乗り込んでしまったらギースに失礼だと思いキャロラインは精一杯の挨拶をする。
声を掛けられたギースの方は少しだけ意外そうな顔をしたが、すぐにニコリと人好きのする笑みを作ると尻尾を揺らした。
「私はギース、猫の獣人です。リーンハルト様の側近をしております。以後どうぞお見知りおきを。何かございましたら何なりとお申し付けください」
ギースは短毛種なのか灰色の尻尾はフサフサではない。けれど短い毛だからこそ、付け根から先端まで撫でてから逆向きに触ったら気持ちよさそうである。
そう考えたら、羨望と少しばかり欲望の眼差しを向けてしまい、キャロラインは誤魔化すように笑みを返した。
すると横合いから腕が伸びてきてキャロラインの視界を遮るように隠してしまう。
驚いて振り返るとリーンハルトが琥珀の瞳を細めて、どこか凄みのある笑みを浮かべていた。
「キャロライン王女は優しいですね。ですが他の男にその笑顔を見せてはいけません。減りますから」
笑顔ではあるがリーンハルトの琥珀の瞳は不機嫌な色を灯している。
(笑顔を見せると何が減るのだろう? そんなことは本には書いてなかったし使用人達も言っていなかったわ。それに何故機嫌が悪くなったのかしら? もしかしたら気が付かない間に私が何か粗相をしてしまったのかもしれないわ)
彼が不機嫌になった理由がわからずにキャロラインは自分の勉強不足を反省して眉尻を下げると、その顔を見て何故か焦ったようにリーンハルトが弁明を始める。
「ち、違います。不機嫌になったのはギースにであって貴女にではありません。だからどうか、そんな悲しい顔をしないでください。キャロライン王女が悲しい気持ちになると私は死にたくなります」
「へ?」
言われた言葉の意味が解らず、思わず素の返事をしてしまったキャロラインに対して、リーンハルトの尻尾と耳は垂れ下がり、明らかに萎れている。
そんな主の情けない様子を見たギースが肩を震わせながら苦笑した。
「キャロライン王女、メンヘラ気味で面倒な上に心の狭い主で申し訳ありませんが番認定されてしまいましたので、主従共々末永くお付き合いくださいますようお願い申し上げます」
「は、はい。こ、こちらこそよろしくお願い申し上げます」
キャロラインは元からリーンハルトを拒否する気持ちはないので素直に了承し頭を下げる。
ギースは眼鏡の下のサファイア色の瞳を微かに見開いたがすぐににっこりと微笑み、誘うように馬車の扉を開いた。
(あの馬車に乗れば、きっとこの城へは二度と戻ってくることはないだろう)
家族に愛されないのは辛かった。
独りぼっちは寂しかった。
思い出すのは胸に痛いことばかりだが、それでもキャロラインはこの城で育ち、ここでの生活しかしらずに生きてきたので、なんともいえない感慨深さがこみ上げてくる。
それにごく僅かだがキャロラインを気遣ってくれる人だっていた。
一緒に仕事をしてきた数名の文官や騎士が見送りに来てくれたことに感謝しながら、後ろを振り返ったキャロラインは、彼らと彼らの後ろに建つ白亜の王城へ向かい静かにカーテシーをする。
「今までお世話になりました。お元気で、さようなら」
吃らなかったことに安堵しつつ顔をあげにっこりと微笑むと、まだ元気がない様子のリーンハルトともども、馬車へと乗り込む。
「それでは、トスカーナ王国へ出発します」
馬車を先導する格好で馬に跨ったギースの掛け声と共に、ゆっくりと車輪が動き出す。
こうしてキャロラインは生まれ育った白亜の王城を後にしたのだった。