桜 メッセージ。
昨夜、いけ好かない賢き兄にしてみたら、書き込んたのが本人なのかと疑ってしまった、奇妙奇天烈なメッセージが一言、入っていた。朝起きて既読はしたけど返信はスルーしたと、昼寝起きの旦那に話をしていた休日の午後。
結婚したばかりの私達。お隣さんで育った旦那に言われても、兄に返信など、さらさらする気は起きなかった。連絡先に入っていたのも、両親に頼まれて仕方なく。
「ふぁぁ。んで。お義兄さんからなんて珍しな。ちゃんと返信しろよ」
「やーだ。それに『お義兄さん』なんてキモ!結婚するまでそんな風に呼んだことない、聞いたこともない。あれ?お義姉さんからだ。なんだろう。珍しー。はいもしもし。……、……!はあぁぁ?あ、そうです。わ、わかりました。これから行きます」
新年の挨拶をメッセージで送る程度に、付き合いをしている義姉から着信。
「おい、変な声出してどうしたんだ」
「うん。お兄さん死んだって」
「ええ!ウッソ!」
「ホント」
「ええ、何で死んだの?俺さあ。夕べ、一緒にちょこっと、呑んだんだよ。スゲー、小洒落たバーに連れて行かれてさ」
「はあ?なにそれ、聞いてない」
「だってお前、嫌いじゃん」
「そうだけど、隠しごとされるの、超イヤ!何時から、いつからの仲なのよ!浮気しないって言ってたよね!」
「ちょいまち。女じゃねぇし、うー。ときどーきな、呼び出されて一緒に呑んでた。少し前に、たまたまセミナー会場で、出会ってさ」
「ふーん。私に内緒でやり取りしてたんだ。呼び出されて、小洒落たバーで二人仲良くしてたんだ、そこで女は馬鹿だと言ってたんだ」
「ゴメンって。そんなこと言わねぇ。女は女神さまです!ほんの少し愚痴を聞いていただけだって。だってお前に話をしたら、嫌がるだろうと思ってさ」
謝る旦那に、もういいよと笑いながら応えた。
「ちょっとからかってみただけ。タカ君も一応、幼なじみだし、年取って懐かしくなったとか、あー、お兄さんに限って」
ナイナイ!私達は声を揃えた。
「で。ゴメンだけどこれから一緒に行ってくれる?」
一回り離れた几帳面で潔癖症の兄は、年離れた妹を可愛がる事など、賢い兄からすると思い浮かばない行為。妹は無知で馬鹿な存在。それを嗜めそんな事も知らないのかと、知識をひけらかし、嘲笑う為の相手。大嫌いな兄。
よく泣いて、お隣に駆け込んでいた子どもの頃。
仕事で成功していた兄は、私達夫婦と両親が住む下町から離れた、いわゆる山の手のお屋敷街に、庭付き一戸建てを構えた。家族3人で暮らしている。これまで来たことといえば、新築した折に来るよう小うるさく連絡が入り独身だった頃に両親と一緒に渋々、花を手にして来たことぐらい。
その時、小癪な八重桜が庭木に植えられていたのを見て、イラッとしたのを今尚覚えている。小学校二年生の時、お花見遠足で行った自然公園で爛漫に咲いていた八重桜。珍しく家族が揃った夕食時に、さくらがきれいだったと話せば。
「桜って、沢山品種があるし、自然公園なら幾つもあるだろ、何が咲いていたか、ちゃんと言え。八重桜か?ソメイヨシノか?何色だ?それは。知らないだろ、桜も色んな色があるんだ。フッ」
小学二年生の女子相手に何を言うのだ!今尚、キシャー!となる私。
「あれ……」
「まあ……」
取り敢えず無難に、喪服を着込み訪れた、薄闇が広がる閑静な住宅街の一角に、相応しくない騒ぎがあった。並木道に植えられている葉桜になったソメイヨシノが、一斉にざわざわと音立て夕方の風に揺れている。まるでこれから嫌な事が待っている様に不吉。
「パトカーだよ。それと黒塗り乗用車」
「うふふ。お兄さん、恨みで殺されちゃったとか?」
「こら。不謹慎だぞ」
「だって嫌いなんだもん」
メディアやドラマでよく見る、規制線とかの黄色のテープも張られて無いし、お巡りさんも居ない。野次馬も居ない。ただパトカーが、一台、ポツン。なんだ事件じゃないんだなと、少しがっかりしつつ、門扉のチャイムを押した。ご自慢の庭のこれまたご自慢の小癪な八重桜も、すっかり緑の葉桜。闇に溶けつつざわざわ揺れていた。
「昨夜のメッセージですか。すみませんが、それ、見せて頂けますか?」
きゃー!こういう展開なの。北の地方都市出身の義姉のご両親はこちらに向かっている真っ最中。こちらの両親はフルムーン旅行の真っ最中。慌てて帰りの便を手配してもらっているらしい。
通された応接室で、お巡りさんと医者に出くわした私達。どうやら兄はベッドの上で死んだらしい。見つけたのは妻である義姉と娘。
「一緒に行けばこんなことに」
義姉が、兄が目に入れても痛くないとかほざいていた、ひとり娘を抱きしめハンカチで涙を拭っている。高級感溢れる低いテーブルの上には似たような錠剤が入った、至極ありふれた何もかも同じデザインの小瓶が2つ。百均で買えるやつだなと目星をつけてみた。
「お義姉さん。出かけてたの?」
「ええ。帰ってきたばかりなの。この子と従姉妹の家に泊まりに行っていたの」
そりゃそうよね。息抜きしたくなるわよ。兄は手に触れる物は家でも外でも除菌シートで拭ってから、ハンカチで丁重に拭くんだもんね。モデルルームみたいに、塵ひとつ落ちてないハイソな客室は居心地が超悪い。人の良さげなお巡りさんに、携帯を開いて見せる。
『桜 』
「はあ?どういう意味でしょうか?妹さんはご存知で?」
「いいえ。さっぱり。そもそも兄とはやり取りしていないんです。昔から兄妹仲が良くなくて。お互い独立してからは音信不通です。なので昨夜送られて来ても開いてなくて。一体、何なのですかね。お義姉さん、心当たりあります?」
「さあ。小難しい人ですから。私なんて始終、ちゃんと答えろと言われてましたから。何か意味があるのかしら」
小首をかしげる義姉のそれに、横に座っていた娘が口を挟んだ。
「私とママのことかしら」
ああ!そうかも。私と義姉と声が重なる。得意気な娘の顔は兄そっくり。実家でお正月に会うだけの、好きではない姪っ子。どういうことですか?と問われ、答えた。
「兄は昔から細かしくて。例えば桜を見たといえば、それは八重桜かソメイヨシノか、正確に言えと。まぁ、桜が好きだと言ってましたから、余計に、こだわり凄いのです。結婚相手と娘は桜にちなんだ名前にしようと、結婚相手も居ない時に、勝手に決めてましたから」
「それとメッセージとの関係は」
「お義姉さんと、かわいい我が子の名前を末期の力を振り絞り打ち込みたかった?でも時間?がなくて、それになったのかしら。お義姉さんは八重桜の『八重子』さんだし、娘さんはソメイヨシノの『佳乃』ちゃんですから。錯乱してたのかしら。意味不明のメッセージを、送られてもねぇ。そして私なんかに送りつけたのも、わかりません」
「そうよ!きっとパパはママと私を頼むって、送りたかったと思うの。ねっ、ねっ、ママそうでしょ」
必死に言い募る娘にちょっと違和感があるけれど……。
「それで兄はどうして死んだんです?」
死因を聞いてない私は、検死のために来ていた医者とお巡りさんに聞く。
「どうやら服用を間違ったと思われます。先程、ご遺族の方には説明を致しましたが……」
もう一度説明をするのかい。面倒くさそうな物言いで、私の携帯画面を確認したあとで、教えてくれた。
「ご主人は、寝る前に市販のビタミン剤を服用されていたとか。そして最近、休肝日の折に眠れない時には、市販の睡眠導入剤も。うっかりと昨夜、間違えた様です」
あらやだ。昨夜ってタカ君と呑んだって。休肝日はどこ行った。それにしても意外。あの兄ならば、どことなく弱味を見せるように感じるであろう、ビタミン剤やら、睡眠導入剤なんて手を出さないと思っていた。どんな顔して買っていたんだろ。私が眠れないと言うと、鼻先で嘲笑ってたのに。
年取ったな。フフン。
でもお巡りさんもお義姉さんも何も聞かないし。別にいいか。タカ君も知らん顔してるし。
「よっぽど飲んでたのね。自分で詰め替えた物を間違うなんて」
「はあ?錠剤を詰め替えてたの?お兄さんは」
「ええ。必ず持って帰ってくると、一錠一錠、確認をして煮沸消毒した小瓶に詰め替えをしていたの。あの人」
「それが原因ですよ。パッケージのままに置いていたら良かったんです。間違うことも無いのに」
医者の呆れたような声に、もっともだと同意をした私。信じられなくもない、兄の日常話をした後、グスグスと泣く義姉の横で、娘の佳乃がパパ、パパと大泣きをしていた。
いくつかの質問を繰り返されて。不審な点が無いと判断したのか、無事に葬儀に関する書類を手にすることが出来た義姉。とりあえず、実家の父母が来るのを待つという彼女に、一度家に帰る事にした私達。
「ごめんなさいね。あちこちさせて」
「いいわよ。お兄さんも馬鹿よね。どうせなら生きてる内に、ウッカリ部分出してりゃね、やり良かったのに。八重子さんも色々大変だったね」
お正月に出会う度、かつての私を見ている気がして胸が痛んだ、兄が義姉に放つ上から口調。こんな事も知らないのか。いちいちイチャモンつけるな!と言いたい位、結婚をしかわいい子が出来ても、変わらなかった兄。
「ここでいいわ。忙しくなるから休めるときに休んで」
「ええ。佳乃、佳乃、あら。何処に?庭かしら。あの子もあの人も、何かあれば八重桜の下に行くから。私キッチンを片付けないと」
「そう、じゃぁ帰るついでに入るように声かけとく。明日来ますから」
タカ君がドアマンのように扉を開けた。外に出る私達。
ざわざわ。夜風が葉擦れの音を立てている。生茂った八重桜は葉桜の姿になっても、ガーデンライトに照らされると、妖艶な空気を醸し出している。樹の下に立つと桜餅の香りが。葉や樹皮からクマリンが放出しているのだろう。兄から聞いた、日常生活に何ら役にも立たない話を思い出した。
「佳乃ちゃん。ママが心配してたよ」
樹の下に設えてある、テーブルセットで座る姪っ子。
「一度帰るね。ん?どうしたの?」
どことなくおかしな様子に気がついた私。
「ボトル」
「は?」
父親が『桜』で娘は『ボトル』。何なのこの父娘。
「ママね。怒られてばかり。下らない事でどうして怒られなくちゃいけないの?パパはカップ麺ひとつ作れないのに」
ムッツリとした声がひそりと。ざわざわと葉桜が小さく喚く。
「この前もお出かけする前の夜、どうでもいいことで怒ってたの。だからね、イタズラしたの……。パパはお薬を飲むお水も、パパのボトルに入れ替えて冷蔵庫に入れるの、そこに……」
口がへの字に歪む姪っ子。
「帰ろう。佳乃ちゃんも家に入りな」
みなまで言わさぬ様、タカ君が割って入ってきた。
ざわざわ、ざわざわ、甘いような香りを放ち葉桜が音を立てている。その下で兄の娘が呟いている。
「ちょっと困ったらいいだけだったのに。嫌い。パパなんて。誰もパパの側になんかいられない、嫌い。パパなんて、大嫌い!」
うん。そうなっても仕方がないね。
駅までは、バスが便利なのだが乗る気になれなくて歩いて向かっている私達。ふたりとも何か考えを整理しているみたいな感じ。私はそうだけど。
坂を下って、電車に乗って。降りてコンビニに寄って、食べたい物を買って。歩道の桜の並木道を並んで歩いて。
「ねえ。お兄さんと会ってたのってさ」
我慢出来なくなり前を歩くタカ君に聞く、部屋までの僅かな時間。
「パシリに使われてたんだ。でしょ」
「うん。ドラッグストアにお使いね」
「お兄さんの事だから、手持ちが空になったら、即日メール」
「そう。前もっては無い、自分で買うなんて考えない」
「上手く見つけたね。中身似てるの。えらいえらい」
「探したよ。丁度サイズの合うパッケージ同士もね」
「細かしい癖にさ、昔から箱やらパッケージ、ビリビリに破るんだもんね、バイキンが付いてるぅって」
「そうだった、そうだった、チョコでも綺麗に開けば食べきれない時でも置いとけたのにさ」
必ず、開けてお皿に移さないと、食べない兄の癖を思い出している私達。
「ククク。そういやイタズラしたよね」
「うん。箱パッケージのお菓子の中身をチェンジ」
「ビリビリに開けるから気づかなくてさ」
「皿に移してこれじゃない!てか」
アハハ。二人して昔を思い出し笑う。
「その……。ごめんね」
「その……、ごめんな」
部屋へとたどり着く。この話はもうしない。私の妄想ストーリー。確認はしない。きっとタカ君もしない。変な話にのっただけ。
それだけ。
それがいい。このまま知らぬ顔して二人で生きていく。ドアにはハンドメイドが得意な友人からの結婚祝いに貰った表札変わりのネームプレート。
『染井 隆♡春香』
鍵を開けて、コンビニの袋をカサカサ鳴らし部屋に入った私達。
「お腹すいたねー。お茶入れようっと。うふふふ。桜餅買っちゃった」
「その前に着替えろよ、風呂用意してくるわ」
「サンキュ♡いい旦那様持ったよ、お兄さんとは大違い」
クゥ~と、お腹が鳴ったから。さっと手を洗っただけで、立ったままパッケージを開ける、桜餅を食べる。塩漬けの葉っぱの甘い香りが鼻に抜ける。ピンクのむっちりたしたもち米、しっとりとしたこし餡。
そういえば。姪っ子は上手いこと言ってたな。
『誰もパパの側になんかいられない』
桜の香り、クマリン。周囲に雑草を生やさない効能があるとか。賢い兄、何でも知ってると思っていた兄。弱味を見せるのは馬鹿だと思っていた兄。
「残念だったね。ダイイングメッセージ無駄になっちゃって。成仏してね。南無南無南無……」
いけ好かない兄、家族がいるのにもかかわらず、広い家で誰にも看取られる事なく独りで逝った、まるで自分が立つ周囲に、取り取りに花咲く草を生やさない桜の木の様に、ボッチで死んだ。
葉桜がざわざわ喚く様に、風に揺れる季節に。
終