低アクセス数の投稿者に、反戦を訴える意義はあるのかという悩みをただぶつけてみただけ
この題材で小説も考えたのですが、今回は小説になる前の原液の方が良いかと思って、敢えてそのまま投稿しました
ロシアがウクライナに侵攻した。
こういったように、問題が明白で、ほとんど誰もが知っているような事件が起こる度に僕は悩む。
果たして、僕のような低アクセス数の投稿者に、エッセイなり小説なりで、このような事件を扱う意義はあるのだろうか?
もし仮に、僕に何か世間であまり皆が訴えていないような良いアイデアがあって、何か問題の解決に貢献できるというのなら、その意義は間違いなくある。
情報技術が発達した現在という時代においては、低アクセス数でも、その情報が“活用してくれる誰か”に伝わる可能性は充分にあるからだ。
つまり、“質的”に影響を与えられるのなら、意義はあるという事になる。
だけど、既に多くの人が訴えていて特に新しくもない有り触れた情報を提供する場合は、正直に言って価値があるかどうかは分からない。
つまり、“量的”にしか影響を与えられないのなら、低アクセス数の投稿者の出番はないのかもしれないのだ。
絶対に、ウクライナ侵攻を始めたロシアに、“戦争を始めて良かった”と思えるほどの成果を出させてはいけない。特に今回は核兵器を脅しの道具に使っているからなおさらだ。
もし、コストやデメリットを上回る何らかの成果をロシアに出させてしまったなら、戦争をし始める国が今後も現れ、その際には“戦争抑止力としての核”の常識が崩れ、実際に使われてしまう危険すらもあるからだ。
(僕はロシアが核を脅しの手段に使っているのを聞いて、軽い吐き気をもよおしてしまった。
おぞましい)
ただ、このような事は多くの人が言っている。
重要なのはこの先だ。
どうすれば、迅速かつ効率的にそのような事を出来る限り被害を出さずに(これはロシア人も含む。ロシアという国と、ロシア人は同じじゃない)行えるのか。
これが僕には分からない(いや、僕以外のどんな人にも分からないかもしれないけど)。
僕には軍事的な知識もないし、ウクライナ情勢にも詳しくない。戦争を終結させるようなアイデアなんて出るはずもないし、これから何をすれば事態が好転するのかも分からない。ただ漠然と“戦争反対”と訴えるしかない。
もし仮に、僕が「戦争に反対します」と表明したところで、「いや、お前誰だよ?」って話にならないだろうか? 作家と歌手とか有名人ならともかく……
今更改めて書くまでもなく、この日本では反戦思想が大勢を占める。もし仮にそれを忘れ、日本が主戦的になってしまう危険があるというのなら、僕のような力のない人間にも反戦について書く意義はあるのかもしれない。
実際、「日本は戦争アレルギーだ」などと言って、日本の反戦思想を批判している人は存在している。
僕が書けば、そんな人を説得できるだろうか? 直接間接問わず。
そんな人をイメージしてみよう。
僕がイメージしたその人は、意外にも善良そうな普通の人だった。化け物でもなければ、異常者でもない。普通の人。
実際、そんなものなのかもしれない。
僕は彼にこう問いかけてみる。
「君は戦争するべきだと思っているの?」
彼は「ああ」と答える。
僕は困ってしまって次にこう問いかける。
「それは、自分の子供や恋人や友達が死んでしまったり、自分の手足がもげたり目が潰れたりするのを望むってこと?」
もちろん、そんな問いを受ければ、彼は戸惑うかもしれない。いや、下手すれば怒り出すだろう。
皮肉と受け取られてしまうと思うから。
そんな事は思ってもいないはずだから。
だけど、そこが肝なんだ。
戦争などの戦闘を望む人の多くは、恐怖心が鈍感なケースが多いらしい。つまり、自分達が勝つ事しか明確にイメージできていないのだ。
でも、戦争が起これば、ほぼ確実に自分達もダメージを受ける。
実際、今回のロシアのウクライナ侵攻でも日本は既に損失を受けている。エネルギー価格が上がっているし、もしそれによってコストプッシュインフレが起き、今行っている金融緩和を弱めるような事態になってしまったなら、金利が上昇し、低金利の国債や日銀当座預金を膨大に抱える金融機関が大損失を受けてしまう。
だから、戦争に反対する理由は充分にある。
……歴史的事実として、一般的に戦争を行うと社会は大損害を受ける事が知られている。
戦争後、格差が是正される事が多いのはその為だ。社会全体が損失を負えば、当然、富を多く持っている金持ちの方が被害は大きくなり、結果として格差が縮まる。つまり、皆、揃って貧乏になるって事だ。
これを誰が望むのだろう?
また、経済発展している先進国では、戦争が少ないのも同様の理由による。
社会全体が損害を被る行為を頻繁に行っている国が発展できないのは当然の話で、だからこそ、この社会からは徐々に戦争が少なくなっていっている。
生物は単細胞生物から多細胞生物へと進化した。単細胞生物同士は、かつては敵対し合っていたが、それが一つの生物と呼べるほどに協調するようになったのだ。……ただし、この進化には、生命誕生よりも遥かに長い時間がかかっている。
「道徳的な世界の弧は長く伸びているが、それは正義に向かっている」
キング牧師のこの言葉は、歴史を観れば事実であるように思える。
敵対していた存在同士が、協調し合うようになるのには時間がかかるが、それは決して不可能ではないのだ。
さて。
……僕が反戦について提供できる情報といったらこの程度のものだ。
果たして、この情報で主戦的な人達を説得できるだろうか? 何かしら、役に立てるだろうか?