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何でも話せるあなたとー新しい天と地―

作者: エステル・湯河原 

<本稿は、絵入り本で読むことができます>…「読者とともに完成させる<近未来SDGs小説>」です。SDGs<皆様の自分事検証>とともに今後を期待し、コロナ対策も含めた緊急発表です。


本稿は、アマゾンで、絵入りの書籍本で緊急出版されました。(有料)


アマゾン出版購入 検索ワード:美善京 / 美と善のまち


題名:第三の都:美と善の人のまち・美善京     (新都創生:SDGs近未来計画)

第一話:余命一カ月 ソドムとニネベのまち(川端康成の自殺動機と結果を追う別小説)

第二話:何でも話せるあなたと―新しい天と地―(本稿:茨木市と高槻市の新しいまちつくり:#美善京)


SDGs近未来小説

2020年世界を大混乱に陥れた新型コロナウイルス汚染他、国内外の各種問題は結局、SDGsの実行遅れという視点。つまり、SDGsは2030年でなく、第二次世界大戦後の人類の目標であるべきだった、という<宇宙からみればもっとよくみえ賢くされる>という<宇宙飛行士の上をいく高次の地球人教養小説を目指す理想>を目標とします。


2015年国連加盟国の決定によて、官民一体のSDGsへの取り組みが求められています。本小説はその一助として、個人一人一人が真剣に考えるべきものとして、動機付けを目的にしたものです。

特に日本における自然災害、とりわけ東海、東南海、南海トラフ地震の備えです。



世界のどの自治体においても、本小説が、日本最初のノーベル文学賞作家、川端康成の文豪魂『生命の樹』という第二次世界大戦原爆敗戦後の日本再生を『聖書』から取り上げた小説とともに、日本のみならず世界の文豪らの訪問先や保養温泉地の地元や訪問者の方に、さらには全世界の災害や悪化に対して、自助、共助、公助の先手先行予防のツールとして、人類生き残りの未来の繁栄と安全の<美しい地球>美球の姿に戻るためのお役にすこしでも立てれば幸いです。


本稿は、絵入り書籍として、アマゾンから、購入できます。前書き冒頭ご参照。


<あらすじ>


守山優香は、東京丸の内大手企業会長の才色兼備の秘書で、30歳独身清い体の『アンネの日記』に感動した「文学少女」から今も人生の意義を求めている自称「文学熟女」である。その知識と美貌で男性を論破し、双子の姉はお金と昨年結婚した。


優香は3.11から避けてきた自死作家の信条を理解しようと芥川龍之介から川端康成の自殺の原因を求めて特攻機の基地をみて戦後に川端が書いた『聖書』ヨハネの黙示録から転用している『生命の樹』の新しい天と地の希望を裏切る自死の原因、それが幼少期にあると大阪茨木の川端康成文学館を訪ねる。


そこで姉が振った旧知のメガバンクの銀行マンと出会う。大阪万博とSDGsの特命で転勤していた彼から紹介された川端康成に似た高齢者から優香は『聖書』エステル記を勧められ読む。

一方、11月、日本版ノーベル賞「京都賞」の講演会で再び銀行マンと出会う。そこに会長から「私が知らぬところでわが社もデーター偽装していた。すぐ帰れ」と電話が入る。

優香は「大丈夫、スマホとメールで必要な仕事を果たす」と1週間の休暇を申出し、帰路には『伊豆の踊子』の逆ルートで旅を計画する。さらに文豪たちの逗留先、湯河原にも行き問題解決の知恵を求めようとする…。

挿絵(By みてみん)

そして、20XX年XX月XX日、起こるといわれていたこと、地震、川端が書いたことが起こる…


SDGs近未来小説

国内外の各種問題は結局、SDGsの実行遅れ。2030年でなく、第二次世界大戦後の人類の目標であるべきだった、という視点。

国連加盟国、官民一体のSDGsへの取り組みが求められています。本小説はその一助として、個人一人一人が真剣に考えるべきものとして、動機付けを目的にしたものです。

特に自然災害、とりわけ東海、東南海、南海トラフ地震の備えです。世界のどの自治体においても、本小説が、日本最初のノーベル文学賞作家、川端康成の文豪魂とともに、日本のみならず世界の文豪らの訪問先や保養温泉地、その地元や訪問者の方に、災害に対して、自助、共助、公助のツールにしていただければ、人類生き残りの未来の繁栄と安全のお役に立てれば幸いです。



<プロローグ>


守山優香は、ともに〝才色兼備〟の誉れ高い双子の姉妹の妹である。東京丸の内にある大手上場企業の会長の秘書で、30歳の独身ながら、清い体である。

双子の姉、絵里は、メガバンクの東京本店勤務の彼、真面目な彼の仕事ぶり、いわゆる「理想主義者」にとうとう愛想をつかして、IT企業の若手創業者と結婚した。「30歳までに結婚したいのよ。やはりお金よ、お金と結婚する」と昨年、マスコミにも出る豪華な結婚式を挙げた。


優香は、丸の内のタワービルの最上階に仕事机があり、5年前のその景色が変貌していく東京に〝恐怖〟を覚えてきた。

自分は今も〝文学少女〟と認めている。まわりも同様に評価している。その文学分野は幅広いが、事の本質、自分は何のために生きるのか、働くのか、どれもこれも納得せず、寄ってくる男性を論破し困らせてきた。

5年前、突然に会長秘書に人事異動が発令された。社内では、厳しいワンマン的な会長の秘書室入りに同情が集まったが、どういう理由か、会長は優香に優しかった。つまり、いろいろ優香の好きにできた。休暇も自由にとれた。当然、すべき仕事は確実にこなしていると思っている。但し、好ましくないものは拒んだ。その結果、優香の言い分が正しい結果になることが多かった。

しかし、過去の出来事は、変更取り消し、取返しがきかない。例えば死んでしまった人の、明日の生き方を変えることはできないのだ。


芥川龍之介の自殺とSDGs

2011年(平成23年)3月11日、日本の未来を一変させる出来事があった。

東日本大震災である。その日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である。日本にとって三度目の核被爆である。大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。その日(金曜日)14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km(北緯38度06.22分、東経142度51.6分、深さ24km)を震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9・0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。微振動が地球を何周も周ったという。

発生した日付から3.11(さんてんいちいち)、311(さんいちいち)と称することもある。今なお完全復旧に至らず、死傷者、倒壊半壊家屋、他、その被害の把握は、困難を極める状況が続いている。特に津波による福島第一原発事故は想像を絶する被害損害を与えている。その汚染処理、廃炉処理はいつまで続くのか、実質、誰にもわからない。

優香は、今年、2018年、東北大地震のあった3.11の前後の日、休暇をとった。被災地東北をめぐり、芥川龍之介の文学にあまり興味がなかったが、文学少女、いや彼女の周辺ではいよいよ「文学熟女」という人もいるが、文学熟女としても芥川龍之介の生涯を初めて調べてみようと思った。

優香は『アンネの日記』から文学に関心をもった少女として自認している。「文学とは15歳でナチス収容所で病死したユダヤ人少女アンネのように、どうしたら“よい自分”になれるのかを、ずっと思い悩んできたが、人を生きようとさせる力を呼び起こすこと」との思いがスタートだった。

日本に限れば、自殺した作家は多く、芥川龍之介、太宰治、川端康成ら、その作品は何かの間違いがあるからこそ、自死、自己のすべての終わりの道に向かい、命の道に戻れず〖白紙〗に至ったのものとして遠ざけてきた。特に欧米文学に影響を与えてげきたキリスト教において、自殺は自死、つまり「汝殺すことなかれ」という『聖書』の始まりから記録した預言者モーセの『出エジプト記』の「モーセの十戒」、つまり人間を創造したという神が命じた「汝、殺すことなかれ」という命令に反した、人の命を奪う犯罪なのである。自分の命は自分のものではない。神のものであり、神から大切にする教えに反逆する行為になるようである。文学少女は、『アンネの日記』の関心事から、ユダヤ人の歴史の書『聖書』や関連書籍も読んだことがある。優香は、その結果、一層に『アンネの日記』の少女アンネの気持ちを理解できたと思っている。


ところが優香が23歳の時に体感、東日本大震災から7年目の2018年の今年、関東大震災や、東海・南海・東南海の三連動地震で『日本沈没』の大被災が懸念されるなか、優香も30歳の大台に至り「死にたくなる心境」を察し、避けてきた作家、作品を知るべきもの、と思うようになった。

特に「SDGs」の文字を会長回覧の文書やマスコミ報道でも頻繁に見るようになり、職務上も知るべきことと理解し、優香は学習を始めた。


SDGsとは、人類社会全体が2030年にゴールとすべき目標である。誰もが、取り残されない、いわばユートピアを目指す頭文字の略称である。優香は、知らないという人にはスマホからそれを検索でき、自分で理解するように勧める。

「あなたの手のひらにこの世界、全宇宙が広がっている」とスマホをみせる。優香は、言う以上、自分が大まかにその目標、ターゲットを意識するようにしている。

「これ、これよ、あなたなら真剣に見たことはあるでしょう」


SDGsと川端康成の特攻機による大空への出撃

優香は次の絵柄の全文を読んで、その頂点にある《愛》を読み取った。「愛があれば…」「愛がなければ…」。

日本の漢字文字《愛》は、東洋漢字研究の権威によれば、「後ろを顧みてたたずむ人の形である愛の胸のあたりに、心臓の形である心を加えた形。立ち去ろうとして後ろに心がひかれる人の姿であり、その心情を《愛》といい、「いつくしむ」の意未となる…。

目標1  貧困をなくすこと

目標2  飢餓をゼロにすること

目標3  すべての人に健康と福祉をもたらすこと

目標4  質の高い教育を普及させること

目標5  ジェンダー平等を実現すること

目標6  安全な水とトイレを普及させること

目標7  手ごろな価格のクリーン・エネルギーを普及させること

目標8  ディーセント・ワークと経済成長を両立させること

目標9  産業と技術革新の基盤をつくること

目標10 人や国の不平等をなくすこと

目標11 住み続けられるまちづくりをすること

目標12 責任ある消費と生産をすること

目標13 気候変動に具体的な対策を取ること

目標14 海の豊かさを守ること

目標15 陸の豊かさを守ること

目標16 平和、正義と充実した制度機構をつくること

目標17 パートナーシップで目標を達成すること


SDGsを阻害する要因は余りにも多い。実現は簡単ではない。その最大の敵の一つは、今日、自然災害、特に大地震といえるかもしれない。


優香は東京生まれの東京育ち。地震には慣れっ子…と思いつつも巨大地震の脅威を“論破”できない自分の教養能力を悟ったとき…、何歳ごろか覚えていないが、自分の心が<天と地>でつながった人、蟻にも劣る悲しい生き物であることを、脳裏に刻み込んだ。


芥川龍之介の世代らが体感した関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日11時58分44秒、関東地方にマグニチュード8の大激震をもって急襲した。

火災・津波が加わり、死者9万1千人以上、全壊消失家屋46万棟の大惨事となった。当時、東京帝国大学の理科学科教授、随筆家の寺田虎彦が、喫茶店にいて急激に襲った地震の様を記述している。

9月2日から4日にかけて、東京、神奈川、埼玉、千葉に順次、戒厳令が適用された。2日、朝鮮人暴動の流言がひろがり、朝鮮人の迫害が始まった。殺害された朝鮮人は数千人に及んだ。9月12日、帝都復興に関する詔書が出た。9月16日には、大杉栄、伊藤野枝らが憲兵隊内で密かに扼殺された。後、犯人逮捕と裁判が行われた…。


震災後、芥川龍之介ら三人の作家は、内二人は後年に自殺に至るが、震災の死体の山のなかを歩いてみてまわったのだ。

その一人、川端康成は68歳でノーベル文学賞を受賞したが、4年後、72歳で芥川龍之介と同様に自殺する。その川端康成が次の記録を残している。


『大正十二年の地震の数日後に、私は今東光君と田端の芥川龍之介氏のお宅へ見舞ひに行つた。

(中略)芥川氏と今君と私とは、多分芥川氏が云ひ出されたやうに思ふが、吉原の池へ死骸を見に行つた。芥川氏は細かい棒縞の浴衣を着て、ヘルメツト帽を冠つてゐられた。あの痩身細面にヘルメツト帽だから少しも似合はず、毒きのこのやうに帽子が大きく見え、それに例のひよいひよいと飛び上るやうな大股に体を振つて昂然と歩かれるのだから、どうしたつて一癖ありげな悪漢にしか見えなかつた。荒れ果てた焼跡、電線の焼け落ちた道路、亡命者のやうに汚く疲れた罹災者の群、その間を芥川氏は駿馬の快活さで飛ぶやうに歩くのだつた。私は氏の唯一人颯爽とした姿を少しばかり憎んだ。そして、自警団か警官がその怪しげな風態を見咎めれば面白いにと、ひそかに期待しながら、足の早い氏にとつとつ附いて行った。


優香は川端康成の名文に、川端と芥川の身長がいくらかを知りたくなった。書いておいてよ、とこだわる優香。そして川端康成の『16歳の日記』に示された、目がみえなくなる祖父を介護しつつ、そこに人間の末期を視る。その眼が描く震災の情景―


 吉原遊廓の池は見た者だけが信じる恐ろしい「地獄絵」であつた。幾十幾百の男女を泥釜で煮殺したと思へばいい。赤い布が泥水にまみれ、岸に乱れ着いてゐるのは、遊女達の死骸が多いからであつた。岸には香煙が立ち昇つてゐた。芥川氏はハンケチで鼻を抑へて立つてゐられた。何か云はれたが、忘れてしまつた。しかしそれは、忘れてしまつた程に、皮肉交りの快活な言葉ではなかつたらうかと思ふ。

 吉原で芥川氏は一人の巡査を捕へて、帰り路十町余りも肩を並べて歩きながら、いろいろ震災の話を引つぱり出さうとしてゐられた。おとなしい巡査はそれに一々答へてゐた。こんな風な一個市井の物好きらしく巡査と歩く芥川龍之介氏も、私には少々意外であつた。

 生前の芥川氏に余り親むこともなく過ぎた私には、故人を思ふと、その日のヘルメツト帽であたりかまはず颯爽と歩いてゐられる姿が第一に浮んで来る。その頃はまだ死を思はぬ快活さであつた。

川端康成「芥川龍之介氏と吉原」 昭和4年11月

 (震災後7年目1929年の思い出記録である)


昭和2年、1927年7月24日、芥川龍之介は服毒自殺した。震災後4年目である。

芥川龍之介の遺書『ある旧友へ送る手紙』が発表された。その中に「将来に対するボンヤリした不安」とは何か。芥川龍之介の読者以外にもその不安を知りたいと思った人が多数いた。

川端康成もノーベル文学賞を受賞後の4年目、自殺した。遺書はない。

その死の原因は諸説あり、総括的には「芥川龍之介と同じ、現実に妥協できない〝理想世界〟との格差において、その『くもの糸』、いや《生命の糸》を自ら切った」と優香は読み取り感じ取った…。


 どんな人間であれ「人を救えると思うのは傲慢である。自分も最後は死ぬのだから…」と優香は文学少女として悟っていた。

『アンネの日記』の少女アンネは「人類のためにジャーナリストとして働きたい」と記した。アンネはユダヤ人で旧約聖書は知っていた。隠れ家で迎えた誕生日に新約聖書を父親からプレゼントされたことを日記に書いている。約束のメシア、救世主は新約聖書の主役である。磔になって殺害された。その三日後、復活、生き返ったのである。アンネもイエスのように「死んでも生き返りたい」と祈ったと優香は読み取った。しかし、復活したキリストのように地上で死んだアンネが復活したという目撃証人や記録は今だない。

しかし、アンネは『アンネの日記』によって復活、生き返った…。そして、世界の読者の一人、日本人の優香の心のなかにアンネは生きている。日記文学の書き手の強みである。創作ではなくその日記の思いを真実であるとして受け止めるなら…。但し、『アンネの日記』はアンネによって、公表のものと、本心であろうというものの二つの日記があるという説がある。だから、誰が他人の真底の心を知りえるだろうか…。

日記の一方、小説家は色んな架空の人物の中でも、作家自身が自分自身として現れることは普通はない。しかし、登場人物を通して自分の本心を言い表しているはずである…。優香は表面でなく、その本心を考えて読む…。


川端康成は芥川龍之介の自殺を予感していたかもしれない。しかし、孤児で大阪府茨木市の庄屋であった祖父の家で最期、少年時代を生き抜いてきた川端康成は、自分は死なない。どんなことがあっても生き抜くんだ。そのような生命の尊さを謳う作品があるということを優香は知った。

それは、何のために生きるのかと問う優香の苦悶とは真逆のもの。「あなたは何のために死ぬのかという」という「死なないで」という叫びになって、優香を川端康成の自死の道に踏み込ませたのである。


特攻機のあなた―死ぬことなかれ…

昭和十年代、時代は急激に、戦争拡大、日本人は大日本帝国として西欧と対峙して生き残りに傾いていく。その中で、川端康成は満州にも従軍記者で出向いたことがある。孤児となり文学に生きる道を求める川端康成にとって人間の生きるべき理想が必要である。それが肉親最期の一人、祖父の死を看取った介護日記『16歳の日記』が書くことの目ざめと評論される。

肉親として最後の死者の弔いから、何とか抜け出る東京へ、忘れ去りたい『伊豆の踊子』の生きる喜びへの恋心である。貧しくも美しい娘。そこに学生との一線がひかれ、川端康成はその世相の優位にたち下田への旅が続く。

文学の登場人物を自分の対極におき、人間の哀しみ、憐れみを描く「孤児根性」。その上に自分が立ち、ノーベル文学賞という世界の文学界の頂点に「日本の美しさ」をもって一人立つも、自分の精神も肉体も救えないほどに、その四年後自死に至った…。


優香は自分が調べるほどに、人生とは、生きる目的とはなにか、悟れない哀しみに浸った…。そして、『アンネの日記』の最期の日記、1944年8月1日、火曜日、約一年後、日本には二つの原爆が投下され、無条件降伏へ


『…そしてなおも模索しつづけるのです。わたしがこれほどまでにかくありたいとねがっている、そういう人間にどうしたらなれるのかを。きっとそうなれるはずなんです、もしも…この世で生きているのがわたしひとりであったならば。

              じゃあまた、アンネ・M・フランクより』


『アンネの日記』はここで終わっている。

『よい自分になれるのか…。もし自分がこの世で独りであれば…』と、優香は時空を超えて、ナチス・ドイツの迫害を逃れ、オランダのアムステルダムの隠れ家で考えるのである…。


アメリカのノーベル文学賞作家ヘミングウェイも結局に老いに勝てなかった。川端康成の脳裏から消えない「美しい日本の自然の中の自分」。大空の無限の残酷さが天に広がる。そこに向け飛び立つ、若い生命が操る自死の空路の操縦桿―特攻の末期。生きたい。生きるんだ。孤児から生み出される『伊豆の踊子』の帰路海路は『生命の樹』に通じる。

高齢作家が辞退したため代わりに、若い新感覚の川端康成は、終戦直前に海軍省の招きで鹿児島の特攻基地に赴いた。そこで見て聞いて感じたことは何か。「そのことは書けない。どんなことがあっても」と命惜しむ作家なら思ったに違いない…と優香は読み取った。

「これを誰に話そうか。誰もわからない、理解してくれない。だから、あなただけに話すわね」と優香は日記に書いた。アンネのように…。


優香は『アンネの日記』に文学少女として触発された。

あなたなら、『アンネの日記』書き出し、

『あなたなら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね』

1942年6月12日 アンネ・フランク


日本はナチ・ドイツ以上に、さらに大きな二つの代償、原爆で「無条件の降伏」をした。その結果、手に入れた大きなものの一つ「表現の自由」がある…。

戦後、戦地から帰国した人、あるいは内地で戦争体験した人々から新しい文学が次々に生まれた。

川端康成はその自由の中で、1946年、昭和21年7月「婦人文庫」で『聖書』ヨハネの黙示録22章1~2節、21章を引用して書きたかったことを書いた。海軍省の幹部から「いつか、このことを書いてくれ…」と言われたのだろうと優香は思った。

その22章2節のキーワードとなる『生命の樹』(いのちのき)を題名にした。その小説のへ転用である。

『「…その樹の葉は諸国の民を医すなり…」ヨハネの黙示録の一節が、私の心に浮かんで、真直ぐな道路は、その河のように見えた。「我また新しき天と地をみたり。これ前の天と地は過ぎ去り、海も亦なきなり。』。さらに同じヨハネによる福音書の8章1~11節の、姦淫の女の記述が引用されている。

『「君は、ここの女を軽蔑するのかい?」「いいえ。―罪なき者石もて…」「そうか。僕は幼稚な感傷家で、虫のいい夢想家だ。ここから飛び立つ僕らが、汚してゆくたびに、その女は浄化されていって、おしまいに昇天しゃせんかと、思ったり、するんだがね。』


罪を犯しても真に悔い改めれば、キリストや神の許しがある。本当に悔い改めた実を示した人を再びその罪で攻めてはいけない。全能の神が許した人を許さない人は、逆に、許さない人が罪人になる。優香はその理屈、道理…を読んで理解し示そうとしてきた…。


芥川龍之介の「自死」から川端康成の『生命の樹』を読んでみた。それから7月、夏休みで京都、近江の啓子という『生命の樹』の恋人を特攻で失った「京女」の心意気を感じたくて、茨木の川端康成少年が祖父と過ごした大阪、茨木と川端康成文学館を訪問することにしようと考えた。

優香は、予定を立てた。


京都近江から大阪茨木川端康成文学館へ、そして京都へ

優香が計画していた茨木の地に、2018年6月18日、大阪北部を震度6弱の地震が襲った。

その7月、京都から『生命の樹』の清い娘、その実家、近江を一望できる織田信長が築城した安土城を訪ねた。-「夏草や 兵どもが夢の跡」―を後にして、大阪府茨木市の「川端康成文学館」を訪ねた。そこで驚くべき出会いがあった。

「失礼ですが、もしかして…」

「もしかして…」

優香の姉が理想主義者でついていけないという「振られたイケメン銀行マン」がそこにいたのだ。川端康成の出生からの展示経歴を見学しながら、銀行マンが言った。

「地震前の5月に、2025年大阪万博誘致とSDGsの実現に向けて関西本店に転勤になって茨木の社宅に単身でいるんだ。だから休みの散歩コースでここにはよく立ち寄るんだよ」

「私は、川端康成がノーベル賞受賞後の4年後、遺書も書かず自殺したことの原因が、ここ茨木にあるのではないかと思って来たの」展示ガラスに映るイケメン銀行マンに言った。

「そうか、それなら、いい人を紹介するよ。心理学者マズローの欲求5段階のつぎなる人、自己超越をした6段階を知っているよね。川端康成の髪の毛を少なくした、死んだ川端康成の親戚かと僕が間違えた人。川端が死んだ72歳と同年の年配者が、あの作家の書斎から出てきたんだ」と指をさした。

そこには「作家の部屋」、川端康成の鎌倉の書斎の一部を模写再現した、平机の川端康成の座があり、作家気分になれるという。優香も座って書いてみたいと思った。

「振られ銀行マン」は、携帯電話で「自己超越者」を呼び出した。


三人で2階のラウンジで川端文学を通して論じ合った。優香は、正に川端が記した「新しい天と地」が開けるのを予感した。「やはり、自分だけでなく、誰もが天と地において蟻に等しい…」との思いを深めた。

そして、芥川龍之介の『くもの糸』から、「死すべき人間が人間を所詮救えないこと」も確信した。芥川龍之介もそれを悟っていたに違いない。その未来が「将来に対するボンヤリした不安」となったのか…優香は考えた。


「自己超越者」は優香の話を聞いて言った。

「それなら、『聖書・エステル記』を読んでみると参考になるかも…」と言われ世界の文豪ら、そして日本文豪ら、いや知を求める人間なら必ず本棚にある、自分の本棚にある英語と日本語への翻訳の適否正否を識別したく手に入れた数冊の『聖書』を思い浮かべた。

本当に真剣に読んだことはない。優香は言った。

「旧約ですね。『エステル記』読んでみます」


そして話は、三人の作家が関東大震災の直後を見て回っていたこと、次に、いずれ起こる、東海、東南海、南海地震の話から、小松左京の『日本沈没』の話になった。

日本人全体が、いや人類全体が、芥川龍之介の『くもの糸』、いや小松左京の『くもの糸』にある「間違いを許す」『聖書』の教えは川端康成も書いている。


優香は言った。

「結局、SDGs、17のターゲットを覚え実行するのは難しいですよね。その総まとめというか、《愛》、本当の《愛》とは何かを教えれば、簡単なことだと思うのですが」

「そう、高次の原則だよね」と「振られ銀行マン」。

「自己を超越する、その上にみえるものは何かー利他、利己を超越した人になる」

銀行マンは言った「大赤字になった日本航空を立て直した人、KDDIからAUを構築した京都セラの創業者稲盛和夫氏がいますね。日本版ノーベル賞に当たる京都賞の講演会が11月11日、京都国際会館であるように聞いていますね」

「日本版ノーベル賞?」と優香。

「そう今年、がん細胞攻撃の新しい方法でノーベル賞の受賞者は、すでに京都賞を受けているんですよ」と銀行マン。

優香は「行きたい、講演に」とスマホで検索した。そして、京都へ…




そして京都から湯河原へ…

優香は11月11日、日曜日、午前10時過ぎに新幹線で京都駅に着いた。京都賞講演会は13時から。会場まで地下鉄で20、30分か。時間があるので、市バスで会場まで日曜の混雑を想定し約2時間とみて、ゆっくり行こうと「バス1日券」600円を購入した。

 バスルートはNO:5、烏丸通を北へ、四条で東へ右折し、四条河原町へ。そこから河原町三条、三条京阪前、東山三条、その先から平安神宮・岡崎公園美術館へ北上、南禅寺永観堂道にむけ東へ、その道に入り銀閣寺道に向けまた北上、さらに北上、右手に銀閣寺、大文字山を置いて、北白川、京都造形芸大、修学院離宮の先、大原には行かず、西に岩倉車庫の一つ手前、国際会館前にやっと着いた。

まだ時間があるので、京都の北山の冷たい空気と色づいた景色を楽しんだ。国際会議場は地下鉄の駅の地下に下り、そこから会場に迎う。

優香はネットの Wikipediaで次の確認をしていた。

国立京都国際会館(こくりつきょうとこくさいかいかん、英語:Kyoto International Conference Center、略称:ICC Kyoto)は、日本の国際会議施設の一つ。京都府京都市左京区岩倉に所在し、宝が池公園に隣接する。運営は、公益財団法人国立京都国際会館。

敷地面積156,000m2。建築物は、日本人建築家・大谷幸夫の設計による代表作である。

歴代理事長は次の通りである。

初代:松下幸之助(1966年-1983年)

2代:伊部恭之助(1983年-1996年)

3代:川勝堅二(1996年-2009年)

4代:稲盛和夫(2010年-現在)

受付を済ませて「第34回京都賞記念講演会」の資料袋を受け取った。「きっとどこかで、あなたとつながっています。」と、主催者側のメッセージ、京都賞・研究助成・社会啓発の活動が誰にも「くもの糸」でつながっていると、優香は感じ取った。

80億、人類誰もが、宇宙の《愛》、天、と地球の宝、地、京都賞メダル「金メダルはイナモリストーンと呼ばれる再結晶エメラルド(4.56ct)とルビー(6.88ct)が各4個ずつはめ込まれている。


「欲しい。私は金、エメラルド、ルビー」と優香は単純にその美しさに思った。川端康成文学館で「自己超越者」から勧められて読んだ旧約『エステル記』。ペルシャの王に気に入られ王妃エステルとなった彼女は宝石を、いくらもらったのだろうか。いや、ゲスな考えだ。優香は否定した途端、現実にお腹がすいていることを覚った。開始までの15分で食事をする自身があって、会館のグリルにはいった。

食事中に講演開始のアナウンスが聞こえた。まだ半分も食べていない。

結局、遅刻の会場へ、入り口で日英語同時通訳のレシーバーを受けて案内されたのは、演壇の二階になるひな壇になったが、前面の大型スクリーンで別に視聴は困難ではなかった。


講演は、やはり人類への貢献、文化を高めるもの「利他への期待」にあった。

追って、渡された資料を読んで、その理解を深めようと思った。


地球温暖化防止のため、1997年(平成9)京都で開催された気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)において採択された議定書のこと。その会場であり、人間社会は、ここでどれほどの会議を重ねてきたことか。その会館の庭園で優香は石畳に座って、京都の怜悧な空気を千年以上の歴史に感じたいと思っていた。

そこに、電話がはいった。


「たいへんなことが起きた」と会長のドラ声。

「夕日がきれいですよ」と優香。

「うちの奴らも私のしらないところでデーター偽装していた。君は何か知っていたんだろ」

「私の机の引き出し7番をご欄ください」

「何が入っているんだ」

「この後、京都から伊豆半島の旅行のため1週間のおやすみをいただきたいのです」

「休み?、それどころではない、すぐ帰ってきてくれ。君の知恵が必要だ、助けてくれ。いずれ外部に漏れて、会社、いや日本、いや世界が大変なことになる」

「7番の引き出しをご欄ください。あしたから、、第二次世界大戦に進んいった世代、川端康成の『伊豆の踊子』の道を歩きます。日本の作家たち、国木田独歩、夏目漱石、島崎藤村、芥川龍之介、山本有三、谷崎純一郎などが訪れた町、湯河原にもいってきます。会長のお話を、過去の文豪らの最高の英知、彼らも『聖書』から知恵をもって考えていたようですが、SDGsのうえをいくよう十分に考えさせていただきます。天を仰げば、必ず、エステルのように、解決の知恵があります。明日から1週間のおやすみをお願い申し上げます」

「…しょうがないな。エステルてなんだ…」

「私の机の引き出しです。スマホ、電池切れがないように注意します。リュックにはパソコンを背負って旅をしていますので、いつでもどこでも、お電話、電子メールでお受けします。『伊豆の踊子』ならぬ永遠の「伊豆の文学熟女」になれればと願っています」

「誰か男と一緒か」

「いいえ」と答えたところ、夕日を浴びて、イケメン銀行マンが立っていた。にっこりと目と心で笑っていた。


会長は秘書優香の机の引き出しNO:7を秘書課長に命じて開けさせた。

そしてそこをあったのは

『わが心そこにあらず』―そこにいても心はもっと高い別のとこにあることがあるー

という一冊の本であった。

ペラペラとページをめくった会長が突如その場に倒れた。


「振られ銀行マン」は言った。

「やはり来ていたんだ。何かあったの」と聞いてきた。

優香は応えた。「いずれ、わかるわ。私は何も悪いことはしていないわ。この中に私を守る日記、<よい日記>があるの。石を投げないでね」とリュックを指さした。

「そうだよね」と銀行マン

「今日は、京都に泊まって、明日は下田から、『伊豆の踊子』逆コースで歩き旅をするの。あなた、ついてくる?」

「ありがたい誘いだけど…、会社の奴隷だからな」

「早く自由になって」

「そうする。死ぬなよ。どんなことがあっても。手紙みたよね」と銀行マン

「茨木はキリシタン大名高山右近が治めていた領地があり、隠れキリシタンの郷、その資料館もあり、神のご意思なら、生きていてそうするでしょう」と優香

「あれね」

「そう、あれ」と優香は言った。

「じゃ、京都駅のどこかで、『最後の晩餐』をしようか」

京都盆地の山辺にに夕日は落ち、国際会館の日本庭園のあたりは暗くなっていた…。



●エピローグ


優香は湯河原のホテルの湯舟に入り、全身を温泉水の中に沈めた。

「1,2,3,4,5、……

息をとめて、止めて、留めて、停めて、泊めて…


『ハロー エステル』と何でも話せる自分の日記帳に、今日の出来事、思いを書いた。

自分が死んでも生残る『死なない日記帳』にするためにー

そして、『アンネの日記』の最期、アンネが次に書きたかっただろう日記の続きを書き出した…


…その1年後、2019年12月2日から「30年以内に70%の確率で発生するとされる首都東京直下地震のNHKドラマ」があった。内閣府が公表した被害想定に基づき、「架空の東京=パラレル東京」で「そのとき何が起こるか」をVFX映像を用いて描いたフィクションである。東海、南海地震…が襲う…


優香は、すでにその前の年2月18日に、戦国キリシタン大名の高山右近が城主であった、その城下町高槻市に転居し、豊臣秀吉のバテレン追放令に対して信仰ゆえに地位も名誉も武器もすてた右近は、SDGsについて日本の先駆者、かもしれないと、調査していた。


あの「振られ銀行マン」が住む茨木市の隣町で天皇陵でもある高槻市で「NHK大河ドラマ麒麟がくるー明智光秀」を攻めた高山右近をある程度知った一年、2020年、全世界が中国武漢市の封鎖に始まる新型コロナウイルスの脅威。

世界の過密都市、バベルの塔のまち、ソドムとゴモラの繁栄都市は、非常事態となった…。優香はそう思った…。


優香は「もしかしたら、高山右近は今日事態を予知していたのか」と思いつつ高槻市の市庁舎の9階展望台から茨木、吹田の方向、大阪市の繁栄ビルの空虚のまちを見やった…。高槻城跡に立つ、武器を捨てた戦国キリシタン大名、高山右近の銅像。大阪吹田万博公園に立つ、『聖書』預言者イザヤの平和像。


いずれも、ロータリークラブが寄贈者としてその名が刻まれている。回転するクラブの<四つのテスト>と『聖書』の<生命の樹>と川端康成の孤児の涙が、エステルの血筋の系譜として流れていく…。


20XX年XX月XX日 XX時XX分XX秒

予想しつつも起きてほしくないことが、突然に自分に起こった。

「死ぬなよ」という天からの声。

「私には<よい日記>があるわよ」


自分の命を助け、家族を求め、生残ったものは、新しい天と地を求めた…

(終わりのない終わり)





資料:

読める年表日本史(自由国民社)・川端康成作品選(川端康成 著 中央公論者)・川端康成研究叢書 補完 総索引・作品論補説―ヘミングウェイの老いと川端康成の老いほか(川端康成文学研究会編 教育出版センター)・川端康成の人間と芸術(川端康成文学研究会 教育出版センター)・川端康成戦後作品研究史・文献目録(林武志 著 教育出版センター)・林芙美子の『めし』(毎日新聞社昭和26・10・10)の「あとがき」:夏目漱石の「明暗」、徳田秋声「縮図」、横光利一「旅愁」など、これらの未完の絶筆は、作者を代表する名作ともなり、作者の生涯を決定する象徴ともなっているようですが、この「めし」も林芙美子さんのためにそうなる作品でしょうか。私はここで早急に「めし」を評価せず解説せず、作者の死によって絶筆が自然と放つ光を見たいものとおもいます。処女策に作家のすべてがあるとしますと、絶筆にはなお作家のすべてがありましょう―「たんぽぽ」研究史―その批判的概括―原善 著)・『常用字解』(白川静 著 平凡社)、川端康成文学全集・高槻市生涯学習センター高山右近各種資料

日刊紙、週刊誌、(ウィキペディア Wikipedia)、









SDGs近未来小説


本稿は、国内外の各種問題は結局、SDGsの実行遅れ。2030年でなく、第二次世界大戦後の人類の目標であるべきだった、という視点。


国連加盟国、官民一体のSDGsへの取り組みが求められています。本小説はその一助として、個人一人一人が真剣に考えるべきものとして、動機付けを目的にしたものです。


特に自然災害、とりわけ東海、東南海、南海トラフ地震の備えです。世界のどの自治体においても、本小説が、日本最初のノーベル文学賞作家、川端康成の文豪魂とともに、日本のみならず世界の文豪らの訪問先や保養温泉地、その地元や訪問者の方に、災害に対して、自助、共助、公助のツールにしていただければ、人類生き残りの未来の繁栄と安全のお役に立てれば幸いです。


また、2020年はじめより、全世界に拡大した新型コロナウイルス問題についても、戦後の世界国家と国民一人一人が、α<地球は一つ、人種は一つ、法令は一つ宇宙自然の法則《愛》>ωに一致して歩む、別の<近未来SDGs小説>によって描出されるでしょう。




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