田中大和
学校は自転車で行っている。だいたい二十分ぐらいで着く。つまらない時間の始まり。俺は気配を消すために誰とも目を合わさない。自分の席までずっと視線を落としている。喜怒哀楽は一切出さない。机に今日もご丁寧にかなり小さく落書きがされている。
”生きてて楽しい?”
俺はそれを消しゴムで消す。犯人は分かっている。
「おーす、きゅうりのQちゃん」
犯人が来た。
「おう」
挨拶を返さなければ、ねばついた性格がさらに強度を増してしまう。
「そのアダ名、やばくね?」
犯人の隣で側近が楽しそうに笑う。
「きゅうりのQちゃんはきゅうりのQちゃんでしょ。誰もあのQちゃんって言うてへんし。なんもやばないっしょ。な、琴平」
「ああ」
ギリギリ。そういうところを、こいつ、田中大和はついてくる。整った顔から曲がった言葉を連発する。身体のちっこさが妙に賢さを演出する。
「お前、この前の数学何点やったん?」
「四十」
「おお、良かったな、赤点にならんくて」
嫌なやつだ。どう見ても俺が赤点でなかったことを残念に思っている顔だ。
「そういや昨日、お前告られてなかった?」
田中大和の言葉に、俺は一瞬顔を歪めてしまった。いったいどっから仕入れやがったんだ。
「は? なにそれ? 琴平に告るとかそんなやつおるん!」
側近の目がうざく輝く。
「いやいや、それがさあ」
「何やねん、はよ言えや」
「実は」
「誰や誰や」
「やっぱやめとこ」
「なんやねん! 大和キモいわ!」
さっさとこの場から去ってくれ。俺はお前らに何もしない。だから、お前らも俺に何もするな。
「なんか知らんけど、別に俺、告られてないし」
あの胸の痛みがぶり返す。俺は大池を傷つけてはいない。あいつが勝手に自分で傷ついたんだ。何もないところで、勝手に転んで勝手に擦りむいたのと何ら変わりはない。
「いやいや、琴平、うそつくとか止めとけって」
馴れ馴れしい手が俺の肩に乗る。虫酸が走る。だから嫌なんだ、学校とかいう監獄は。いや、監獄よりよっぽどタチが悪いに決まっている。
ごみ収集車の横を通るとき、俺は息を止める。距離を縮めれば縮めるほど、強烈さが増すあの臭い。失礼とは思いつつも、耐えきれずに呼吸をストップしてしまう。一応、収集員の方には分からないよう、普通の顔をしている。ある日、五歳ぐらいの男の子とそのお母さんがごみ収集車の横を通った。あからさまに鼻を手で覆い、二人とも眉を寄せていた。
「めっちゃくさいなー」
「ほんまやね。タケトも、勉強せーへんかったら、こんな仕事せなあかんくなるでー」
「タケト、幼稚園でめっちゃ勉強してるし! 大丈夫やし!」
二人の会話が俺の耳に入ってきて、脳を傷つけた。誰かがそれをやらなければならないことを誰もが知っている。それなのに、ディスリスペクトの上に軽蔑を上乗せするという人間がいなくなることはない。俺の横を通った親子は、珍しい人種ではない。何人も何十人も、何百、何千、何億。人の多さが”普通”をつくり、俺という人間は忌まわしい存在となる。
俺の心の中で膨らむ風船。中には歪んだ何か。濃度が高くて、緑なのか赤なのかよく分からないどす黒い色をしていて、デタラメな運動していて。俺にはそれが何かの感情ぐらいとしか定義することができない。そんな何かは、俺が人間の醜さに触れる度、心の中にある目に見えない風船の中で増殖していった。




