笑顔
「まあ、今の状況じゃあ、君はすぐに疲弊して僕のようなメンターに依存する可能性がある。僕だって、いつまで君の力になってやれるかは分からない」
「え? 神木さん、どっか行っちゃうんですか?」
「今のところは無いよ。ただ、その時はいつ来るか分からない。そういう話さ」
「おれ、神木さんに会えなくなるのは正直キツいです……」
おれはもう、自分が呪われていると思っていた頃に戻りたくなかった。
「琴平くんは正直な子だな。君のそういうところ、好きだよ。世の中はどうなるか分からない。それは今も昔も変わらない。だったら、いつ会えなくなっても大丈夫なように、僕の元でしっかり勉強してくれたまえ」
「……分かりました。そうですよね、遅かれ早かれそういう時は来てまいますよね。せや、だったら、神木さんの言う通り、今のこの時間をもっと大切にします」
「そうそう、それが一番いいよ」
神木さんとおれが会話をしていると、部屋のドアがノックされた。
「入っていい?」
菜月さんの声だった。
「どうぞ」
神木さんが了承すると、小さな研究室のなかへ菜月さんと一緒に大池が入って来た。
「今日のトレーニングは終わったの?」
菜月さんが神木さんに訊いた。
「うん」
「じゃあ、そろそろ私たちは東京へ戻らなきゃいけないし、これで」
「ああ。また、来週だね」
また、来週だね。神木さんのその言葉を聞いて、おれは幼い子どもみたいにだだをこねたくなる自分をなだめた。
「じゃあ、あたしたちはこれで帰ろう」
大池の言葉におれは優しくうなづいて、大池と一緒に神木さんと菜月さんに頭を下げて、研究室を出た。
三十三階からエレベーターを使って一階に降りる。気圧の変化で頭がきーんとなるから、おれはすぐに唾を飲み込んで耳から空気を出した。
ビルを出ると、外回りから帰ってきたと思われる人たちと何人かすれ違った。
「見てや! めっちゃきれいな夕日!」
大池が指差す方向に視線を動かすと、ビルの谷間から赤赤と燃える太陽がおれの目を細めた。
「まぶしいな」
夕日に照らされた、おれの彼女が一層輝いて見えた。
「まぶしいて……他にもっとテンション上がる表現とか無いん?」
大池は不服そうに口をへの字にした。
「ありまへん」
「うーわ、さっぶー」
「さぶくて結構。あの真っ赤な太陽に温めてもらえ」
「言われなくても、そうしますー」
大池が太陽に向かって両手をかざす。
おれはふいに輝く彼女に触れたくなって、手を伸ばした。
触れ合う手と手。心地良い柔らかさをおれの右手は感じ取った。
「帰ろう」
おれが優しく大池の左手を引っ張ると、大池は何も言わずに小さく頷いてから、おれの手を強く握り返して来てくれた。
大池はもう、あまりぎっこを引いてはいない。秀川さんからもらったアナザー社特製のスポーティーな補助具が大池の一部となっていた。
「足のやつ、だいぶええ感じそうやな」
「せやねん」
「前はカチャカチャ音が鳴ったりしてたもんな」
「初めは違和感があったんやけど、お金かかってるんはやっぱちがうわ。見た目もめっちゃかわいなったし」
大池の笑顔が弾ける度に、おれは生きている幸せを感じることができた。
「そういやヘッドギアを使う件やけど、大池のお母さん、もうすぐオッケー出してくれそうなん?」
「んー、もう少しかかるかも。あれからだいぶ経ったし、条件付きで許してくれそうな気はしてる。そもそも、仮想世界へあたしを誘ったのはお母さんやしね」
「あんな事件があったのに、意外にもユーザー数は減らんかったもんな」
「それも大きかったと思う」
あの日、死の部屋へ転送されてしまったユーザーは千五百六十三名。そのうちの約半数である七百九十一名が命を落としてしまった。死因は激痛によるショック死と推測されているが、詳しくは分かっていない。




