好きな人
「まだや、まだやぞ」
おれは大池をふかふかのベッドからおろした。そして、大池のおでこを下げて、あごを持ち上げた。
大池の家にAEDなんてあるわけない。数ヶ月前、気だるい空気の中で習った心肺蘇生法。自分が今まで見てきたドラマの心臓マッサージのシーンも懸命に思い出しながら、おれは両手を大池の胸に当て、力強く体重をかけて押し込んだ。
「1、2、3、4、5、」
何度押し込んでいいのか分からない。とりあえず二十回マッサージをして、次に自分の口を大池の口に当て、空気が漏れないように大池の鼻をつまみ、思いきり息を吹き込んだ。これは確か二回だった気がする。おれは一度、口を外してからもう一度、大池の肺に向かって空気を送り込んだ。
息を吐きながら大池の胸を横目で見る。大池の胸が大きく膨らんだことを確認。再び、胸に耳を当てる。
「ダメや……」
目の前が暗くなる。ド素人の心臓マッサージなんて、全く意味のないものな気がしてくる。おれの汚い汗だけが床に空しく吸われていく。
おれはもう一度、両手を大池の胸に当て、今度はもっと強く押し込んだ。
「戻ってきてくれ! 大池!」
授業で救急隊の人から、「肋骨を折っても構わない。心臓を動かすことが最優先。力強くやってください」と言われたことを思い出した。
「大池……生き返ってくれ……今度はおれが、おれがお前に告白するから……」
激しい押し込みを何度したか分からない。祈る気持ちで心臓マッサージを行っていると、大池の指が一瞬だけピクリと動いた気がした。
「大池?」
おれは大池の口に自分の口を当てて、また空気を送り込んだ。すると、大池はごほごほと咳き込んだ。
「大池! 大池!」
おれは力いっぱい大池に呼びかけた。すると、大池が静かに目を開けた。
「琴平……くん?」
「ああ、おれやで、琴平亮や……」
「うち……生きてるの?」
「ああ、生きてるで。ちゃんと生きている」
胸からゆっくり込み上げて来た温かいものが、おれの視界をゆがめた。おれが視線を落として瞬きをすると、温かいものはポロポロと床へと落ちていった。
「良かった……ほんま、良かった……」
喉から声にならない声を出した。
「お、男が、な、なに、を、泣いてねん」
大池は弱々しく微笑んで、おれにふらふらの拳をつきだしてきた。
おれは向けられた拳の手首を力強く握り、大池の背中にも手を回して、大池の上体をゆっくり起こした。
「好きな人が死んでまうかもしれへんかったから。一生この手で抱きしめられへんと思ったから」
おれはそう言って、大池の上体をそっと抱き寄せた。
「琴平くん……あたしの……こと、嫌いやなかったけ?」
大池が耳元でそうささやいた。
「ごめん、遅くなって。おれはお前のことがめっちゃ好きなことに、やっと気づきました」
「うちは……うちは、ミーナみたいな子とちゃうで……」
「知ってる」
「それやったら、」
「ちゃうねん。おれは幸せなことに、二人も素敵な女性のことを好きになってしまってん。ひとりは仮想世界で出会ったミーナ。そして、もうひとりは現実世界で出会った大池沙也夏さん」
「……」
大池のすすり泣く声が聞こえた。大池も俺の背中に手を回してきたので、おれたちの距離はさらに縮まった。
「助けてくれて、ありが……とう……」
「遅なって、ごめんな」
おれがそう言うと、大池は首を横に振ってくれた。
「滅びの欠片を使ったあと、行ったこともない暗い場所に飛ばされて……そこには顔が真っ白の悪魔みたいなのがいて……そいつ、一人やのにめちゃくちゃ強くて、ずっと薄気味悪い笑顔を浮かべてて……」
大池の身体が震え出した。おれは黙って背中をさすりながら、大池の話を聞いた。
「血でベトベトの刀みたいなので、送られてきた冒険者たちを斬ったり、刺したり……床に血だらけで倒れてた人たちって、もしかしたら……。そんなこと考えてたら、今度はあたしが悪魔に追いかけられて、逃げ切れなくて、刀で顔を斬られて、めちゃくちゃ痛くて……、他のところもいっぱい斬られて……」
大池は俺の肩に顔をうずめた。大池の話を聞いて、胸の奥のほうに傷みを感じた。
「もう、大丈夫や。もう、大丈夫やから」
身体を震わせながらすすり泣く大池。この涙は恐怖からくるものなのか、安堵からくるものなのか。おれはよく分からないまま、しばらくの間、大池の背中を優しくさすり続けた。




