薄っぺらな壁の向こう
誰かが布団を横切ったのを感じて目を覚ました。昨日は夜遅くまでストファンをやってしまった。アイアスの盾を使いこなすためにウィークラビットを手当たり次第倒しまくった。最弱の敵であっても、新しい防具の試運転には十分だった。おかげでカウンター技であるアイアスクラッシュを覚えることができた。
背中に受ける羨望の眼差し。最高だった。おれは聖剣アロンダイトを手に入れた時と同じように、アイアスの盾をモチーフにしたシルバーアクセサリーの製作をストファンにある店に頼むことにした。ブレスレットであるそのシルバーアクセサリーは街中でさり気なく、“おれはレアアイテム持ちでーす”と見せびらかすためのもの。おれの腕にはもうすぐそれが二つ。
「うっしっしっ」
おれは口角を上げながら笑った。
試運転中にフレンド登録をしてほしいという冒険者が三十人は来ただろうか。アロンダイトを手に入れたときも一気にフレンドが増えたから、今回でさらにフレンドを増やして有利にゲームを進められそうだった。
朝食は食パンにマーガリンを塗ったもの。親はすでに二人とも家にはいない。ボロ家のリビングには俺の咀嚼する音だけがクチャクチャと響く。両親は朝早くから働いて夜も遅くに帰ってくる。それなのに、お金はない。これが現実。俺もいずれ同じ道を歩む気がしている、いやもしかしたら借金膨脹システムである日本の未来ではもっときつい道が用意されているのかもしれない。というかそもそも俺は……。人間の心の中から××は消えない。長い歴史が嫌なぐらいそれを証明している。妙なやつだと言われて、自分みたいな人間がいったい今まで何人殺されてきたのだろうか……。
「あーあ」
現実世界の空気に触れていると、せっかく仮想世界で上がったテンションがプスーという情けない音を立ててしぼんでいくようだ。
生と死の間を何度か考えた事がある。薄っぺらな壁。本気を出せば次の瞬間、生きている人間は死の世界へ行くことが出来てしまう。積み上げられた時間の澱があたかも生と死の間を分厚くしているように感じるが、それは幻想に過ぎない。生まれたときから我々の横には死が存在している。その距離はずっと変わっていない。いつも薄っぺらな壁の向こうに死んだら行く世界がある。
意識の一部分だけとか、ちょっとだけ行ってすぐにこちらへ帰ってくるということはできない。もし、あの世が無なんだとしたら、人間は何度も死の世界へ行っているのではないかと考えたこともある。意識を失っている状態。つまり、ノンレム睡眠時に人間は死んでいる状態と同じなのではないかとアホなことを考えたときもあった。ただ、さっきも布団を横切ったが、あいつらがいるということが分かっている俺は、その可能性は低いとは思っている。
死んでみたいと思ったことはもちろん何度もある。自分で死んだらもっと辛いことが待っている可能性があるという根拠不明の動機だけで、もしかしたら俺はこの世に踏みとどまっているのかもしれない。
仮想世界へいけるようになっても、心のどこかで死にたい気持ちがやっぱり居続けていた。ただストファンを初めた一ヶ月間は死ぬことを考えなかった。もしかしたら、いつか死にたい気持ちが消えてくれるのではないかという淡い期待。それを仮想世界のおかげで抱けるようになった。生物の中で死にたいとか思うやつは人間だけだ。感情という一時的な幻想によって視界を失い、生の理を破ることができてしまう。何も俺の中には死にたいとささやくやつだけがいるわけではない。頑張れって、俺のことを応援してくれるやつも俺の中にはちゃんといてくれる。
もしも、自分ではなく他人や自然が俺の命を奪ってくれたら、ペナルティーは無いのかもしれない。薄っぺらな壁を越える直前は考えるだけで怖い。めちゃくちゃ怖い。でも、自然災害や他人の意図的あるいは意図的ではない行為によって俺が薄っぺらな壁を越えることができたら、俺は一生この呪われた身体とおさらばすることができる・・・ありえない。俺が不幸から完全に解放されるところなんて想像もつかない。やっぱり、天国はあの世ではなく、すでに俺が手に入れた仮想世界だ。ヘッドギアが連れて行ってくれる場所。そここそが俺にとっての天国に違いない。




