生きたい
また、秀川さんのメールにはこうも記載されていた。
“レンさんのスマホの機種を確認しました。SDカードはスマホの左上に搭載されています。左上の小さな穴にシャーペンの先などを力強く挿入すれば、SDカードを取り出すことができます”
スマホを買ったばかりだったので、SDカードの取り出し方法はすぐにイメージがついた。
おれは立ち上がって再び勉強机を見た。机の上に手頃なシャーペンは転がっていない。今度は引き出し。開けると、整理整頓のせの字もできてない有り様に嫌気がしつつも、右手をぐちゃぐちゃの中に突っ込んだ。中学一年の頃によく使っていたシャーペン。おれはそれを探り当てて、すぐにズボンのポケットへ入れた。
おれの家着はクタクタになった薄黄色のTシャツと下はオムツ。尿で重たくなっていたオムツを脱ぎ、急いでボクサーパンツと紺の七分丈をはいた。
スマホを見ると、すでにドアロック解除アプリとワクチンのダウンロードは終わっており、今度は地図サイトが立ち上がって、大池の家までの道のりを指し示していた。
おれはスマホの画面をオフにした。そんな地図を見なくたって、大池の家まですぐにたどり着ける。おれはスマホを握りしめて、玄関の鍵もかけずに家を飛び出した。
強い日差しも刺すような人の目も気にならなかった。おれはただ走った、全速力で。
仮想世界のように速く走れない。息も続かない。途中、足が絡まって転倒した。擦りむいた手のひらから、血がにじむ。これが現実世界。おれがこの世界で生きている証拠。大池はおれのことを好きだと言ってくれた。それだって、おれがこの世界で生きてきた証。生きたい。ミーナを、大池を救って、おれはこの世界で生き続けたい。胸から急に噴き出した思いが全身を駆け巡る。
おれは立ち上がった。大池の家はすぐそこ。もう一回地面を強く蹴りだして、おれは大池の家に急いだ。
静まり返った一戸建て。表札には“大池”という大きな文字。一回だけ、家の前を通ったときに家の三階にいた大池と目を合わせたことがある。大池はおれの顔を見るなり目を丸くしたまま、重たいカーテンを急いで閉めていた。おそらく、大池の部屋は三階。一応、呼び鈴を押す。返事はない。
鍵のない外構フェンスの扉を開けて、ポケットからスマホを取り出す。玄関扉の前に立ち、先ほど自動インストールされたドアロック解除アプリを起動させる。大池のことがふと心配になる。こうしている間にもしかしたら……。すでに息をせずにベッドで横になる大池の姿が脳裏に浮かんだ。
あかん!
おれは強く首振って、再びスマホを見た。アプリはすでに起動済みで、本日ロック解除可能な電子キーのボタンが黄色く点滅していた。おれがすぐにそのボタンを押すと、“カチャン”という音が玄関扉から聞こえた。
「よしっ」
おれは玄関扉を開けて家の中へと入った。
人生で一度も嗅いだことのない、におい。初めて入る他人の家にはそんなにおいがある。大池の家は芳香剤も置いてあるからか、おれの家とは全然違う良いにおいがした。
おれは目の前に階段があることに気付き、三階まで駆け上がった。まだ確証ではないが、足の不自由な大池が三階に自分の部屋を持っているのが、頑張り屋の大池らしい気がした。
三階には部屋が三つ。ひとつだけ鍵がかかって開かない部屋があり、中から大池の苦しそうな吐息が聞こえてきた。やはり大池の部屋は三階だった。
「大池! 大丈夫か!」
おれはとっさにドアを叩いた。大池の苦しそうな呼吸は止まない。大池がこんなにも苦しんで頑張っているのに、おれはもっと早くきてやれなかったのかと後悔の念がわいた。
「絶対助けるから! すぐにそっちへ行く!」
少し力を入れてドアノブをガチャガチャしてみた。しかし、ドアは開いてくれない。
「くそっ」
ドアノブの上を見ると鍵穴はなく、細い窪みがあるだけということに気づいた。
「小銭で開けられるタイプのやつか」
両方のポケットに手を突っ込む。残念ながら、そんな都合の良いものは持ち合わせていなかった。というか、さっきポケットに入れたはずのシャーペンが失くなっている。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
おれは別の部屋に入って、小銭とシャーペンがその辺にないか探した。無断で他人の部屋を物色する行為に背徳感を覚える。
「今は緊急事態や」
おれは自分にそう言い聞かせて、デスクや三段チェストの引き出しも隈無く開けた。




