神木と秀川
「そういや、行列覚悟でとか言ってたけど、あんまり並ばずに入れたな」
浩平は席が満杯の店の中を見回した。
「一概には言えないが、秀川の悪行による影響もあるのかもしれん」
秀川は神木が大嫌いなアナザー社の取締役兼代表研究員のことで、秀川によってKAMIKIがオープン化(インターネットに公開)されたことを神木は悪行と言っていた。
「関西風や広島風お好み焼きの美味しいお店が、最近秀川ワールドに現れたという話を耳にしたわ」
菜月が神木と浩平にしか聞こえない声でしゃべった。神木たちはオープン化された仮想世界のことを秀川ワールドと呼んでいた。
「月額数千円で、高級ホテルに泊まり放題とか、人気リストランテで食事し放題。遊園地に、ショッピングモールに、ゲームの世界。衛生的に絶対安全で、男女問わず好みの相手が絶対見つかる風俗店まである。秀川ワールドは世界を一変させるだけのインパクトを十分備えているんだ。もう、ビジネスとしては歴史に残る大成功の道を確実に歩んでいると行っても過言じゃないだろう」
「仮想世界の空間を小間切れにするアイデアは流石だと思ったよ。僕はただ、だだっ広い一つの世界を創ることしか考えていなかった。まるでスマホのアプリを立ち上げるように、ユーザーは行きたい空間に瞬時にアクセスするだけ。極端な話、レジャー施設に単なる移動手段の車や電車は必要ないわけで、道路も線路も創らなくていい」
「秀川にすりゃ、神木は要らないものまで創り過ぎだと思ってたんだろうな」
「僕が創りたいものはそもそもあいつとは違う」
「秀川はずっと複合レジャー空間を創ろうとしていた。対して神っきーが創りたいのは、生きている間にもう一つの人生をユーザーに歩ませること。そのためには現実世界とほぼ同じ世界を創る必要がある」
「神木の世界に入るやつは記憶を封印する訳だし、別に弥生時代とかでもいいんじゃねぇの」
「ユーザーがこっちに帰ってきたとき、役に立つ知識も持って帰れたほうが良いだろうし、そのためには仮想世界も現実世界と同じようにしておくのがベストだと僕は思っている」
「ヒト成長プログラムか。人間は生きている間に二度人生を歩むとどうなるんだろうな」
「正確には分からない。だから、多くのデータを取りたいと思っている。僕は現実世界でより幸せな人生を歩む人間が増えるという仮説を立てている」
「神っきーからそういう話を聞くと、秀川みたいにビジネスセンスを持つ一方で結果を急ぐ科学者と神っきーみたいな商売には疎いけど、長い目で人類にとって有益な情報を手に入れようとしている科学者と、どちらのほうが世の中に必要なのかなって考えちゃうときあるよ」
「どっちも大切なのかもな。人間はお金稼いで飯を食っていかないと生きていけない。でも世界でまだ解明されていない理が山ほどあって、それをひとつひとつ解明していかないと、人類として進歩もない」
「秀川はムカつくやろーだけど、僕の人生に彼が必要な存在であることは認識しているよ、ムカつくやろーだけど」
「2回言った」
「2回言ったね」
「しかし、仮想世界をオープン化したとなると、問題はウィルスかな」
神木は軽くため息をついた。
「コンピュータウィルスって、あのヘッドギアに仕込めるの?」
菜月が首をかしげた。
「まだ公開されていないけど、あのヘッドギアにはワールドをより充実させるためにSDカードを挿し込めるようになっている。それはもう、一部のユーザーにとっては周知の事実だ」
「秀川はウィルスが仕込まれるリスクが高まることを承知でSDカードの実装をしている」
浩平がそう言うと、神木はすぐに「ビジネス的旨味を優先するのがあのやろーなのさ」と言葉を重ねた。続けて「それに」と言って、自分のお冷をひとくち喉に流し込んだ。
「それに、なんなの?」
菜月が神木にそう訊いたところで、待ちに待っていたお好み焼きが香ばしい匂いとともにやってきた。