ファーストキス
「世の中っておかしいよね」
シンジは手に持っていたカップを机に置いた。
「リアルのこと?」
「そう」
「それはあたしもなんとなく」
「リアルにはさあ、普通じゃないものが溢れてるのに、みんなそういうものを忌み嫌って、普通を求めてる。ホントはさあ、普通っていう基準はそもそもないんだから、存在するものすべてが普通って言ってもいい気がする」
「あのさ」
「ん?」
シンジが顔をミーナの方に向けると、ミーナがじっと見つめていた。シンジは鼓動が少し跳ねたのを隠したくて、そっと視線をそらした。
「前から思ってたけど、シンジとあたしって似てる気がする」
「え?」
「あ、いや、嫌なこと言ってたらごめんね」
ミーナは慌てた様子で頭を下げた。
「嫌だなんて。嬉しいよ。好きな人にそんなこと言われたら、嬉しいに決まってんじゃん」
「フフ。ありがと」
「あれ。ミーナも僕と似てて嬉しいの?」
「うん。シンジのこと、人として好きやし」
「なんだ、じゃあ両想いじゃん」
「んー、それとこれとは、また話が別やわ」
「チェッ。友達レベルからなかなか上がんないなー」
シンジは悔しそうにして、口をムスッとさせた。
「でも、今日のあたしはシンジに救われてる気がする」
「おや、こんな僕にもまだまだチャンスあり?」
「かもね」
「思わせぶりな女は嫌われるよ?」
「だよね。じゃあ、シンジとはずっと脈無しです」
「それ言われるの寂しいから、やっぱ脈ありのままにしといて」
「どっちやねん。でも、人の気持ちって変わると思うから、何とも言えないのが正直なところ」
「そっか。そうだよな。何でもサクサク物事決められたらすごいけど、そういう簡単にいかないこともあるよね」
「どうなんやろう。あたしはただの優柔不断なだけなんかも。アカン子やね」
「自分のこと、悪く言うのはあんまり良くないよ」
シンジはまたコーヒーを一口だけ喉に流し込んだ。ミーナもそれに続いてコーヒーを口に少しだけ含んだ。
「あたしね、いま部屋にずっと引きこもってんの。それに今日はこっちに来ても、リンクストーンを全ブロック設定にしてんねん」
「フラレたのが相当ショックだった?」
シンジは心配そうにミーナの瞳を見つめた。
「引きこもってるって言っても、まだ数日ぐらいやけど」
「そんなに好きだったの? その告白したやつのこと」
「生まれて初めて告白したぐらいやから、相当好きやったんやとは思う。せやけど、あたしがいま部屋にずっといるんはフラレたことがきっかけにはなってるんやけど、それより前からリアルに疲れてたんちゃうかなって気がしてる。何か頑張り過ぎてたんかなって」
ミーナの目に少し涙が溜まった。それを見たシンジは胸が締め付けられる思いがした。
「今日のあたし、シンジに何言ってんだろ」
ミーナは左目から涙をこぼし、視線を落とした。
「ミーナ、立って」
シンジは立ち上がって、ミーナの手を優しく掴んだ。ミーナは涙を拭いながらゆっくり席を立った。
次の瞬間、シンジはミーナを力強く抱き寄せた。驚いたミーナは身体を一瞬ピクりとさせた。
「あ、ゴメン。びっくりさせちゃったね」
シンジは慌ててミーナから一歩離れた。ミーナは何も言わず首を横に振って、笑顔を見せた。そしてシンジに近づき、優しくシンジの背中に手を回した。
「え?」
シンジは一瞬何が起きたか分からず、目を見開いたままでいた。ようやく思考が動き出したところで、自分の手をミーナの腰に回した。
ミーナがシンジの肩に鼻を当て、深く息を吸い込む。シンジは左手を腰に残して右手をミーナの頭に回した。ミーナの頭の中でもう一人のミーナが眉をひそめて言う。
―――好きでもない人に抱きつくなんて、最低。
そんなもう一人のミーナに、ミーナが応える。
―――別にもう、なんでもええやん。あたしは疲れた。あんたの言うこと聞くええ子をずっとやってんの疲れた。
ミーナはシンジの背中に回した手に力を入れた。
―――やめなさい! 聞こえないの? いままでコツコツ積み上げてきたものがどんどん崩れているわ。
―――そんなもん、壊れるまで壊れたらええねん。
シンジがミーナの両肩を掴んだ。少しだけミーナを身体から離し、自分の唇をミーナの唇に押し当てた。